太陽は、自分が輝いていることを知らない

「太陽は、自分が輝いていることを知らない」

この言葉を読んだとき、
胸の奥で、ふっと何かがほどけた。

わたしはずっと、
自分の光を自分で見ようとしていた。

わたしって何者なんだろう。
わたしの価値はどこにあるんだろう。
わたしの才能って何なんだろう。
わたしは誰かの役に立てているんだろうか。

そんなふうに、
自分という存在を、
自分で確認しようとしていた。

でも、太陽は、
自分の光を見ない。

鏡を持って、
「今日のわたし、ちゃんと輝いてる?」
なんて確認しない。

ただ、そこに在る。

ただ、光を放つ。

そしてその光は、
勝手に誰かをあたため、
草木を育て、
朝を連れてくる。

太陽は、自分のために輝いているんじゃない。

でも、
だからこそ、
世界は太陽の光で生かされている。



わたしは長いあいだ、
自分探しをしていた。

もっと変わらなきゃ。
もっと価値ある人間にならなきゃ。
もっと認められる何かを見つけなきゃ。

そうやって、
自分を変えようと必死だった。

でも今思うと、
それは「愛されたい」と泥だらけで走っていた、
小さなわたしだったんだと思う。

わたしを見て。
わたしを認めて。
わたしにも価値があるって言って。

そう叫びながら、
ずっと自分の光を探していた。

でも本当は、
光は探すものじゃなかった。

もう、出ていた。

料理を作ったとき、
誰かが「おいしい」と笑ってくれたこと。

歌をうたったとき、
誰かの胸が震えて涙になったこと。

言葉を書いたとき、
誰かが「救われた」と言ってくれたこと。

その全部が、
わたしの光だった。

ただ、自分では見えていなかっただけ。



自分の光は、
自分では見えなくてもいいのかもしれない。

誰かが少し優しくなったなら。
誰かがほっと息をつけたなら。
誰かが笑顔になれたなら。
誰かが「もう少し生きてみよう」と思えたなら。

それが、
わたしの光の証拠。

わたしが何者かなんて、
わたしが決めなくてもいいのかもしれない。

目の前のひとりを、
少しあたためられたなら、
それで十分なのかもしれない。



だから、
自分探しはもう終わりでいい。

自分を変えようとするのも、
もう少しゆるめていい。

それよりも、
今日、目の前の人に、
どんな光を渡せるか。

どんな言葉をかけられるか。
どんな料理を差し出せるか。
どんな歌を届けられるか。
どんなぬくもりを残せるか。

そこに、
わたしの生きる意味がある気がする。



太陽は、
自分が輝いていることを知らない。

でも、
照らされた人は知っている。

あたたかかったこと。
救われたこと。
少し前を向けたこと。

わたしも、
そんなふうに生きたい。

自分の光を確認するより、
誰かの今日を少し明るくする人でいたい。

料理で。
歌で。
言葉で。
笑顔で。
祈りで。

わたしの光が、
わたしには見えなくてもいい。

それを感じた誰かの心が、
少しでもあたたかくなったなら、
それがもう、わたしの証拠。



今日も、
太陽みたいに完璧にはなれないけれど、
おーちゃんはおーちゃんなりに光ってみる。

まぶしくなくてもいい。
大きくなくてもいい。
誰にも気づかれない小さな光でもいい。

目の前のひとりが、
少しほっとできますように。

そんな気持ちで、
今日も台所に立ち、
歌い、
言葉を紡いでいく。

自分の光を知らないまま、
誰かをあたためる太陽みたいに。