料理も、歌も、
いちばん大事なのは下ごしらえだと思っている。

いきなり火にかけない。
いきなり声を張らない。
まずは、素材をそのまま見ること。

人と話すときも、同じだった。

昔のわたしは、
人の言葉を聞いた瞬間に
フライパンを振っていた。

「それは違う」
「こうしたほうがいい」
「わたしならこうする」

味見もせず、
素材の声も聞かず、
強火で一気に仕上げようとしていた。

あるいは逆に、
相手の言葉を丸ごと飲み込んで、
自分の味を消してしまうこともあった。

それはもう、
料理じゃなくて事故だったし、
歌でもなくて悲鳴だった。

そんなわたしが覚えた言葉がある。

「そうなんだー」

これは、
料理でいえば
「洗う」「切る」「並べる」みたいなもの。

味付けじゃない。
評価でもない。
ただ、素材をそのまま置く作業。

この人は、
こういう味をしてるんだな。
この人は、
こういう温度で生きてるんだな。

それを一回、
まな板の上にのせる。

大丈夫。
混ぜなくていい。
あなたの鍋に入れなくていい。

「そうなんだー」は、
他人の人生を
自分のレシピに入れないための知恵。

歌も同じ。

相手の声を聴いたとき、
すぐにハモろうとしなくていい。
正しい音程かどうか、
決めつけなくていい。

まずは、
その人の声が
どこから出ているのかを聴く。

喉かもしれない。
腹かもしれない。
心臓の奥かもしれない。

「そうなんだー」は、
音を強奪しない姿勢。

わたしは長い間、
人の言葉に
勝手に味付けされてきた。

「売女」
「嘘つき」
「おかしい」
「障害者」

その言葉を
自分の鍋に入れてしまって、
苦いスープを
何年も飲み続けていた。

でも、今は違う。

それはあなたの味。
これはわたしの味。

一緒に食べることはできても、
混ぜる必要はない。

歌も同じ。

誰かの評価は、
その人の耳の問題。
わたしの声の問題じゃない。

だから今日も、
誰かの話を聴くとき、
誰かの歌を聴くとき、
自分の心にこう言う。

「そうなんだー」

それは、
火をつける前の静けさ。
声を出す前の呼吸。

料理も、歌も、人生も、
雑に扱えば、すぐ焦げる。

だからわたしは、
今日も丁寧に下ごしらえをする。

相手の人生を尊重して、
自分の人生を守るために。

「そうなんだー」は、
おーちゃんが覚えた
いちばんやさしい技術。

そして、
いちばん強い境界線。