還暦近い私ですが、

🔮占いは嫌いではありません。

むしろなんとなく信じてしまうので、

この30年は占い師には会っていません。

ショッピングモールの柱の影には

よく占いコーナーがあって、

行こうかなぁ〜〜〜と何度思った事か・・・

でも過去2回の占い師さんの言った事が

結構当たっているので、怖いのです。

 

一回目は就職試験を受けている頃。

自分に自信がなくて、なくて。

うちは親が私をけなして育てた古いタイプで

父は「お前は厳しい日本社会に向いてない。

パパのコネで

◯◯商事の受付でもやりなさい」と。

 

どこにも就職できないのだろうか?と悩んだ私は

占い師さんのところに行ってみたのです。

確か、当時も

3000円くらいだったと記憶しています。

占いの料金ってあんまり変わってないのかな。

女性の占い師が、私をじっと見て、

開口一番、

「男性を尊敬していないでしょう?

今のままの性格なら

男運がとっても悪いです」と言うのです。

 

エエエ〜〜なんで解るの?

 

当時の私はとにかくテレビ局に就職したくて

仕事のために一生結婚もしないだろうなと

思っていました。

でもマスコミの試験は厳しくて

早慶クラスの学生じゃないと

とても受からないと言われていました。

私なんか、弱小私学の上智です。

今でこそちょっとは増えたけれど、

当時の先輩はTBSの

三雲アナくらいしかいなかった・・・・

だから就職出来ない可能性が強いと思い、

この先どうして行きて行けばよいのか?

思い倦ねていたんですね。

 

男運が悪い。

 

これは一生独身のつもりの私にも

結構グサッと来ました。

で、反省しました。気をつけようって。

 

その占い師さんに

就職活動であることを告げると

「紺色のスーツ」にしろと言うのです。

今思えば、当然の答えです(笑)。

でも当時の私はこれを信じました。

そしてあっちこっち

「紺色」「紺色」とつぶやきながら

就職活動用のスーツを探しまわりました。

 

そしたら総武線津田沼駅前にあったパルコで

(多分もうないのかな)

とってもカワイイスーツを見つけたのです。

ぴったりとした丸襟で丈が短い上着で

胸元にベルベットのリボンがついていました。

同じベルベットで首と袖回りなどに

パイピングがしてあって

ベルベットの水玉の

ふんわりしたギャザースカートがついていました。

 

私は当時は体重が42キロくらいしかなくて、

今思えばシャープなスーツだと

強面な感じになっていたかも。

ところがそのスーツはいかにもお嬢さんで、

私の中身とはちょっと違っていました。

25000円くらいのそのスーツを見た瞬間、

何故か「これだ!」と直感したのです。

これで就職活動をしよう!って。

 

就職活動と言えば普通の

素っ気ないリクルートスーツが基本ですから

全身紺色とはいえ、

多分すごく目立っていたと思います。

そのスーツのお陰でしょう。

日テレさんとフジテレビさんからも

内定をいただきました。

NHKに受かったのも

このスーツのお陰かな、と思っています。

 

ちなみにアナウンサー試験に受かった

畑恵ちゃん(のちの参議院議員)は

緑色のピエロみたいな、

ものすごく個性的なワンピースでした。

 

ちょっと脱線しましたが、

要するに占い師さんのアドバイスのお陰で

今の私があると言っても

過言ではないのですww。

 

人生二人目の占い師さんは

1994年に旅したミャンマーで

地元で人気の人だから

聞いてみたら?と言われ、

ガイドさんに通訳してもらいました。

 

私のラッキーナンバーは「2」なのだそうです。

占い師さんは

「船」を二艘もて、と言われたのですが、

ええ〜〜日本で船持つのは難しいです、

と言ったら、

「あ、家なら2軒、子供でも夫でも、二人。」

 

その後は家は夫が単身赴任のため

2ヶ所あることが多かったですね。

でも子供は隠し子なし、流産もなしの

ひとりっきり。

 

でもこの「2」には何となく自分で

思い当たるところがありました。

私、子供の頃から

大体、2番手が多いのです・・・

イイ線行くんだけれど、トップには成れない。

 

ははぁ〜〜ん、なるほど、と

私はミャンマーの遺跡の側で

「2」と言われたことに、

納得したのでありました。

 

そして、何を隠そう、

最初の占い師さんの言った事の中に、

8の数字がつく歳に大きなことが起きる、と

言われました。

 

そのときはまだ22かそこらで

8歳と18歳しか経験しておらず、

思い当たるフシがなかったのですが、

今思い返してみると、

恐ろしいほど、何か起きています。

 

8歳のとき生まれ故郷の北九州を離れ、

京都の舞鶴市に転校しました。

それから私の流浪の旅が始まります。

 

18歳のときにイランで

イスラム革命に遭遇しました。

革命前の暴動騒ぎの中、

エアフランスで国外退去しました。

 

28歳のときに

「キミ、4月からキャスターだから」と

業務命令を受け、

NHKの当時の看板番組だった

総合テレビの夜9時のニュースを

平野次郎さんとともに担当しました。

 

その後、夫の愛人問題が勃発。

一年半の冷戦のあと

(この時のことはまた後日・・・笑)

夫と人生をやり直すこことになったのが

38歳のとき。笑笑笑

 

48歳との時には

夫の胃がんのため

母子家庭になることを覚悟しました。

奇跡的に全快し、今に至ります。

 

さて、2018年には58歳。

一体、何が起きるのだろう?

もう二人目の子供は無理だし

家は建てちゃったから

二人目の夫かなぁ〜〜❤️

二人の愛人かなぁ〜〜❤️

大きな仕事📺が来るのだといいなぁ〜〜

 

ちょっと楽しみです。