実家が半世紀もお世話になった日本板硝子が大変なことになっている。会社大好きで社歌が十八番だった父は1970年頃から当時はまだ珍しかった海外駐在員としてマレーシア、イラン、ハワイで勤務。私は10代のほとんどを父にくっついて転校した帰国子女だ。板硝子のお陰で育ったと言っても過言ではない。父は建物や車に使われる強化硝子とお酒などを呑むクリスタルガラスのクオリティには厳しく、子供の私を捕まえて鉛の量など作り方を熱く説明していた。昭和の典型的な猛烈社員だった。父が亡くなって20年。下がり続けた株も売らずに私としては応援して来たんだけれど。草葉の陰で父はさぞ嘆いているだろう。私の中の昭和が終わった。