1984年(昭和59年)、

記者としてNHKに入局した私は

世田谷の砧にある研修所で1ヶ月ほど

同期35人で研修を受けたのち、

名古屋局報道部に配属されました。

今でこそ、大変なモダンなビルですが、

私が赴任した当時は3〜4階建てのボロビルでした。

カメラマンの斉藤君、

岐阜の記者として赴任する野口君と3人で

名古屋駅から局に向ったのですが、

ぱっと見て、どのビルだか?わからない。

斉藤君が「文化住宅みたいな...あれじゃないか?」

とどうみてもあか抜けない建物を指差したとき、

なんかこう、「社会人」として燃えていた火が

しょぼんとなるような感じでした(笑)。

 

でもこう見えても(?)私は

愛知県警記者クラブの女性記者の第1号です。

本当は朝日新聞に小西みれさんという

2〜3歳先輩の女性記者がいたのですが、

彼女はいわゆる「署回り」で、

名簿上は私が第1号なのです。

(って、つまんない自慢ですね)

 

新聞に比べると弱小なテレビ。

当時のCK(名古屋局の略称)の県警担当は

梅谷武キャップ以下

鎌田靖記者(解説委員/Nスペキャスター)

上村和大記者(NHK関連会社NY代表)

岩間正之記者(大阪放送局副局長)と、

そうそうたる面々で、

鎌田さんは天性のスター性のあるインパクトの強い人、

上村さんと岩間さんは長身で威圧感丸出し(笑)

3人の兄のような先輩記者たちは

絶好調に乗っていて、本当にまぶしかったです。

「少年探偵団」と自分たちを呼んでいて、

私は一番下っぱの「署回り」として

やれ張り込みだの夜討ち朝駆けだの

「お前も来いっ!」と言われて

引っ張りまわされる訳なのですが、

どうもねぇ〜

私はサツまわりには向いていませんでした・・・。

当時は157センチ、45キロ前後。

華奢なタイプでしたもん。

 

この少年探偵団の兄貴達については

彼らが引退してから(笑)、

ほとぼりが冷めたら述べることにします。


前置きが長くなりました。

さて、新人記者の私は

署回りとして市内16区(当時)の警察署と

水上警察、あわせて

17署を担当することになりました。

交通事故を含む名古屋市内のすべての事件事故を

警察署と消防署を毎日回りながら

取材するのが主な仕事です。

 

ニュースカーと呼ばれる

当時は大変珍しかった自動車電話や

取材したテープの映像を

伝送できる装置がついた車両をあてがわれ、

専任の運転手の近藤さんと一緒に

朝から晩まで市内をぐるぐるするのです。

 

初めての「現場」は中村区内の川べりでした。

女性らしき遺体が流れてきたのです。

デスクから「殺人事件だ!行け!」と言われて

私はグレーのスーツ姿で河原に出動しました。

遺体が?!流れて・・・来る?!

刑事ドラマさながらの場面に私は固まりました。

そばには新人の警察官が5〜6人、現場を見ていました。

遺体は思ったよりゆっくり流れてきます。

20代前半の若いもんばっかりで眺めていたんです。

でも何故か記者は私だけ。

他社のみんなはどこで取材しているんだろ?

 

だんだんと夕方になってきて寒いし怖いし、

足ががたがたとふるえてきました。

どうも新人おまわりさんたちも

私と同じ気持ちだったようで、

「あぁ〜犬だったらいいなぁ〜」

「向こう岸に流れ着いてくれればあっちの管内担当だ・・・」

「あっちいけ〜〜」と。

今思えば大変に不謹慎💧なことをつぶやきながら

遺体があがるのを待っていました。

対岸にも数人おまわりさんの姿が見えました。

「あっちもきっと同じこといっとるよ」

 

新人ばっかり。初めての事件現場。

奇妙な連帯感を感じて、

私もちゃっかり

「他殺じゃなくて自殺でありますように〜〜」とか

一緒になってつぶやいていました。

おまわりさんだって、

事件現場は怖いのだと知って、

ちょっと安心した私でした(笑)。

 

NHKでは大人の、

きちんとした理由や背景がある自殺は

プライバシーに配慮して、報道することはありません。

つまり、他殺でなければ、私は局へ帰れるのです。

 

あたりがすっかり暗くなったころ、

ベテランの刑事さんの投げ縄の技で

中年の小柄な女性の遺体がひきあげられました。

黒っぽいブラウスと長い髪が見えました。

 

「お〜〜い、もっとこっちにこないと

現場が見えないだろ〜〜?」と一課長。

「そんなに気になるなら、抱かせてやるよぉ〜〜」

「いえいえいえっーーー!・・・他殺ですか自殺ですか」

「そんなもん、ここじゃわからないよ」

「えぇ〜〜〜?!」(まだ帰れないの)(泣)。

「検視は署でやるからね〜!」

 

真っ暗な車庫で検視が始まりました。

署には各新聞社の先輩記者たちが待機していました。

(なんだ・・・署で待てばよかったんだ・・・ちぇ。)

「遺体はね、事件の最大の証拠なんだよ」と先輩記者。

刺されているのか?首を絞められたのか?

ロープがどっち向きにまかれているか?で

犯人が右利きか左利きか、

いろいろとわかるというわけです。

「見られるチャンスがあれば、

遺体は見た方がいいぞ。勉強になる。」

私は毎日新聞の先輩記者の背中にしがみつきながら、

車庫の検視の現場をのぞきに行きました。

 

今思えば、なんですけれど、

警察では恐らく川べりで

遺体が自殺だとわかっていたんでしょう。

私たちが近づいても止めませんでしたもん。

ちらっとみた土左衛門さんは、

ぱんぱんにふくれあがって土色でした。

つまり遺体は数日経って見つかったことになります。

 

そのとき、いろんな話を聞かされました。

以来、お寿司やさんに行っても

シャコだけは頼みません・・・(汗)。

 

最初に川に到着してから

5〜6時間はたっていたと思いますが、

ようやく「自殺」という発表があり、

私は局のデスクに電話をしました。

「自殺らしいそうです・・・」

「んじゃ、ボツだから、帰ってこい!」

 

要するに、ベテラン達はみな、

川を流れていた遺体に事件性がないことは

わかっていたのでしょうね。

デスクったらわざと「大事件だ!」みたいな

意地悪いな。だまされたぞ。

 

あぁ〜寒かった〜〜

あぁ〜怖かった〜〜

あぁ〜〜ボツで良かった〜〜❤️

 

ふと足下をみたら、

グレーのスーツに合わせて買った

新品のバックスキンのヒールの皮が

バナナの皮のようにめくれあがっていました。

涙。