「ロボットになりたかったあの頃 ―― 感じすぎる心が守ろうとしたこと」

わたしは昔、
耳なんて聞こえなくていい と思っていた。

人の声は刃のようで、
何気ないひと言が、わたしの中のどこか柔らかい場所を
容赦なく切り裂いていったから。

声もいらないと思っていた。

余計なことを言って
誰かを傷つけてしまうくらいなら、
誤解されたり、トラブルの火種になったりするくらいなら、
もういっそ、声なんて出ない方がいい。

目もいらなかった。

嫌われている顔、無視される瞬間、
空気が凍るあの“見えたくなかった景色”が
胸に突き刺さって動けなくなるくらいなら。

見えない世界に逃げ込めたら良かった。

そして、最後に思った。

「感じることがあるから、わたしはこんなにも辛いんだ。
だったら、いっそ――
ロボットになりたい。」

感情がなければ傷つかない。
心がなければ苦しまない。
動くだけの部品になれたら、
わたしはきっと生きやすくなる。

そう本気で思っていた時期がある。

だけど今はわかる。

わたしが憧れたのは、
“ロボットの無敵さ”ではなくて、
“わたしの心を守りたかった気持ち”そのものだ。

痛みを避けようとするのは弱さじゃない。
苦しみを感じるのは、生きている証だ。

そして何より、
あのとき「いっそロボットになりたい」と願ったわたしは、
本当はただただ――

優しすぎた。傷つきやすいほどの愛を持っていた。

その心があったから、
今わたしは料理で、歌で、言葉で、
誰かをそっと救うことができている。

感じることから逃げたかった子どものわたし。
でも、感じる力こそがいまのわたしを
“神の子ども”へと連れ戻してくれた。

ロボットにならなくてよかった。
わたしの心は、ちゃんと痛んで、ちゃんと震えて、
そして今、誰かの痛みを抱きしめられる。

それこそが、
わたしが生きてきた理由だったのだ。