87歳が運転する乗用車が

池袋で横断歩道を渡っていた人たちをはね、

若いお母さんと幼い娘さんが亡くなってしまった。

このニュースを見た全国の人で

悲しまなかった人はいないだろう。

 

祖父母や父母のとろい運転に

日頃から危なさを感じているのに、

運転する当人が免許を諦めなくて

困っているお宅も多いに違いない。

 

3年ほど前まで、

私も舅のへぼ運転に悩んでいた。

当時舅は87歳。

全く運転をやめる気配がなかった。

毎月、お気に入りのドクターのいる病院に

小旅行気分で

夫婦で通い続けるためだった。

 

元役人で、

まだ「団体役員」という肩書きもあったため

本人は「現役」と勘違いしていたに違いない。

ノロノロ運転で大きな事故はなかったものの

1日に二回ぶつけたこともあった。

メタリックな車の四隅は見事に傷だらけ。

本人がマジックのようなペイントを

ちょんちょんと塗って

たくさんの傷を隠そうとしていた。

どうせぶつけるから

新車にしないのだと言って

車は12年目に入っていた。

 

世間で高速道路を逆走するお年寄りが

報道されるようになった頃でもあり、

いつどこで舅が大変な事故を起こすかもしれず

私は嫁の立場でありながら

遠回しに運転免許の返上をお願いしていた。

 

舅は私の言う事は全く「無視」だったと思う。

嫁に運転をけなされるなんて、

プライドが許さないのだ。

本人は若く、現役であることが自慢で、

周囲の高齢者よりは

まだボケてないのが

自慢で自慢で仕方がなかった人だ。

 

自分から免許を返上するなんて、

「老い」を認めることであり

「老い」に屈服することなのだ。

つまり「負け」なのである。

自分は不死身なのだ。

 

特に男性にはその傾向が強いと思う。

 

実家の母は

絶対に車が足として必要な場所に住んでいたが、

80歳を機に、すんなり運転免許を返納した。

ところが7つも上のはずの舅は

返納を頑固に拒否し続けた。

助手席に乗せてもらう姑も

車がなくなると自分が不便になるので、

夫には何も言わなかった。

怖いわぁ〜と言いながら

「でも死ぬときは二人一緒よね」と

安心して?乗っていた。

 

二人で死ねば怖くない?!

 

どこのお宅の親御さんも、

似たような感じではないだろうか?

 

多くの高齢者にとって

運転できること=若さの証明であり、

まだ自分は社会に参加しているという

心の拠り所になってしまっているのだ。

 

「運転をやめてほしい」という

イラつきにも似た気持ちは

舅が80を超えた頃からだろうか?

7年もふつふつと思いながら、

打つ手がなかった。

 

運転免許を返納してくれた時も

本当に渋々だったことを思い出す。

幸い、どなたも傷つけず

運転免許を返納して、すでに3年たった。

免許を返納して車を廃車してからは

私が運転手がわりにされて

それはそれでちょっと困ったが、

今回のようなニュースを目にするたび、

あぁ、うちは免許を返納した、よかったと、

心の底からホッとする。

 

高齢化とともに、

運転免許をいつ返上するかは

どこのお宅でも

ますます大変なことになってくるはずだ。

 

血が繋がっている家族は何かと甘く、

血が繋がっていない嫁には言い辛い。

 

免許返上に法的なルールを

導入するしかないと時代が来ている。

年齢で区切らないにしても

厳しいチェックをパスした人だけが

ハンドルを握れるようにしない限り、

今回のような

高齢者による悲惨すぎる事故は

絶対になくならない。

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