「うまい文章」の書き方について、うまくない文章で語る | 主食はバナナです

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「うまい文章」って何だろうとよく考えています。
難解な単語を飛び交わせたり、豪華絢爛な形容詞をベタベタに塗りたくったり、
簡単なことをわざわざ分かりにくくして煙に巻く行為は、
「うまい文章」から自ずから遠ざかっていく結果に帰着するでしょう。

かといって全てが理系論文のような事務的な文章では、
ちょっと味気ない気がします。
(シンプルだし客観性があるし清潔な文章だとは思いますが)

最近思いついたのは語と語の無限の組み合わせに想像力を働かせるのが、
「うまい文章」を書くには重要じゃないかということです。

僕が文章を読んでいて「おっ」と思う瞬間は、
名詞や形容詞、名詞や動詞などの語の組み合わせ方が普段とは違っているときで、
そんなときは珍種の生き物でも発見したかのように足を止めてしまいます。

しかも意外な結合によって生まれたもの同士が更に順々に手を繋いていく結果、
語と語の奇抜な結合が多重構造を形成することで小気味の良い変拍子を刻み、
加えて通奏低音として力強いメッセージが響き渡っている、
そんな文章に出会ったときは頭がクララのようにクラクラしてしまいます。

つまり『こんな珍しいパーツ持ってるんだぜ』という自慢では駄目で、
『そこにそのパーツを使っちゃうんだー面白い』とか言われながら、
かっこいい城とか船を作っていくのが理想なのです。
まあ今のはLEGOの話ですがね。

そもそも文章というのは単なる文字の羅列に過ぎないですよね。
単一では意味を持たない記号同士の関連性から意味というものが浮上してきて、
その意味と意味との関連性からいわゆる『行間』が読者の頭に幽霊のように突如現れる。

猫がキーボード上を歩いていたら小説が書ける可能性も0ではないし、
結局は0を1にするような作業ではなく、組み合わせ方の問題なんだよなあ。
だから『うまい文章』を書くのは原理的に不可能な話ではないですよね。
イマジネーションを飛翔させ東奔西走させねばならぬ。


ちなみに今までうまい文章をカッコつきにしてきたのは、
文章が上手いor下手だという話は単なる技巧の話であって、
文章を書く上で本質ではないな~と感じているからです。

本当に伝えたい強い気持ちやメッセージがあれば、
技巧の話とは別次元で読み手の心を揺さぶるわけです。

残念ながら今の自分の中にはそういう強い気持ちや衝動が存在しない。
立派な入れ物を必死に作ろうとしているが、何を入れたいのかが分からない。
入れるものの寸法が全く分からないのに、固液気のどの状態なのかも分からないのに、
入れ物だけを作る意味はあるのか。

だんだん抽象的で無益な自問自答になってきたので、この辺で筆を置きたいのだけれども、
筆など持ってはいないし、キーボードは既に置いてある。
何を置いたら文章を書き止められるんだろう。
ちょっと思いつかないから、セオリー道理に筆を置くことにしますので、
置くための筆をコンビニに買いに行くために文章をここらで止めます。