こんにちは。
リトリーブサイコセラピー®で「あなたが本当に望む自分に戻る」をお手伝い。
北九州の心理セラピスト 待鳥智美(まちどり ともみ)です。
13~15日、福岡プロコースのアシスタントなど心理に浸かって、自分自身の気づきをたくさん得た週末を過ごしました。
疲れは感じていますが、嫌な感じは全然しないのです。
泣きながらも、結局好きなのでしょうね~。
今日のテーマは、『ほめる子育て』は○か×か。
結論、〇も×もない。
このことは、○×論があふれていますが、どれも(本ならばちゃんと読めば、テレビならばちゃんと見れば)『ほめる子育て』そのものが、いいとか悪いとかいうことではないと、示してあるのではないでしょうか(私はそれは読んだり見たりしないですが)。
ほめる時期やポイントが、子どもの成長や個性に合わせて、いろいろあるということだと思うのです。(今回の講座の中でカズ姐さんも言ってた)
同じように、「叱る子育て」も、いいとか悪いではなく、叱る時期やポイントが、子どもの成長や個性に合わせて、いろいろある。
生まれてすぐの0歳から3歳までの親子のふれ合いって、本当に大切。
「あなたの存在そのものがうれしい」
「出来ても出来なくても、いいんだよ」
「ありのままのあなたが大好きだよ」
存在そのものを認める=ほめるという感覚。
そんな関わり方や言葉かけが、その子の安定した愛着を育むことになる。
安定した愛着は、適度な自己重要感や自己存在価値感を自然と育てる。
これは、その子が大人になっても幸せに生きるためにとっても重要なこと。
それから、考えることや、出来ることがどんどん増えて、社会が広がる4~6歳。
「出来たね」
「頑張ったね」
その子が出来たこと(それまでできなかったのに出来るようになったことも)も、やってみた気持ちもほめる。
そして、叱るというのは、やった行為や内容に対して叱るのであって、その子の人格を否定するようなことはしない、という前提がある。
叱ることの目的は、人(自分も周りの人も)が安全に気持ちよく過ごすため。
だから、危ないことはやってはいけないというのは、早いうちから。
しつけや社会のルールは、少し後からでも大丈夫。
「今はまだできない」ということや、「どうしてもできない」ということは、叱らない。
それは、しつけでもない。
そこは、叱っても、しょうがないですよね。
できてほしいのなら、できるように手伝ってあげたらいいのではないでしょうか?
「叱る」のは、怒りをぶつけることではない。
自分のイライラを爆発させたり、その子を否定するような怒り方をする人を見かけることもありますが、それは、その人自身の問題が何かあるのではないでしょうか?
「この子がいい子になったら、怒らなくて済むのに」と思ながら、
ひどく怒った後に「ごめんね。こんなに怒らなくてもよかったのに…」と落ち込む。
なんてことを繰り返してはいませんか?
叱らない、というもの問題あり。
子どもは、危ないことややってはいけないことがわからないままになってしまいますし、過大なゆがんだ自己愛や自己重要感(万能感)が育ってしまいます。
過大でゆがんだ自己愛や自己重要感とは、「自分が世界の中心にいて偉い、周りの人は自分以下だ」「自分の言うことややることは全て正しい。だから、自分の言うことをみんなきけ!」「自分だけが大切に扱われることが当然」という感覚。
「子どもを叱れない」というのも、親自身に何か問題ありかもしれませんね。
まとめると
「ほめる」ことも「叱る」ことも、どちらも大切。
そして、それには、その子の成長や個性に合わせるというポイントがある。
これらのポイントを押さえて、「ほめる」「叱る」には、『子どもを見てる』ってことが必須。
親が、自分自身に夢中だったり、不安定だったり、やりたいことや仕事に比重がありすぎていては、必須条件が満たされません。
親も自分を大切にすることは、もちろん大事。
幼い子供にとって、親とのかかわりは、もっともっと大事。
(かかわりとは、時間長さや、やってあげるお世話という問題ではありません。)
『子育て』って、親自身が鏡のように反映されるものです。
行き詰まりや、うまくいかない・ツライと感じたときには、自分自身を振り返るチャンスですよ。
では、また。
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