ウムは私が社会人になった年に産まれたそうで、ほとんど同期だ。地方局で三年勤務したのち社会部に異動してまもなく、オウム真理教から、「教祖が修行のため土の中に数日潜るので、取材しないか?」というfaxを受けた。仰々しいエンブレムが描かれていた。”デスク、こんなのが来ました”と上司に報告。デスクは「宗教の修行はニュースじゃない。もし失敗して死んだら、書こう」と言った。後で聞いたら某民放だけが誘いに乗ってしまい、まんまとオウムに利用された。あの時、デスクが面白そうだから取材しておけ、と言っていたら?私はもう生きていないかも、と当時を思い出してぞっとすることがある。デスクの大英断に感謝。


湾岸戦争中はたまたまイラク大使館の隣にオウムの青山本部があり、白い服を着た信徒らを良くみかけた。すらりと背が高い新実(のちの死刑囚)は凛とした印象だった。みとめたくはないけど、とても充実している表情だった。数人の幹部と会ったらしく、名刺も何枚か残っている。


上祐さん(現・光の輪)の人気はすごかった。今はいかにも我関せずの顔をしているけれど、当時のオウムの女性信者の多くを引き付けたのは彼だっただろうな。ハンサムで雄弁だった。


とにかく見ただけで異様なんだけど、高学歴の頭の良い人たちの集団だった。でも「宗教団体」だから、と言うエクスキューズがあり、むやみに批判したり詮索したりできない雰囲気があった。信者も数千人もいると、正直、信じない方がおかしいのかしら?と不思議な感覚に囚われた。


当然、全てが異様だし、取材中に捕まるのが怖かった。”一度つかまったら帰れない”雰囲気はかなり昔からあったと思う。 


サリン事件後、再現フィルム撮影のため、サティアン近くの公民館に行った。坂本さんがオウムに対し、信者の脱退を幹部と交渉したところだ。部屋には何とも暗く、ドヨーンとした空気が流れていた。


こんなところまで、坂本さんが来たなんて!赤ちゃんまで道連れしたほどの残虐なグループなのだ。坂本さんのご両親の悲しみは深すぎて、言葉にならない。


オウムの死刑に反対なんですか?


もちろん私だって死刑制度が良いとは思っていません。でも、いま、松本被告と弟子たちの死刑に反対する人がいるとすれば、きっと事件を取材したり、見たりしたことがない人なんだろうな、と正直、思う。この事件はマスコミが流した情報だけでは、理解ができない事件だとしみじみ思う。書けないこともとても多い、前代未聞のテロだと思う。


サリン事件の前になぜ阻止出来なかったのか?マスコミの私たちも、底知れぬ恐ろしさに怯え、もしかして私も殺されるかも?と思い、真相に迫れなかった?のかも。一人でオウムと戦っていた坂本弁護士の偉大さに改めて敬意を表したい。


取材経験の浅い記者だったから、私の感覚は一般の人と大きく違うとは思えない。日弁連の声明は立場上、商売上、やむを得ないとは思うが、天国の坂本さんは裏切られた気分かも知れないな。ご冥福を改めて祈りたい。私はオウムには何もできませんでした。ごめんなさい。


——————


追伸です。テレビで、処刑された7人の中には深く反省している人もいたそうだ。たしかに、罪を償わせると言うのもひとつかも知れない。でも裁判を傍聴し続けた江川紹子さんは、今回の処刑に反対されていない。私の記憶では、当時、殺されそうになりながらもオウムを追い続けた女性ジャーナリストは江川さんがダントツだった。新聞社を退社されて、専念された。若い女性なのに…と私は感心を通り越して尊敬していた。私はオウムに関しては、彼女に勝る専門家はいないと考えている。