ボストン美術館所蔵「THE HEROES 刀剣×浮世絵〜武者たちの物語」 | けろみんのブログ

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ボストン美術館所蔵「THE HEROES 刀剣×浮世絵ー武者たちの物語」

森アーツセンターギャラリーで2022.1.21~2022.3.25まで開催されます。

巡回展です。

新潟会場 新潟県立万代島美術館 4.23~6.9

静岡会場 静岡市美術館 7.2~8.28

兵庫会場 兵庫県立美術館 9.10~11.20



50万点の美術品を有するボストン美術館。そのうちの約10万点が日本美術コレクションです。

そのうち浮世絵は5万点、刀剣は約600口。今回はその中から118点の武者絵を選び、更に武者絵の物語に沿った鍔(つば)、刀剣を選りすぐったとのことです。


展示会場は全て撮影可能!しかも、武者絵の時代、物語、登場人物についての絵入り解説もあり、展覧会のキャプション読むのめんどくさーい!という気分でも大丈夫。

更に!公式サイトに作品リスト、解説、更にゆかりの地の紹介もあります。


⤴︎ ⤴︎⤴︎是非ご覧ください。よく出来たサイトです。最初の動画がうざいけど



会場の展示風景です。ゆったりと落ち着いて鑑賞できました。


刀剣と、浮世絵が同じ空間に展示されています。

刀剣の照明は刃文がくっきり分かるように設定されているようです。この刀は古墳時代(5世紀)のものですが状態が良いのでこのように研磨して刃文もくっきり見えます。このコーナーは「神代」、スサノオや雄略天皇などを描いた作品が展示されています。

同じ題材の図が細工された鍔が並んでいます。

土蜘蛛退治っ!

江戸時代、平和な時代には刀剣は装飾品として、鍔もこのようにオシャレなものが沢山作られました。
鍔とは何かというと、上の絵の手の下にある部分です。この絵は鯉口を切った直後。刀の拵えは手首側から縁(ふち)、鍔、鎺(はばき)という順についており、握った手で鍔を指で押すと鎺が外れて鞘にかかったロックを解除するみたいな仕組みになってるみたいです。また、これがあることで手が刃の方に滑っていかないようになっています。

この刀の拵は東京富士美術館の所蔵品で今回展示されていません。鍔(大小)、縁頭、小柄、笄


この絵の全体図と、ストーリーです。
土蜘蛛とは朝廷に逆らう民族……本当の姿は化け物ではなくあれです、ネイティブ?マイノリティ?ってやつ。
それはともかくこの拡大図でわかるとおり、色鮮やかで刷りにズレがない最高のコンディションです。このレベルの作品が並びます。
詳しい解説は公式サイトがとてもわかりやすいですし、なんならボストン美術館のデータベースでご覧になることができます(パブリックドメインの作品はダウンロード可能)


公式サイトのリストを参考に、気になる作品を鑑賞できます。

実を言うと浮世絵は美人画以外はあんまり興味無いのですが、最近N〇Kでやっているらしい大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場する1人、「畠山重忠」
子供の頃から重忠推しの私としては嬉しい展示がありました。

なぜ畠山重忠推しなのかというと私のお育ちになった団地の最寄り駅は「鶴ケ峰」、古戦場にして畠山重忠の終焉の地であるからです。


二俣川の戦と言われ(場所は鶴ケ峰、なので二俣川の戦いと呼ばれたり鶴ケ峰の戦いと呼んだりする)800年ほど前にここで騙し討ちにあった重忠公。



昔は「重忠まんじゅう」「重忠もなか」「重忠蕎麦」などのお店がありましたが、いつの間にか消えました。偏に風の前の塵に同じ、です。と思ったら色々ありました。


・重忠最中(若草  旭区白根)
・重忠銘茶(㈱佐々木園  旭区万騎が原)
・旭の重忠豆腐(青木屋 旭区左近山)
・旭の重忠(秩父のお酒)
(㈲四季美台青木商店 旭区四季美台)
こんなにありました!

平安時代末期の12世紀末!源頼朝に仕えて平家追討、奥州合戦と功を武士の鑑と称えられた重忠。
貴族社会から武家社会への過渡期である中武士中の武士武士してる畠山重忠。凄い方でしょう?「吾妻鏡」は盛り気味に畠山重忠をたたえています。

鎌倉武士の鑑 畠山重忠公は、この地で僅かの軍兵で、北條勢の大軍と戦って敗れた。公は戦死の直前に「我が心正しかればこの矢にて枝葉を生じ繁茂せよ」と、矢二筋を地に突きさした。やがてこの矢が自然に根付き年々二本ずつ生えて茂り続けて「さかさ矢竹」

と呼ばれるようになったと伝えられる。

このさかさ矢竹も昭和40年代の中頃まで

は、現在の旭区役所北東側の土手一面に繁っ

ていたが、その後すべて消滅してしまった。


これを妬んだ北条時政(と奥さん)らに謀られ「いざ鎌倉」と呼びだされた重忠は手持ちの130騎ほど従えて本拠地の埼玉県深谷市から、二俣川まで来たところで時政がかき集めた数万騎が自分を討つために向かってることに気が付きます。最早ここまでと覚悟を決めて討死しました。
騎兵が沢山集まったところが「万騎が原」二俣川の川は「帷子川」今は暗渠になり、橋の意味が無くなりましたが以前は鎧橋がありました。重忠勢が鎧を担いで渡った川です。

今は治水工事で川筋が変わっている


旭区役所の近くには切り落とした重忠公の首を洗った「首塚」薬王寺には六塚という、ここで全滅した重忠勢が葬られています。

私の母が史跡散策してました。区役所に案内図あり


このような史跡は、今は整備されていますが私が小学生だった42年ほど前は草ボーボーで探すのが大変でしたが色々行って、鎌倉時代に思いを馳せたものです。

さて、悲劇的な最後を遂げ畠山氏は滅亡しましたが、力持ちで音楽にも造形が深く、詩歌も秀でている重忠の素敵な浮世絵をみつけたので、武者絵の中でも武者中の武者な重忠公を是非ご覧になってください。

静御前が白拍子の舞を行うとき、畠山重忠は銅拍子を打って伴奏を務めました。

これで30代かぁ……

この躍動感!それでいて細密。劇画!
有名な義経のひよどり越。弓を命懸けで拾ったり、大事な馬を抱えて崖降りたり男性特有のこだわりをかんじますね