病めるときも健やかなるときも | 司法の山を見まわして

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司法書士の宮前知光と申します。
世界遺産「富岡製糸場」の近所で開業しております。
業務と関係したりしなかったりの、日々の雑感を綴ります。

これまでの人生で、教会式の結婚式に(たしか)4度お呼ばれしたことがありますブーケ2

 

病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しきときも。

優しく厳かな神父さん(で合ってます?)の問いかけには、クリスチャンのクの字もない自分でも、なんだか心の清められる思いがしたものですキラキラ

 

「オリンピックを中止せよ」との鳴りやまぬ声を目に耳にしながら、ふと上記のごとき教会式の一幕を思い出しました。

ひとたびオリンピックの開催地に名乗りを上げ引き受けたということは、病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しきときも、責任もって断固としてやり抜きます、添い遂げます、という誓いの意味ではなかったのでしょうかむっ

 

教会式における誓いとは、じつはロマンチックとはほど遠い、欧米らしいシビアな契約なのだと聞いたことがあります。

だとしたらなおのこと、一時の感情で煽り煽られ契約を違えたりしたら、非常にマズいんじゃないの!?

 

病めるときも。

貧しきときも。

人として試されるのは、特にこの二場面ですよね。

みなさんいろいろ試されてますよ、今まさにシラー