川端義明元NHKアナウンサーのブログ

「アナウンサーの仕事」に情報をフォローします。

 

川端さんがおっしゃっている

「アナの世界に激動が起きた昭和59年」

私はNHKに記者として採用されました。

 

そうです、当時のNHKでは

まさに記者出身の磯村尚徳さん、

木村太郎さん、

平野次郎さん、が

いわゆる3大看板でした。

総合テレビ夜9時の

NC9 エヌシーナイン、

「ニュースセンター9時」を

磯村さんが初代キャスターとして務められ

お二人が順番に引き継いで行ったのでした。

その看板ニュースは

現在も「ニュース9」として放送しています。

 

もちろん、私は入ったばかりで、

川端アナたちが焦っていらしたのは

全く知る由もありませんでした。

が、せっかくNHKに就職したのに

看板アナの森本さんがNHKを去られて、

TBSさんの番組「東京マガジン」に

出演されるようになったので、

遅ればせながらNHKに入った人間としては

何となく寂しかったことは覚えています。

 

報道局の記者として

三大看板だった磯村さんたちについても

記録のつもりで書いて起きます。

磯村さんはNHKの入局試験の時、

最後から2番目の面接官でした。

部屋に入ると磯村さんがいて、

「君はなぜジャーナリストになりたいのかね?」

みたいなことを聞かれたと思いますが、

磯村さんがポケットの小銭?らしきものを

終始チャラチャラ鳴らされていたんです。

それが気になって気になって。

あれはフランス風の癖?

私との面接がつまらなかった?

よくわかりませんがとにかく音が気になった・・・(笑)

でも面接は合格しました。

それ以降は磯村さんは偉すぎて、

廊下でお見かけする程度だったと思います。

お誕生日を確認したら、

なんと私の義理の父と同い年。

つまり今年の夏には92歳になられます。

お元気でしょうか?

 

ちなみに最終面談はのちの会長になられた

シマゲジこと、島桂次さんでした。この話はまた別途。

 

さて、三大看板の二人目、

木村太郎さんも

テレビ局に就職したかった私にとっては

まさにレジェンド、伝説的な人物でした。

フジテレビのキャスターや

コメンテーターとしておなじみですから、

NHKの記者だった「過去」を

ご存知ない方も多いのかなと思います。

 

初めてお会いしたのは

私が入局4年目の終わりに恐れ多くも

木村さんがメインキャスターをされていたNC9の相棒、

宮崎緑キャスター(当時は慶応の院生だったと記憶)の

あとを継ぐことになった時に

スタジオにご挨拶に行った時だと思います。

木村さんは「あぁ〜君かぁ」みたいな反応でしたw。

宮崎さんは外部の方だったので、

会釈しただけで、引き継ぎはありませんでした。

何しろ「日本の女性ニュース・キャスター」の第一号です。

私にとってはただ眩しい存在で、

綺麗な人だなぁ〜と口を開けて眺めてしまいました。

 

話が前後しましたが、

木村キャスターのあとを継いだのが

平野次郎さんです。私の憧れの存在です。

何を隠そう、

私は中学3年の時にテレビで平野さんをみて、

無謀にも「この人みたいになりたい」とほざいて、

その夢を抱いたまま

NHKを受験したのでしたm(__)m

 

平野キャスターの夜9時の番組は

「ニュースTODAY」という名前でした。

当時は私は28歳かそこらで、

記者になって名古屋ローカルに3年いて、

いきなり「報道局特報部」という、

政治経済社会国際を横断した

とくダネ記者集団のグループに異動させられ

訳も分からず毎日必死で

先輩たちの真似をして

駆けずり回っている状態で、

そんな中である日突然上司に呼ばれて

「君には、4月からNC9やってもらう。

評判が悪かったらすぐに降りてもらうから」

という業務命令を言い渡され、

え?私、まだ4年生ですが・・・と

ボーゼンとなっていた訳です。

 

平野さんに憧れて

なんとか局に入ったら

同じ番組を担当することになるなんて!

今思えば、夢が叶った訳です。

と同時に、大変な重責を

担うことになった訳ですが、

それすらもよく分からないというか。

話がでかすぎて、

私は自分に起きていることが

よくわかっていませんでした。

 

地方局での見習いみたいな修行を

やっと3年間やっただけの記者が

東京の本部の中枢に上がって来て

わずか2年で

看板番組のメインキャスターですよ。

あるアナは私に、

「(あなたなんかがメインキャスターなんて)

局は一体、何を考えているんだろうね?」と

言い放ち、数年後に局を辞めました。

 

川端さんが書かれていた

「取材ができないアナはいらない」という事象の

真っ只中にいた訳です。私は。

 

川端さんが感じた「衝撃」は

私のようなペーペーの記者が

いきなりメインキャスターにされた事も

もちろん、あったのだと思います。

私は私で、幸か不幸か、

NHK女性記者出身の

ニュース・キャスターとしては第一号で、

ファーストペンギンだったのですが、

当時の私は周りからの圧力に耐えるだけで必死。

とにかく毎日、番組に出るだけで必死。

うつ寸前の低空飛行で、

キャスターという仕事を

全く楽しめませんでした〜〜。

 

川端さんが書かれているように

川端さんは特報部に送り込まれて来た

「有名アナなのに記者として修行した」

ファーストペンギンで、

私にとっては強烈な印象があります。

長くなりましたので、次のブログに書きます。

 

川端アナのファンの皆様、

ぜひ次も呼んでくださいませ。

 

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