10歳ごろの休日の昼下がり、当時大流行していたビニールのボンボンベッドの上に寝転んで本を読んでいた私に、父が近づいて来た。「パパがもし外国に行ったらどうする?」私はキョトンとしてしまった。(ガイコク?)「どうする?一緒に来る?」と父親がまた聞いて来た。「行く!」私は飛び上がって即答した。「海外で日本のために活躍してみたい」という私の夢はまさにその時に始まった。

 

ところがまさかの ”日本” という冠がついた放送局のテレビ記者として就職。前半の16年間は、まさにドメスティック(国内)な生活だったためか、この「海外で」という夢は無意識に封印されていた。が、早期定年退職してから57歳にもなった最近、ふと私は10歳の私が漠然と思った「海外で日本のために」という目標から意外にもあまり大きくそれずに働いて来たのだとようやく気づいた。

 

社会部の記者ではあったものの、帰国子女で英語の通訳が必要ないため、入局5年目ごろから、ひとりで長期出張というのが先輩に比べて多かったと思う。先輩の代わりに出張することもあった。30年も前の社会部ではリサーチャーという通訳を雇って取材の電話をかけてもらったり、だれかに会いに行く時は同行してもらうことがほとんどだった時代だった。が、私は経費が一人分で済むので重宝されたわけだ。でも初めて行ったワシントンDCで支局の側のシェラトンに一人で泊まり、黙々と議会に電話をかけるというような取材ばかり。監督されない気楽さはあったものの、正直、朝もひとり、ランチもひとり、夜もひとり。孤独な出張が多かったなぁ。

 

40歳のとき、私は報道局から国際放送局への異動を命じられた。英語のニュースデスクになれというのだ。大学までは英語を使っていたが、16年ぶりに英語が飛び交う環境で暮らすことになった。

 

ここで私は愕然とした。職場には英語を母国語とする人たちが何人もいて、私たち日本人職員や翻訳家たちの英語をチェックしてくれていたのだが、英語とは言ってもイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、と意見が違うこともあるし、ニュースの受け止め方も違うのである。例えば日本政府が島根県としている竹島。ウイキペディアで見ると、「竹島(たけしま)は、日本海の南西部に位置する。主に2つの急峻な岩石でできた島からなる。1952年以降韓国実効支配を継続しており、日本および北朝鮮[注釈 1]がそれぞれ領有権を主張している。「竹島」は日本における呼称で、韓国・北朝鮮では「独島(獨島、トクト、독도、Dokdo)」、第三国では中立的立場から「リアンクール岩礁 (Liancourt Rocks)」などと呼ばれている。」とある。

 

これをスタッフ全員が歴史的経緯から知っているわけではなく、解釈がそれぞれ違ったりするわけだ。例えば日本に批判的な人は「Dokdo」と書き換えて来るのである。そこで私は「これはTakeshima」だとまた書き換えると、「国際社会はそうは認めていない」という大議論になってしまうことがしばしば発生した。尖閣諸島についてもそうだし、広島の原爆に至ってはアメリカ人は「あの爆弾で戦争が終わってよかった」と思っている人も少なくないのだ。それも素直に・・・。

 

中でも一番困ったのは「自衛隊」の表現。私は小学校低学年の時、舞鶴の自衛隊のそばに住んでいたこともあるし、災害現場で活躍してくれる平和のための人たちという漠然としたイメージを持っている。日本では自衛隊を(the) Self Defense Forces とそのまま直訳するのだが、海外のネイティブの人たちは見たままmilitary つまり軍隊と呼ぶ。迷彩服も着ているし、銃も訓練しているので、自衛隊員たちはsoldiers兵士 と呼ばれても不思議はない。ここでは自衛隊が軍隊か否かの議論は避けるが、日本の憲法では「戦うための人たち」はいないことになってるのはご承知の通りだ。

 

そこでデスクとしては「日本の自衛隊は military と書かないで」と翻訳スタッフに注文することになる。SDFだからね、ソルジャー(兵士)ではなく、Self Defense Forces personnel だからね、と。外国人の眼には当然 military だからごく自然にいつの間にか、military という言葉が混じってしまうこともある。 悪気もない。彼らにして見れば、日本で「巡洋艦」cruiser や ship 呼ばれる船とアメリカで「駆逐艦」destroyer や warship  と呼ばれる船の基本的な違いは、よっぽどの専門家でもない限り、呼び分けられないのだ。逆に空母といえば日本人はアメリカのUSS、巨大な空母を咄嗟に思い出すが、英語での名前はaircraft carrier。飛行機を運ぶもの、という全く平和っぽい名前になっている。つまり見ただけでは、自衛隊なのか?軍隊なのか?日本のことを知らない外国人が見たらわからないし、例えば船の名前や旗が見えなければ、当然、「自衛隊」とは呼んでもらえないのである。ちなみに「自衛隊は軍隊ではない」を単純に英訳すると、Self Defense Forces are not military forces.  となるが、これはネイティブの人たちには意味がわからないだろう。

 

2020年には東京五輪とパラリンピックが開催される。当然わんさか外国人がやって来るし、日本に関する報道も増える。世界の人たちに日本のことを正しく伝え、理解してもらいたいのはもちろんだが、果たして日本の「国際広報」、準備は間に合うのだろうか?