今日、義父(92)の様子を

ホームに見に行ってきた。

義父は元役人で、

義母が銀行員だったためか、

堅実に貯金をしていたので、

世間で言う

「決して安くはない有料老人ホーム」にいる。

 

都内の瀟洒なマンション風の建物で、

義父の終の住処を夫と二人で

あちこち見学している間に一目惚れした。

このホームに落ち着いて

半年ほど経った去年の1月末

「コロナ」がやってきた。

この「変なウイルス」が中国ではやり始めて以降、

義父の個室に入ったのは一回だけ。

防護エプロンなどを身にまとって、

夏物と冬物の入れ替えなど、

30分ほどで一気に片付けた。

 

この2年近くの間、

面会は会議室で15分だけと言う

異様な状態が続いている。

長男の嫁の私は一月に一回だけ

様子を見に行っている。

 

5歳年下の妻を亡くし、

四十九日の法要を終えたあくる朝、

大腿骨を骨折。

手術とリハビリで3ヶ月入院した後は、

よちよちと歩けるようにまで

奇跡的な回復を見せたものの、

自宅での24時間介護はとても無理と感じ、

義父を老人ホームにお願いした。

 

一昨年の十月からこの2年の間に、

合わせて3回緊急搬送され、

3回とも助かった。

昭和四年生まれ。

不死身じゃないか?と思うほどの

生命力なのである。

 

今は車椅子に乗せられたまま

足先だけで床を蹴って、

不思議な生き物のようにスイスイ移動する。

手はなんとか動くので、

流動食を自分で口に運んでいるらしい。

今日、いつものように

コーヒーを入れて義父に手渡そうとしたら、

ケアマネージャーの由美子さんが

「とろみをつけてきましょうね」と言って

持って行った。

そうか、コーヒーまでとろみをつけないと

また誤嚥性肺炎で緊急搬送か・・・

 

最近は一人暮らしの母(85)の物忘れが

極端にひどくなってきた。

おとといは一階のリビングで夕食の間に

2階に置いてあった携帯に

11回もの着信があったので、

びっくりして電話したら、母は

「全然電話に出ないじゃない」と私を責める。

「携帯じゃなくて、

電話にかけてくれれば良かったのに」と言うと

携帯だけにかけ続けていたことに

やっと気付いたようだった。

つまり、一時的にしろ

携帯と、普通の電話と

連絡経路は二つあることを忘れていたらしい・・・

 

とどのつまりは

母にしても、義父にしても、

人生、80歳すぎたらもう

「生かされている」状態で、

社会がどうなろうと、関係なくて、

とにかく元気で

楽しく居られたらそれでいいや、みたいな・・・。

 

私も健康寿命は長くてもあと20年、

どういう風に締めくくるのか?

色々と考えてしまう。

そもそもの問題は、一体、

自分はどこで「引退」したら良いのだろう?

この「引退」は「幸せな隠居」なのか?

「諦めて社会から去る」ことなのか?

という素朴な疑問というか、こだわりだ。

 

役員になれず、

組織人としてはすでに「定年」に達している

つまり「終わっている」自分が、

どこで「働く」ことをやめるのか?

どこで「社会と関わる」ことをやめるのか?

やめられるのか?

 

もちろん老後も頑張って

いろんな仕事をして居る人はいる。

 

自分の今の状態は

生活のために働いているというより、

社会と繋がっていることだけを気にして、

そう大した能力もないのに、

「まだ働ける」

否、「まだ社会に必要とされている」と

思いたいだけなのかも?

 

巷の様々なアンケートの年齢の欄に

「10歳以下」「10代」

「20代」「30代」・・・とあって、

最後に「60代以上〜」とか

十把一からげ的にカテゴリーが決められている時、

60歳ちょっとすぎも、

95歳も、若い人にとってみれば

同じなんだなぁ〜

社会としては私たちは

「お荷物の部類」なんだなぁと。

思わざるを得ない。

 

自分ではまだ第一線でいるつもりでも、

若い人たちに

「まだこいつは使えるから

見逃しておこう」的な

お情けで生かされているような気もする。

 

もちろん、世間のあちこちに

60代、70代でも

企業のトップだったり、

研究職として立派な功績を持っていたり、

年齢関係なく、

社会をリードしている人たちはいる。

 

80すぎてもやめない政治家は

役に立っているとは言い難いが。

 

一方で、「年金生活」に頭を切り替え

悠々自適な同世代も沢山いるのだ。

 

特に主婦の場合、自分は60歳前でも

ご主人が年上で、既に定年している人も多く、

夫の定年イコール「自分の老後の始まり」と

とても自然に年を重ねている様子だ。

 

自分はサラリーマンだったけれど、

52歳でフリーランスになったために

局の同期が次々に定年に達し始めた去年、

いよいよ自分も「定年」なのだと

初めて意識した。

おまけに元の職場で

現役時代とほとんど変わらない仕事をしているため、

区切りがなかったものの、

ふと「OG」であることが

寂しくなるような場面は少なくない。

現役じゃない。

これは元サラリーマンには

とてもきつい。

 

そういえば

会社を定年になって

行き場がなくなって

妻に頼るしかない夫を

「濡れ落ち葉」と

形容した時代もあったっけ。

 

会社という「木」に

まとわりついている自分は

まさに「濡れ落ち葉」だ。

 

昨日から十月に入り、

民放各社のテレビ番組の内容が

ガラリと変わったが、

ぼーっとテレビを見てると、

テレビ自体が50代までを

対象にしていて、

60歳から上の世代は

ターゲットから

外されているような気がしてならない。

 

よく内容がわからないというか、

知らない人もいっぱい出てきて

面白いと思えないというか・・・。

 

作っている人たちが

バリバリの30〜50代なんだろうなぁ。

内容が若いなぁ。

 

ディズニーランドに久々に行ったら、

インターネットで予約を取るまでは

なんとか出来たものの、

そのあとは全部19歳の娘まかせ・・・

 

チケットを携帯の画面に出して、

ピッと入り口で機械に

読み取ってもらえるようにして入場、

あちこちの乗り物の順番をアプリで予約して、

レストランもアプリで予約して・・・

 

いや、実はスーパーでもどこでも

ポイントカードが「アプリ」に組み込まれて

探し出すのに時間がかかるし、

見つからなくて

「ポイント、いいです〜」と

諦めることも多い昨今なのだ。

 

社会について行っているつもりでも

立派に遅れているではないか。

遅れていることにすら

気づかないこともあるようだ。

隣で娘の顔が「あ〜あ」と嘆いている。

 

私、拗ねているのかなぁ?

年取ったのかなぁ。

気のせいかなぁ?

 

同世代の皆さんの

ご意見を伺いたいものです。

悩めるおば羊より

m(__)m

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