今月8日、一年ぶりのゴルフコンペでクタクタになった上、富士山の麓から4時間もかけて運転して帰ってきた夜中、「朋子さぁ〜〜〜ん」という叫び声で起こされた。

階段を上がってきた姑の頭にはカーラーが巻かれていて、長いガウンの前がはだけていた。表情がムンクの叫びのように見えた。ゾンビか!?と思ったほどのゆがんだ顔つきだった。

 

またつまんないことで呼びにきたのかな?お風呂の故障?電気がつかない?なんだろう?寝たふりしちゃうかなぁ・・・と思いながらベッドでもぞもぞしていると、姑は

「パパが変なの」という。うちには89歳の舅がいる。なんだろー、こんな夜中に?と思いながら重い体を引きずるように階下へ。

 

リビングに入った途端、びっくり仰天した。舅が椅子からずり落ちそうになりながら、激しい呼吸をしている。お腹がぺっこんと凹んだりまた膨らんだり。呼吸困難だ。このままではまずいと直感して救急車を要請した。職場から同僚を何人か搬送した経験はあったが、自宅に救急隊を呼ぶのは初めてのことだ。ガタイの良い3人の隊員が体重40数キロしかない小さな舅を運び込んでくれた。

 

そしていつも通院している大学病院へ。3時間ほど酸素マスクやら点滴やらをしていただき、話ができるほどに回復したものの、年齢が年齢だし、しばらく入院して様子を見ることになった。今年二回めの入院だ。

 

40日も入院した前回と違って、今回は舅は比較的大人しくしていた。前回はあまり体に自覚症状がない糖尿病の治療のための入院だったため、家に帰りたがって困ったが。そして10日後、舅は無事退院することができた。

 

さて、今日から週3日のお風呂の介護、週2日のリハビリが始まった。もともと自費でヘルパーさんに週2日きてもらっていたので、介護関係者だけで、毎週のべ7人が助けに来てくれることになったのだ。糖尿病食のお弁当の配達も昼夜、2業者に頼んでいる。計9人がうちの舅89歳姑84歳を見守ってくれるのだ。

 

嫁としてはふと思ってしまった。今回、呼吸困難を起こした舅をあのまま寝かせておいたらどうなったのか?と。病院で3時間かけて収まらせた呼吸が、まさか一晩寝ただけで治るとも思えない。もしかして、大げさに言えば、これは私が舅の命を救ったことになるんだろうか?

 

日頃の食事ひとつ取ってもそうだ。宅配のお弁当が昼夜届いているが、これの発注は嫁の私が全部行っている。たまに発注ミスでお弁当が届かない時はもう姑がパニックだ。宅配の弁当がなければ事実上、舅姑は生きていけないのである。

 

介護、介護と、気楽に呼んではいるが、私は「人の命に責任を」持っているのだろうか?そして老人を介護するときは、一体、どこまですれば良いのだろうか?

 

うちの舅はすでに力がなく、自分ではもう毎朝のインスリンが打てない。今は姑が必死で打っている。これを仮に姑が打てなくなったら、今度は嫁の私が打たなきゃならないのだろうか??仕事がある日は、朝8時半にはいないのに??舅は「長男の嫁」の力を借りてまで、生きたいのか?生きるべきなのか?

 

色々と考えてしまう・・・