幸福な降伏と、
あきらめの違い
私たちは
「人生にはいわゆる不幸や
困ったことは起こりうる」と
どこかで分かっていながら
許したくない、
認めたくない、
極端に恐れていないでしょうか?
ネガティブなことが起きた時、
どうしてこんな不幸が自分に起きたのかと
許せなない気持ちになる。
私たちは、
「悪い」というレッテルが貼られると、それらを変えられなければ苦しくなり、
「良い」というレッテルが貼られると、それが変わろうとすると苦しくなる。
決して、犯罪を許そうということではないし
わきでる感情や想いを我慢しようということではない
もしも
「不幸」は起きることもあると
心から、
恐れずに、
愛を持って理解していたら?
それは自由で、とても幸せではないでしょうか?
夫が25年勤めた会社を辞め、鬱と発達障害で働けなくなった途端に
収入が無くなってしまいました。
生活保護も体験しました。
まさかこんなことがおこるなんて思いたくないし、
起こってからも予想がつかないからわからない。体験したことないもん😅
こうなってはじめて夫に感謝しましたし、親にも感謝しました。
遅っ笑っ😅
私は幸せだったなぁと思いました😊
失って分かることあるんだよね😊
ダーリンが
あのまま無理をして夜勤で16時間、休みなしの生活をしてカラダも心もボロ雑巾になって
死んでしまったかもしれないより
今は命あって
一緒に過ごす時間があるんだから幸せだよなあ~~😊
ただし、良いことばかりでなく金銭面では厳しいし、
やりたいことができないジレンマがあります。
現実を思い通りにコントロールできないことは
苦しいこともあります!
現実的にも、収入がたたれることや、病気、ケガなどの痛みには不安を感じる!
それは人として自然なこと
私も自然に「困ったな~。」
という思いが沸き上がります。
ところが、なぜだか
私はとても、落ち着いていて
そして
「大丈夫だ。」とそう思っています💖
そして心の底から、幸せを感じています💖
決して誤解のないように、そのままあきらめようとか、
何も対策しなくていいんだとか、
そういうことではないです!
ポジティブなことだけ信じようねってことでもありません。
でも、
いわゆる困った事、
不幸なことは起きることもある、
そう愛を持って理解していたら、
私たちは積極的に現実を受け入れ、
そして前向きに突き進むことができます。
ハートは「起きることが起きた、さぁ、次は何をしよう」と語りかけるだけ。
心に従う時、
人生は元々、とてもシンプルなんですね。
例えば、新築のリビングルーム。
私たちは、汚れない、ホコリ1つない、壊れない、
完璧な部屋を求めてしまいますが、
自然の摂理通り、自然とホコリはたまり、
段々と色あせてきますね?
それは人生も同じではないでしょうか?
希望とは違う事、
何かに失敗してしま事、
誰かと思いが通じな事、
それはとても自然なこと‼️
幸福な降伏は、お部屋は汚れることもある、壊れる事もあると
愛を持って受容しており、
そして前向きに行動します。
もしくは元々ひっかからないため、
問題にもしないでしょうね。
汚れたら掃除し、壊れたら修理し、
自分の不安を整理して解決策を見つけ、素晴らしいそうじきを手に入れるかもしれません。
または、汚れても必要以上に気にならないでしょう。
ところが執着を伴ったあきらめは、こう語りかけます。
「何度掃除しても汚れるなんて。どうせ私は変わらないんだ、自分はダメなんだ、この汚い状態のままでいよう。」
「私はホコリに人生を邪魔されている。どうせ私は力がないんだ。」
「部屋は常にピカピカであるべきだ!だから部屋の方が在り方を変えるべきなのだ、私の思いを受け入れなさい!」
相手がお部屋だと、なんだかおかしく思えるかもしれませんね。
だけどその方が、私たちが人生で何をしているかがよく分かる。
例え問題の相手がお部屋であろうと、
仕事であろうと、
家族であろうと、
自分だろうと、
私達はいつも同じように語りかけている事に気がつくでしょう。
もちろん、受容できないこともたくさんありますよね。
それを無理に忘れようということではありません。
そして1つずつ思いを捨てて行ったとき、
平和で、自由で、前向きに人生を切り開いていける!
わたし大好き💕
みんな大好き❤