今月10日に姑の三回忌を迎えた。

 

あの日、未明に

姑が入院していた病棟から

すぐに来てくれと連絡があり、

ヨタヨタの舅(当時89)と

娘(当時中3)を叩き起こして、

クシーで総合病院に駆けつけた。

が、間に合わず

姑は静かに息を引き取っていた。

病室で、たった一人で。

 

あれからまる2年経ったのだ。

 

姑は末期の肺がんだった。

84歳と高齢で、

抗がん剤を使っても

余命は伸びないとのことだった。

 

抗がん剤を使わない以上、

私たちはただ、姑の命が尽きるのを

毎日のように見舞いに行きながら

待っているしかなかった。

本当にこれで良かったのか?

 

数えてみたら、

姑はガンがはっきりしてから、

わずか44日で亡くなっていた。

「終活」という言葉があるけれど、

私たち家族にとっても

突然のことだったし、

姑は心の準備すらせず

亡くなってしまったわけだ。

 

がラーンとした病棟の待合室で

舅は呆然自失。

嫁の私は当時山口に単身赴任中だった

息子(夫)と田舎の親戚への連絡に追われていた。

娘はクールに舅と私を観察していたようだ。

 

葬儀の手配をしていた私に

眼科のT医師が

「献眼」を勧めてくれたわけだが、

84歳の姑の角膜を

この世に残すことを

私はたった一人で決断した。

 

舅がもしも茫然自失状態でなかったら

夫が立ち会っていたら、

「献眼」出来たのだろうか?

 

家から一番近い大学病院が

日本でも最大級のアイバンクだったことは

姑が県などからも感謝状を受け取って

あとで知ったことだった。

 

1月になると、

あの孤独な決断を思い出す。

嫁でしかない、

血が繋がっていない「他人の私」が

ほぼ独断で角膜を提供してしまった。

 

そして今、

姑が亡くなったあくる日、

2019年1月11日に

角膜移植を受けてくださった

東京と埼玉の女性お二人に

会ってみたいと切に願っている。

もちろん、献眼のシステムとしては

ドナーとレシピエントが会うことは

許されてはいないのだけれど。

 

姑の角膜は

役に立っているのだろうか?

誰かの眼の中で、

今も生きているのだろうか。

お二人にもしも会えたら、

姑に会えたような気がして

号泣してしまうだろうな。

 

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