「西洋文明への憧れか 消えゆく江戸の郷愁か」
2020.10.24~11.15(前期)
2020.11.21~12.20(後期)
川崎駅北口、川崎タワー・リパーク3階にある川崎浮世絵ギャラリーにて開催されています。
北口を降りて、右に進むとこんな表示があるので左折して
こちらは「斎藤文男コレクション」となっております。
斎藤氏のコメント
「明治維新の、激動の波に飲まれながら幕臣の反骨精神で生き抜いた小林清親の生き様に惹かれコレクターになりました」
この言葉が表すとおり、小林清親は日本の歴史を現代から過去へ数百年振り返っても、これほどドラスティックな時期に若い鋭敏な観察力で変化を見て来た人は少ないんじゃないか、と思える画家です。
小林清親は幕臣の家に1847年に生まれ
15歳で元服し、家督を継ぎました。
六尺二寸の大男だったそうです。絵描きと言うよりは、サムライですね。
無骨のサムライ・清親
お嬢さんからみた清親
「六尺二寸ある手足の長い頑丈な男に似合わぬ温厚で優しいひとでもあった」
「父の印象は、ただぶらぶら歩きの時の後継と、黙って紫の煙を吐いてぼんやり空を見つめているのと、長い指に筆を挟んで、日がな1日絵を描いている姿である」
その後20代前半は徳川慶喜を追って静岡へ行き、撃剣演技で巡回などをしていた一方
幼い頃から絵を描くことが大好きで、絵師の志止みがたく、東京へ。
明治維新から10年ほどで西洋化の進んだ東京の風景を西洋画のように明暗の強い光線画と云われる手法で描きました。
光線画は自然光、ガス灯の柔らかな光を巧みに表したもので従来の浮世絵とは一線を画しています。
精緻・静謐・叙情的
といった言葉が相応しい小林清親の代表作です。
1881年両国の大火の時は清親は夢中でスケッチ。その時の作品も3点展示がありました。
焼け跡の人たちが亡霊のようにみえる「両国焼け跡」も生々しい作品でした。
折しも「明治14年の政変」自由民権派の高まりで洋画敗訴の動きが激しい中で、この火災により自宅が全焼しました。
一説によるとそれが原因で奥さんと離婚した(1883年)、とも言われています。
(芸術家の奥さんは悪く言われるものです)
この年から「ポンチ絵」と呼ばれる社会風刺ものを手がけます。
生粋の武士の反骨精神がここに巧みにいかされます。
1883年以降は江戸浮世絵調に画風が変わります。
近景に大きなモチーフを入れその間から江戸の風情が蘇るような景色。と言った具合。
「武蔵百景」というこのシリーズは不評のため100までいかずに打ち切りになりました。(キビシイ)
1896年(明治29年)くらいから
軽やかな明るい色彩を用いた近代的な風景画へと、画調が変化します。
浮世絵でも日本画でもないモダンな作風。
私はこの時代の作品に1番惹かれました。
中間色の豊かさがたまりません。
ここに貼った画像では分かりにくいのですが初期の頃から上品な色合いでしたが
そこからより一層透明感と自由度を得た感じです。
ベロ藍、アニリン紅、どぎつい紫といった明治浮世絵特有の色を使っていないのですね。
ここにはありませんが、紅葉を描いた作品も素晴らしいのです。
明治30年代から浮世絵の仕事減り肉筆画も手がけます。
今回は2点展示がありました。
多くの作家・文化人に愛された小林清親。江戸を知るもの、江戸を知らない20世紀初頭のものにも影響を与えました。
会場のあちこちに杉本章子、北原白秋、永井荷風らの文章の一節がそえられ、まるで彼らと時代を超えて一緒に展覧会を見て感想を述べ合っている気分になれました。
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