(長文注意)

 

姑(享年84)が亡くなって丸2年が経った。

一階と二階に

世帯が分かれている二世帯住宅とはいえ、

姑とは20年も一緒に暮らしていた。

会いたくない日もあったけれど(笑)

ほとんど毎日、顔を合わせていた。

 

しかも姑が亡くなるまでの10年強は、

一人息子の夫は単身赴任中。

私がこの家で

舅姑と娘の面倒を見てきた。

 

近所の皆さんの中には

私が舅姑の実の娘だと

思い込まれている方も多いようだ。

それでも私は

姑の肺がんに気づけなかった。

 

姑が初めて「体調が悪い」とわかったのは

5つ年上の舅が

毎月通っていたH診療所に付き添う中、

自分もついでに診察を受けたのだった。

 

3年間で初めての

レントゲンを撮影して、

医師はびっくり仰天したらしい。

すぐにタクシーを呼んで、

キョトンとする舅姑を乗せ、

すぐ近くの大学病院に送り込んだのだった。

 

3年も主治医と思っていたのに、

レントゲンすら撮っていなかったとは。

怒りがこみ上げる。

 

医師はレントゲンの影を見て、

姑がすでに肺がんで、

末期だったことに

この時点で初めて気づいたはずだ。

 

そして、

大学病院で最初に診てもらってから

4ヶ月も経たないうちに姑は亡くなった。

 

「がん告知」は

大学病院病院の医師もためらったらしく、

肺には水が溜まってけれど、

その度に抜くことにして、

家で療養してはどうかと勧めてくれた。

 

「肺がん」の末期で、

すでに片方の肺は水でいっぱいだったらしい。

抗がん剤を使っても、

既に手遅れになっていた。

 

当時の私は H診療所の医師同様、

まさか姑ががんになるとは思っていなかった。

姑の母親が88歳で膀胱癌を患い、

手術しても93歳まで元気だったからだ。

「がんで死ぬ家系ではない」と

姑は大変な自信を持っていた。

 

だからましてや

「肺がんで84歳」で亡くなるとは

全く想像していなかった。

 

むしろ、89歳の舅がヨボヨボで

姑と私は密かに葬儀の相談まで

していたところだった。

 

なぜ重篤な病に

気づかなかったのか?

 

端的に言えば、私が「嫁」で

実の娘ではなかったからに尽きる。

仲は悪くなかったし

毎日顔色を見ていた。が

義母は近所のH診療所の医師を

なぜかぞっこん信じ込んでいて、

私が大学病院を勧めても

全く聞き入れなかったのだ。

 

実は姑は

70歳になった十数年前から

夜眠れなくなってきて、

次第に睡眠薬に頼るようになっていった。

 

この睡眠薬というのは

ご承知の通り、

自殺に使われることも多々あり、

どこの病院も処方にはとても慎重だ。

 

義母はどんどん眠れなくなってきて

自分のために処方された

睡眠薬だけでは足りなくなり、

義父にも「眠れない」とH診療所に申告させ、

二人分の睡眠薬を

まとめて処方してもらうようになって行った。

当然、こういう「ズル」は

ちゃんとした病院なら認めなかっただろう。

 

姑はとにかく睡眠薬欲しさに

H診療所に通い続けていたのだ。

 

3年間も。

 

睡眠薬はやめたほうが良いのではと

何度言ってみたか。

自分の母親だったら、

大ゲンカしてでも睡眠薬を取り上げて

捨ててしまっていたと思う。

でも嫁だった私には

姑が宝のように抱えていた睡眠薬を

取り上げることが出来なかった。

 

一人息子の夫は無関心だったし、

やめろと言ったにしても、

多分、聞かなかっただろう。

 

肺がんになると、

大変に呼吸が苦しくなるそうだ。

他のがんなら痛みを

モルヒネで和らげる手法が取られる。

ところが息苦しいのは

モルヒネでは収まらない。

睡眠薬で眠ってしまうしかないそうだ。

 

姑がいつの頃からか

睡眠薬がないと眠れなくなったのは

老人性鬱とか、心の病とか、

そういうことではなく、

肺がんが広がっていたために

本当に息が苦しかったのだろう。

 

気づいてあげられなかった。

気づいた時には既に手遅れ。

少なくとも半年や一年前から

肺がんは少しずつ進んでいたのだろうか?

 

もし1年、あるいは2年前に

姑の異変に気付いて

あちこち病院に連れて行っていれば

肺がんを見つけて、

治療ができたかも知れない。

何しろあっという間に、

告知も受けないままなくなった姑。

友人たちに連絡もできず、

親戚にも兄弟にも

最後の挨拶もできず。

 

お礼を言ってしまうと

死期が近いことを

気づかれてしまいそうで、

私も何も言えなかった。

 

「ワタシは死んじゃうんじゃないのお〜?」

とサバサバと言っていた姑。

お別れを言わなかったのは

良かったのだろうか?

 

すっと引きずっている。

 

親御さんの病院選びは慎重に。

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