このブログは先輩、

川端義明元NHKアナウンサーの

ブログをフォローして書いています。

先に川端さんの「アナウンサーの仕事」を

読んでくださると、

よりわかりやすいと思います。

 

さて、NHKアナウンス室に

衝撃が走った昭和59年、

その年に就職した私が出会った

レジェンド(偉人)のことを

一つ前のブログに書きました。

 

さて、お待たせ

川端アナウンサーについてです。

 

川端さんといえば、「ニュース7」の顔。

NHKを代表する

「NHKニュースキャスターらしい

ニュースキャスター」です。

冷静沈着な表情で

淡々と正確に原稿を読むという

イメージをお持ちになっているでしょう。

 

ブログにご自分でお書きになっていますが、

アナウンサーの中のアナウンサーという

川端さんにも

「記者として」仕事をされた時代があったのです。

 

私は3年間、名古屋局報道部で

愛知県警記者クラブの

名簿上は最初の女性記者として

名古屋市内の17署(当時)を担当する

「署回り」を2年、

「遊軍」を1年担当しただけの駆け出しでしたが、

報道局が鳴り物入りで立ち上げた

「特報部」という

政治部、経済部、社会部、国際部、スポーツ、

記者、カメラマン、アナウンサーという

別々の部門から

横断的にメンバーを集めた部署に

いきなり異動しました。

そしたら記者の先輩の中に、

テレビで見慣れていた川端アナウンサーが

紛れて?座っているじゃぁないですか。

 

記者の先輩たちは

「これからはアナウンサーも

自分で取材するんだって」と

ちょっと不思議そうに見ていましたが、

当時30代後半で

いわゆる脂が乗った状態のアナウンサーだった川端さんは

すごくクールな表情で仕事をされていました。

私は別にアナウンサーでも

取材したい人は取材すれば良いのでは?と

単純に受け止めていましたが、

側で見ていても、

川端さんは周りの記者に負けまいと

必死だった印象です。

「アナウンサーは読むだけじゃないぞ」と

背中に書いてありました。

 

事実、

特報部に送りこまれてくるアナウンサーは

優秀な人が多かった。

若い頃から修行して来た訳じゃないのに、

全く遜色なく、まるで入局時から

記者をやって来たように

溶け込んでいるように見えました。

 

でもおそらく、

アナウンサーとして生きて来たのに、

という思いはあったのかな、と

今になって思います。

 

この部を横断した「特報部」は

NHKのパワーポリティックスの歴史の中で、

ある人が失脚すると同時に

たちまち消えて、

それぞれの特報部のメンバーも

「実家」である元の所属に

戻ったのでありました。

 

その背景にはどんなことがあったのか。

私は女性記者の二期生として

毎日やっていくのに必死で、

局内の人事にはまるで無関心でしたが。

 

私より8〜9年も年次が上、

おそらく全ての事情がわかっていた

「大人」の川端さんには

しんどい時代だったのかもしれません。

 

川端先輩は放送に携わる人間の

「鼻濁音」が忘れられていることについても

ブログで嘆いておられますが、

今の時代、

記者がアナウンサーみたいなことをしたり、

アナウンサーが記者みたいなことをしたり、

だけではなくて、

個人がどんどんYou Tube で発信したり、

小さなニュースサイトもどんどん出来ています。

その中には鼻濁音どころか、

日本ごが怪しいものも含めて

もう玉石混交で、情報が出ている訳です。

誰でもがメディアで

意見を述べたり、特技を見せたりする時代、

それはそれで素晴らしいことでしょう。

でも本来は「プロ」のはずの自分たちは

今のこのSNS全盛期の中で

どうやって持ち味を出せるのか?

大量の「素人さん(失礼)」の出現の中で

プロとして、何をするべきか?

色々と考えてしまいます。

 

日本のテレビ放送が始まって80年。

自分ももう歴史の一部になるほど

古くなってしまいました。

忘れないうちに、

今後も書き残して行きたいと思います。

乞うご期待。

 

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