おーちゃん流・光と闇の受け入れ方
私は昔、
光だけで生きようとしていた。
明るく。
前向きで。
ちゃんとしていて。
弱さのない人で。
闇は、
消すものだと思っていた。
見ない。
触れない。
なかったことにする。
でも、
それは無理だった。
闇は、
追い出すほど
大きな音を立てて戻ってくる。
人生が教えてくれた。
光と闇は、
敵同士じゃなかった。
表と裏みたいに、
最初から
一緒に存在していた。
生まれた瞬間に
死が生まれるように、
美しさを知った瞬間に
醜さの概念が生まれるように。
どちらかだけの世界は、
存在しない。
おーちゃん流・光と闇の受け入れ方は、
闇を好きになることじゃない。
無理に肯定もしない。
ただ、
そこに在ることを認める。
それだけ。
闇を排除しようとすると、
人は
自分を分断する。
強い自分だけを生かして、
弱い自分を切り捨てる。
でもね、
弱さを知らない人は、
優しさを知らない。
孤独を知らない人は、
つながりの尊さを知らない。
絶望を通っていない人は、
希望の重さを知らない。
闇は、
光の価値を
教えてくれる存在だった。
自分のダメなところ。
カッコ悪いところ。
見たくなかった感情。
それらを
「消さなきゃいけない欠陥」
だと思っていた頃、
私はずっと苦しかった。
でも、
こう言えた日があった。
「それも、私だよね」
好きじゃなくていい。
誇れなくていい。
ただ、
否定しない。
それだけで、
心に余白が生まれた。
余白が生まれると、
不思議なことが起きる。
闇だったはずの場所から、
人間らしさがにじみ出てくる。
弱さは、
魅力になる。
不器用さは、
あたたかさになる。
傷は、
人を抱きしめる力になる。
光は、
闇があるから
輝ける。
闇がなければ、
光は
ただの白になる。
私は今、
光だけの自分になろうとは
思っていない。
闇も含めた
全部の自分で
ここに立つ。
それが、
一番自然で、
一番強かった。
光と闇を
両方抱えて生きる。
それは、
弱さじゃない。
成熟だ。
それが、
おーちゃん流・光と闇の受け入れ方。
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