若いつもりでも流石に

最近は病院に行くことが増えた。

ここに来ると周辺のお年寄りと

看護師さんとの会話を

興味深く拝聴する。


名前を聞かれても

誕生日を聞かれても

おしゃべりが止まらないおばあさん。


予約の前日に血液検査に来て

明日はよろしくと

受付で帽子を取って

お辞儀するおじいさん。


コロナ前よりは減ったが、

相変わらず混んでいる病院。


3年前姑(84)が先になくなり、

ショックの中で舅は大腿骨骨折。

それをきっかけに舅の体調が下降。

わずか2年半の間に

5つもの病院にお世話になった。


今年の夏、吐血で緊急搬送された時は

熱が伴っていたこともあり、

コロナも疑われたのだろう。

搬送先が1時間ほど全く決まらずだった。


応急処置だけはしましょうと

聖路加国際病院が言ってくれて、

数時間、酸素吸入などの

処置をしていただいた。

ところが入院は無理だと。

引き取り先が決まったのは

なんと6時間後だった。


また救急車で搬送され、

行ってみると、

建物は立派なのに、

しーんとした

都内の中堅の病院だった。


コロナ患者は受け入れない、とある。

交通事故と老人の救急が専門とのこと。

こんな流行ってなさそうな病院で

助かるのかしら?と思った。


もちろんコロナで面会不可。

私は舅が

どんな病室にはいったのかも

確認できないまま、

個室料金を支払った。


すると何と!

舅は一晩で元気を取り戻し

2週間後には

元のホームに元気に戻れたのだ!


病院は見かけじゃわからない?(笑)

老人の寿命もわからない。


それから3ヶ月、

舅はホームの廊下を

車椅子ですいすい走り、

ヘルパーさんに

コーヒーお願いします〜と

ねだるまでになったのだ。


92歳。

もしかして不死身か。

と逆に青くなった。


毎月のホーム+介護費が

35万近くかかっていたのだから。

切実だったのてある。


しかし、先月再び吐血。

今度は大変に混雑している

中堅の病院が

受け入れてくれた.

救急車内で10リッターの

酸素吸入しても、

12リッターにしても

ダメだったようで、

早朝の救急対応で

孤軍奮闘していた中村医師が

かなり厳しい、覚悟してください、

と言って、

病室に入る前の舅に

廊下で会わせてくれた。


その時も

きっとまた舅は

元気になってホームに戻ると

変に確信していた。


が、二日後、

夫も私も仕事が休みになるのを

待っていたように、

舅は息を引き取った。


舅がお世話になった病院は

全て素晴らしかったけれど、

最後にお世話になった

墨田区の中村病院は

特に忘れられない病院になった。


救急搬送でなかば偶然に

たどり着いた病院だったが、

まず、院長の中村医師が素晴らしい。


私たちは4日の間

計3回ほど病院に行ったが、

この中村医師、

いつも病院にいらっしゃるのだ。


感心して、院長先生、

いつもいらっしゃいますねーと

思わず看護師さんに言ったら

働いてばかりなんです〜と

笑っていました。


看護師さんたちスタッフも、

素晴らしい配慮だった。

舅を霊柩車で田舎まで

85キロ搬送したのだが、

院長が手配を

スタッフに指示してくださり助かった。

この場をお借りして

お礼をもうしあけたい。


舅姑を介護し、看取る中で

病院に預けられっぱなしらしい

お年寄りも多数目にした。


健康寿命という言葉があるけど、

いくら長生きしても、

ねたきりだったり、

家族から離れたままだったりでは

何のための長生きだろうか?


医療が進んでも、

病院通いばかりでも意味がない。


健康管理しないとなあ。

診察を待つ間に、

このブログが書けてしまった。


やはり病院は混んでいる。

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