コロナ禍の中、月に一回ほど、

有料老人ホームで暮らす

舅のところに面会に行っている。

 

日曜日午後、

15分の制限時間を終えて

帰ろうとした時、

舅が突然

自分の顔を指差しながら

「大ニュース、大ニュース」

という。

 

大ニュースって何ですか?と

驚いて聞くと、

「あのね、久子(亡くなった妻)の

銅像が建ったんだよ〜〜!!!」と

嬉しそうな顔!

 

(もちろん、姑の銅像なんて

建つはずがない・・・)

 

「いや、銅像じゃなくて、

石でできていたかな?」

「まだ見に行ってないんだけど

鴨川(房総半島)の、ほら、

ゴルフ場の裏の方だよ」

「親孝行だから建ったんだよ〜」

「親孝行したからって

ちゃんと書いてあったそうだよ」

 

ご機嫌で説明する。

親孝行じゃなくて、

夫孝行だったから

銅像が建ったんじゃないですか?という

私のジョークは理解できなかったようで、

舅の反応はなかったけれど(笑)。

 

5つも年下だった妻が

肺がんのため

わずか4ヶ月の闘病で亡くなってから

正月明けには2年になる。

 

姑の四十九日の明くる朝に

大腿骨骨折で救急搬送されて以来、

舅が自宅の寝床に戻ったことはない・・・

 

しかし舅はたびたび

姑の幻か、夢を

見ているようなのだ。

つい先日も

「妻が来ている」と言って、

廊下を徘徊して探し回った末に、

お隣の部屋に侵入してしまった。

ホームから電話をもらって

私は驚きを通り越して

ゾゾ〜ッとした。

 

とにかく仲良し夫婦だった。

仲良しというより、

舅は妻に全てを面倒見てもらっていた。

着替えや散歩は勿論、

姑は舅の歯ブラシに歯磨き粉をつけて

リビングの椅子に座っている舅に

はい、と手渡すほどの過保護だった。

 

姑が亡くなるまでの2ヶ月ほどは

私が舅を代理で介護していたが、

舅は電気ポットのどこを押せば

お湯が出るのかすら知らず

私は仰天した。

 

久子さん、

あなた夫を

甘やかし過ぎましたよ。

 

でも日々の生活を

妻に頼り切っていたからこそ、

今は亡き妻に

感謝しているという気持ちが

「銅像が建った」という妄想に

繋がったのでは?と思う。

 

100%ありえない事を

妄想している訳だが、

それでも妻を毎日のように

思い出しているなら

それはそれで本人は幸せだろう。

 

妻に先立たれた91歳の舅を

ずっと不憫に思って来たけれど、

妻がいなくなったことを忘れるほどボケて、

時には妄想が現実とごっちゃになって

楽しくしているなら、

嫁の私が心配する必要もないのかも。

 

ちょっと気が軽くなった。

 

舅のアタマの中で、

銅像になった姑。

きっと天国で

笑っている。

 

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