私が5年前まで、29年も勤めていたNHKというところは、視聴者の皆さまにとっては華やかなテレビ局。でも職員の私にとってはただの会社であり、勤務先です。若い頃は渋谷の放送センターに毎日のように観光バスが来て、皆さんがニコニコ顔で写真を撮られている・・・ちょっぴり違和感を感じたものです。企業ではないので、職員同士での会話では大概「局」とか「協会」、あるいはNHKの三文字を指して「三文字」と呼んでいました。外にいて、NHKと声に出すのがはばかられるときは「三文字」(笑)。

 

5年前、夫の転勤に伴って娘を連れてインドネシアに転居することになり、泣く泣く退職をしました。その際に、三文字のお世話にならないOGになることを誓いました。よく男性であるじゃないですか。会社を定年したら「濡れ落ち葉」になるって。だから職員時代の栄光?にすがったり、自慢したりはやめよう!と。

 

そしたら送別会の席でチアキ先輩が言うのです。「大村、そりゃあ当然入るよな!」と。そうです、NHKには平均年齢75歳の1万人の会員を抱える職員OBの組織、「NHK旧友会」があるのです。でも私は定年よりちょっと手前で辞めてしまった訳ですし、しがらみも心配だったし、内心は躊躇していたのです。でも先輩方に入れと言われると入らないわけにも行かず、生涯会費を払って、入りました。

 

そして驚きました。NHKの先輩方たちって、本当にNHKが大好きなんですよ。これは日本の企業が全てこうなのか?わかりませんが、NHKのOB会の会員数は、現役の職員数とほとんど同じなのです。私の父も高度成長期の典型的なモーレツサラリーマンで、家では社歌をよく歌っていましたが(笑)、NHKには社歌はありませんが「コア会員」と言う下部組織があるのです。大災害の時にはNHKの放送確保のために出動して「お手伝いする」任務があり、OB会の中では最年少組である私は当然のようにこの「コア会員」として登録されています。つまり今大地震が起きたら、私は近所に住む四人の先輩のところに連絡を入れ、一緒に、現役職員の安否確認をしたり、必要なら渋谷まで出かけて、何らかの仕事を手伝うことになるのです。

 

世界的に有名なトヨタ、ソニー、味の素、なんて企業だって、ここまでの結束を持って、OB会やっているのでしょうか?でもそういえば確かに、うちの88歳になる舅も勤めていた霞が関の役所のOB会が毎月第4水曜日にあり、タクシーで出かけて行きます。まさに日本の組織は「ゆりかごから墓場まで」面倒見てくれるってことですかね?それが日本の高度成長を支えた結束力なのでしょうか。

 

先日、自宅にいつもの分厚い名簿の改訂版と小冊子が送られてきました。NHK旧友会、今年の12月1日で、創立50周年なのだそうです。私が7歳のとき、戦後間もなく全国各地に誕生していたOBの親睦団体が一つに繋がり、「NHK全国旧友会」ができたとあります。名簿をめくると、有名な記者やアナウンサーの先輩方たちの名前も多々あります・・・。現役だった頃は旧友会なんて、NHKにしがみついているおじさんたち、と言うイメージしかなかったけれど、光陰矢の如し。自分がその一員になった今、NHKは戦前から日本の唯一の公共放送として先輩たちから大事に守られ、育てられてきた組織であることに感謝しています。NHKの現役の若いひとたちが凄いのではなく、この1万人を超えるOBたちが頑張ってくれたからこそ、今のNHKがあり、先輩たちが築き上げたレガシーで、今もNHKは生き延びているに過ぎないのかもしれません。私なんかNHKの三文字が履歴書にあるからこそ、仕事にありつけるわけです。そう大した実力もないのに。

 

NHKはおそらく日本人なら誰もが知っている固有名詞でしょう。これを汚してはいけないな、と思います。私の力では高めることは決してできませんが、絶対に汚してはいけませんね。NHK本体を離れて5年。フリーになって丸3年がたとうとしています。先輩たちが残してきた足跡はまさに日本のメディアが成長してきた歴史なんですね。記念の冊子、ゆっくり眺めながら、今頃ですが、NHKに就職できて良かったなぁ、人生が変わったなぁ、としみじみ想ってしまいました。私も還暦まであと3年を切りましたが、旧友会の中ではまだまだひよっこ。1万人の先輩がご存命です。生意気なことは言えませんね。でも私もいつか女性記者二期生としての波乱万丈の思い出を綴らせていただくときが来るのでしょうか?###