優生施策と国の責任 過ちを直視し、差別と決別を | 元世界銀行エコノミスト 中丸友一郎 「Warm Heart & Cool Head」ランダム日誌

元世界銀行エコノミスト 中丸友一郎 「Warm Heart & Cool Head」ランダム日誌

「経済崩落7つのリスク」、
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「日本復活のシナリオ」等の著者による世界経済と国際金融市場のReviewとOutlook

「国家の盛衰を決めるのは、政治経済体制が収奪的か包括的かの差にある」(アシモグルら)

掲題の今朝の朝日社説。

かなり説得的。

ご参考まで。

 

 

 取り返しのつかない人権侵害をした国家が、年月の経過を理由に、責任を免れることは許されない。司法のきっぱりした姿勢が示された。

 旧優生保護法の下で、障害などを理由に不妊手術を強いられた人たちが起こした裁判で、最高裁大法廷はきのう、同法は憲法違反だとし、国に賠償を命じた。不法行為から20年たつと賠償請求権は画一的に消えるとした自らの判例を変更。今回の裁判に適用することはなかった。

 

 ■見過ごされた被害

 

 「不良な子孫の出生」の防止を目的に掲げた同法に基づく不妊手術は、公権力が障害や病気で個人を選別し、生殖能力を奪う、あってはならない行為だ。

 ただ、重大さゆえに当事者は声を上げられず、1996年に同法が母体保護法となり手術規定が削除された後も、被害は見過ごされてきた。

 判決は、旧優生保護法が、憲法が定める個人の尊厳、差別的取り扱いの禁止に違反すると断じた。そして、国側が主張した「時の壁」は「著しく正義・公平の理念に反しとうてい容認できない」とし、国側の賠償責任を認めた。

 改正され、2020年に施行される前の民法には、不法行為による損害賠償の請求権は不法行為から20年経つと失われるとの規定があった。

 最高裁は1989年、この規定について、中断や停止がある「時効」でなく、画一的な年月の経過である「除斥期間」との解釈を示し、その適用に対して被害者側が信義則違反や権利乱用を主張するのはそれ自体「失当」(当を得ない)とまで言い切った。

 時の経過を絶対視するこの判例が実務に与えた影響はあまりに大きく、今回の一連の訴訟も、地裁段階では当初、除斥期間を理由とする請求棄却が続いていた。

 しかし、被害者の事情も問わず、一律に救済の枠外に置いてはあまりに酷な例はある。研究者たちは批判し、その後の最高裁判決でも「時効と解すべきだ」との少数意見があった。民法改正で問題の規定は時効と明示され、除斥期間説の影響は失われた。

 時間を盾にすることが、人権のとりでという裁判所の機能を自ら縛った面もある。その是正に35年がかかった。

 

 ■真摯な謝罪と賠償を

 

 岸田首相はただちに原告と会い、謝罪すべきだ。

 国会、政府は裁判を起こしていない人も含め、すべての被害者に対する謝罪、賠償に真摯(しんし)に臨むべきで、立法による解決を図るしかない。

 5月の最高裁の弁論で、70代の女性は、手術が「幸せな結婚、子どもというささやかな夢を奪った」と振り返った。81歳の男性は手術を胸に秘め、妻にも亡くなる直前まで言えなかったと述べた。

 提訴を受け、国会は2019年、被害者に一律320万円を支払う一時金支給法を議員立法したが、受け取った人はごくわずかだ。確定した賠償額は1人1千万円をゆうに超えており、額を上げる改正が不可欠だ。

 支給法の前文には「反省」「おわび」との字句が並ぶが、国は手術の違法性を認めてこなかった。立法した国会、手術を推進した政府いずれの責任も認めた判決をふまえた対応が必要だ。

 既に亡くなった被害者もいる。遅すぎたといえ、真の救済を急ぐときだ。

 半世紀近く、制度を黙認した戦後の社会のあり方も、見つめ直さねばならない。

 

 ■黙認した社会の責任

 

 戦時下、強く健康な国民を求める流れで導入された不妊手術を受け継いだ旧優生保護法は、1948年の国会で議員立法で成立した。

 当初は医師が「公益上必要」と認めれば都道府県に不妊手術を申請できるしくみだったが、改正を経て申請は医師の義務となり、遺伝性でない精神・知的障害まで対象となるなど戦前より拡大した。

 政府は、手術にあたり本人をだましたり、身体拘束したりしてもいいと都道府県に通知していた。人権侵害にあたるという懸念は、「公益目的」で正当化されてきた。

 廃止を直接、後押ししたのは90年代、優生思想に基づくこの制度に対する国際的な批判の高まりだ。96年の旧法の改正で、手術に関する規定が削除されたときも、議員立法で実質的な審議がないまま成立しており、強制不妊手術の何が問題で、だれに責任があったのか、議論が深められることはなかった。

 裁判で、原告側弁護団は「優生手術の対象者は断種されて当然、という考え方が、法律や政策によって社会に浸透し、根をはった」と主張した。社会の差別や偏見が被害者の傷を広げ、救済を遅らせたことは否定できない。

 過ぎた昔のことと言い切れるだろうか。2016年に相模原市の知的障害者施設で起きた殺傷事件の背後には、生命には優劣があるというゆがんだ発想があった。生産性が個人の価値を決めるといった言説もなくなっていない。

 少数者の尊厳や権利を軽んじた過去から、目をそむけることはできない。