掲題の今朝の毎日社説。
かなり説得的。
ご参考まで。
公害被害の救済を所管する官庁としてありえない行為だ。
水俣病の患者・被害者が、熊本県水俣市で伊藤信太郎環境相と懇談した際の出来事である。時間超過を理由に、環境省の担当者がマイクの音を切り、患者団体代表ら2人の発言をさえぎった。
伊藤環境相の帰りの予定があったためというが、お役所仕事が過ぎないか。そもそも1団体に割り当てられた発言時間は3分しかなかった。悲痛な訴えを聞くには、あまりにも短い。
前身の環境庁は、水俣病など四大公害病をきっかけに、1971年に発足した。各省庁に分散していた公害規制行政を一元的に担当する目的だった。当時の設置法は主たる任務として、公害を防ぎ、国民の健康に寄与することを掲げている。
歴代の環境相は毎年、水俣病が公式確認された5月1日に水俣市で開催される犠牲者慰霊式に出席し、患者・被害者団体と懇談している。高度経済成長の陰で発生した惨禍を忘れていないとの姿勢を示すためだ。
伊藤環境相も出席前の記者会見で「水俣病は環境問題の原点だ。地域の声をしっかり拝聴したい」などと述べていた。
にもかかわらず、患者らの思いを踏みにじるような振る舞いを座視した。心からの言葉だったのか誠意が疑われる。
政府が対処すべき環境問題は、気候変動など地球規模のテーマに広がっている。とはいえ、水俣病は公式確認から68年が経過した今も終わっていない。
多くの人が健康被害や差別に苦しみ、救済を求めて裁判で争っている。被害の全容は依然として分からないままだ。
当時、公害が広がった背景には、行政が経済成長を優先して市民の声に耳を傾けず、有害化学物質の排出規制に及び腰になっていたことがある。
環境省は公害の歴史と組織発足の経緯を忘れず、患者や被害者に寄り添う行政を貫いていかなければならない。