掲題の今朝の朝日社説。
かなり説得的。
ご参考まで。
「私が苦しんできた問題を、30年を経て娘に背負わせてしまった」。長野県に住む高校教師の女性(56)は4年前、結婚後の改姓のつらさを訴える長女(29)を前にがくぜんとした。社会がこんなに変わったのに、なぜ、いつまで放置するのか――。女性の問いに国はどう答えるのか。
夫婦が同じ姓を名乗るよう強いる民法や戸籍法の規定は個人の尊厳などを定めた憲法に違反するとして、国際女性デーの8日、この女性を含む男女12人が東京、札幌の両地裁に訴えを起こす。同様の集団訴訟は3度目になる。
法律上は夫と妻のどちらの姓を選んでもいいが、95%は女性が改姓しているのが現実だ。不便や不利益、自己喪失感、「姓は女性が変えるものだ」という不平等の固定化。そうしたものから自由になろうと、女性たちは半世紀も前から運動を続けてきた。
1996年、法制審議会が選択的夫婦別姓制度の導入を答申したが、自民党から「家族の一体感が失われる」と反対論が起きて法案提出に至らず、以来28年が過ぎた。
ボールは、国会にある。最高裁大法廷は過去2回、現行制度を合憲としつつ、「国会で論ぜられ、判断されるべき事柄」と指摘。2021年決定の補足意見は、今後「違憲と評価されることもあり得る」とまで述べ、社会や意識の変化に不断に目を配り、対応するよう国会に求めた。
それでも、国会は議論を始めなかった。政府や自民党が代わりに「これで事足りる」とばかりに経済界や省庁を巻き込んで推し進めたのが、旧姓の通称使用の拡大だ。
だが、その限界もあらわになっている。今年1月、経団連は選択的夫婦別姓の導入を政府に求めた。ビジネスネームで契約書のサインができなかった。過去の研究や成果が同一人物のものと認知されなかった……。各企業の事例からは、人格や財産に関わる重要な営みを「仮の姓」で取り繕おうとした政策の傲慢(ごうまん)さが浮かび上がる。
選択的夫婦別姓は、望む人たちのために選択肢を増やす制度だ。そうでない人に別姓を強制するものではない。
主要政党で後ろ向きなのはいまや自民党だけだ。党内にも賛成派はいる。岸田首相もその一人だった。別姓制度の早期実現をめざす議員連盟の呼びかけ人になっていたのに、慎重姿勢に転じた。
「多様性が尊重される社会」をつくる、と首相は言う。ならば何を恐れるのか。その実現に向けて国会の場で正面切って議論をし、答えを出す時がとうに来ている。