いよいよ始まりました。

一時は本当にどうなることかと心配しましたが、

いざ、始まってみると、

次々に日本選手が金メダルを獲得して、

ワクワク、ドキドキの大会になっていますね。

 

自分の国でオリンピックが開かれるって、

全然違うんですねぇ。

これまで人生でいくつかテレビで見てきたし、

1992年のバルセロナ五輪は

現地で取材しています。

32歳になったばかり。

社会部のテロ警戒担当記者として

開会前の準備段階から閉会式まで

2ヶ月近い出張でした。

 

ちなみに

今書いた通り、私は社会部記者です。

スポーツは全くと言って良いほどわかりません。

小学校時代のリレーは補欠ばっかりだったし、

小5までやっていた空手は

7級までしか到達しなかったし、

大学時代のテニスは合宿もコート取りも苦手で

そもそも「勝負」とか「相手を叩きのめす」

みたいなことが性に合わなくて、

最終的には幽霊部員になっちゃったし、

アラサーで始めたゴルフは

30年間もBM(ブービー・メイカー)

社会部コンペではいつも最下位です。

 

本題に戻ります。

バルセロナの燦々と降り注ぐ太陽のもと、

競技が始まり、私もあちこちの競技に

取材に「行かされました」。

 

ます洗礼を受けたのが

「Dream・Team」の会見の取材。

会見が全部英語ということで、

帰国子女の私が行くことになったわけですが、

出かける直前に

私は思い切って聞きました。

「どりーむちーむってなんですかぁ?」

先輩たちは呆れて言いました。

あのねぇ〜〜バスケの夢のような選手たちが

集まったアメリカのチームだよ、

だからDream Team なんだよ!と。

NBAのプロのバスケットの選手たちが

五輪にも出られるようにルールが改正されたのが

バルセロナ五輪からだったのです。

Magic Johnson、Michael Jordan という

超有名なレジェンドたちが

揃って出場することになり、

会見場が取材陣でいっぱいになりました。

中はもうアメリカ。

バスケットボールの巨大な選手たちが

ずらりと横に並んでいました。

私は会見ではもう上がっちゃうし、

英語の記者会見なんて初めてだし。

選手の名前と顔すら一致しない私には

何が何だか。さっぱり・・・

 

今もNBAと聞くと

当時の苦い思い出がこみ上げてきます。(泣)

###続く