新年明けましておめでとうございます。
2010年はまさにアイドルが百花繚乱、乱立し混戦模様だったわけですが、さて今年はどのような年になるのでしょうか。
2011年最初の記事はそんなアイドルを創りあげる立場の方に対するメッセージ。
一般人からするとまだまだブラックボックスな部分が多い芸能界ですが、最近では裏方事情というものも自然に聞こえてくる時代となりました。
その中で頻繁に取り上げられるのがプロデューサーの存在。
中田ヤスタカ、秋元康、島田紳助など本人たち以上に注目される人物も多い。
実際に彼らがどのように考え、行動しているかは別として、なぜ世間は彼らに注目しているのだろうか。
どこに彼らのすごさを感じているのだろうか。
私は「一般人をスターにする能力」ではないかと思っている。
島田紳助は現在ではその代表格になっているが、まさしく原石をダイヤにする名人だろう。
その手法の素晴らしさや能力の高さについては異論もあろうが個人的にはやはり認めざるを得ない部分が大きいと思う。
また実際に彼の手によって売り出された人間も単なる一般人というわけではなく、プロデューサーの目に留まるだけの魅力を備えたまさしく”原石”である。
一般人をスターにするということの魅力は2つある。
1つは世間の共感を呼びやすいということ。
自分の周りにいそうな人間が日に日にスターの階段を上がっていく。
そのサクセスストーリーに世間は惹かれていく。
ファン心理という側面から考えても最近ではAKB48に代表されるように、芸能人にとってはファンとの距離の近さが重要なファクターとなっている。
この点からも根っからのスターよりも一般人がスターになるというバックグラウンドが好まれやすい(ファン・プロデュース側双方にとって)傾向にあると考えられる。
2つはプロデューサーの手法が高く評価されやすいことである。
彼らが自らの名誉のためにプロデュース活動を行っているとは必ずしも考えないが、一般的な人間、男性の心理として自らの仕事に対する評価が高いことに嫌悪感を抱く人間はいないだろう。
何もしなくても勝手にスターになれる人間の手助けをするのと、このままではくすぶったままの人間をスターへと押し上げるのと、どちらがプロデューサーとして世間に高く評価されるだろうか。
実際の事情に詳しい業界内部の人間ならまだしも、世間一般の人間にとっては後者を圧倒的に高く評価せざるを得ないだろう。
このように一般人をスターにする能力ばかりが現在はもてはやされている。
またもてはやされるような環境がある。
しかし、本当にそれでよいのだろうか。
山口百恵のような伝説的なアイドルはこのままでは生まれない。
そんなアイドルは必要ないのだという議論もあるだろうが、現在のようなアイドル乱立時代を最終的に勝ち抜くためには圧倒的なハイパフォーマンス、ハイスペックなアイドルが求められることは間違いないと思う。
そこで私はプロデューサー、マネジメントにスターをより高みへと連れて行くような行動を求めたい。
素質ではなく才能を持った人間に機会を与え道を作るような存在となるべきだと思う。
ただし、それは単純にプロデューサー自身の意識が変わればよいということではない。
最近ビジネス書などで取り上げられることも多くなった「論理的思考」では、論理的思考を2つに分類している。
1つは日本語でまさしく論理的思考と呼ばれる、ロジカルシンキング。
そしてもう1つはクリティカルシンキングである。
2つの違いを端的に言い表すとすれば、ロジカルシンキングは「1を2にする能力」であり、クリティカルシンキングとは「0を1にする能力」と言える。
例えば企業の製品開発であれば、なぜこの製品は売れるのか、あるいは売れないのかという情報からどういった製品を開発すれば売れるのかを考えて製品を作るのがロジカルシンキングによるアプローチであると言えるだろう。
それに対して既存の製品を見てこれまでにない製品を考案しようとするのがクリティカルシンキングによるアプローチである。
どちらも思い付きではなくきちんとした思考のプロセスに基づくアプローチであるが、これらは全く異なった能力である。
先ほどのプロデュース能力においてもこの分類と似通った部分が認められる。
一般人をスターにする能力があるなら才能ある人間を大スターにするくらい簡単だろうと考えがちだがそうとは限らないということである。
だとするならば、一からその能力を持った人間を探すかもしくは養成しなければならない。
この場合、事態は非常に深刻である。
多くの資源や時間を投入しなければ現状の閉塞感や硬直感を打開できないということであろうか。
インターネットの普及や人々の嗜好の多様化によって、我々はより近い幸福を求めるようになった。
あるいは幸福が近くになったと言えるかもしれない。
しかし芸能界という場所は時に遠くにあるからこそ夢や希望を大勢の人に与えることができるのだと思う。
その使命を果たすためには現在のプロデュース手法では全くの筋違いである。
もちろん現在の手法は現在の環境化において成功を収める有効的な手段であるが、それはあくまでも短期的な視点に過ぎない。
長期的に考えればここで大きな転換が図られなければならないだろう。
もちろんそれはある日突然変わるというものではなく、現在の流れの中で小さく発生し少しずつ大きくなっていくという類のものなのであろう。
プロデューサーよ驕るな、スターこそ超一流のプロデューサーを求めているのかもしれないのだから。
2010年はまさにアイドルが百花繚乱、乱立し混戦模様だったわけですが、さて今年はどのような年になるのでしょうか。
2011年最初の記事はそんなアイドルを創りあげる立場の方に対するメッセージ。
一般人からするとまだまだブラックボックスな部分が多い芸能界ですが、最近では裏方事情というものも自然に聞こえてくる時代となりました。
その中で頻繁に取り上げられるのがプロデューサーの存在。
中田ヤスタカ、秋元康、島田紳助など本人たち以上に注目される人物も多い。
実際に彼らがどのように考え、行動しているかは別として、なぜ世間は彼らに注目しているのだろうか。
どこに彼らのすごさを感じているのだろうか。
私は「一般人をスターにする能力」ではないかと思っている。
島田紳助は現在ではその代表格になっているが、まさしく原石をダイヤにする名人だろう。
その手法の素晴らしさや能力の高さについては異論もあろうが個人的にはやはり認めざるを得ない部分が大きいと思う。
また実際に彼の手によって売り出された人間も単なる一般人というわけではなく、プロデューサーの目に留まるだけの魅力を備えたまさしく”原石”である。
一般人をスターにするということの魅力は2つある。
1つは世間の共感を呼びやすいということ。
自分の周りにいそうな人間が日に日にスターの階段を上がっていく。
そのサクセスストーリーに世間は惹かれていく。
ファン心理という側面から考えても最近ではAKB48に代表されるように、芸能人にとってはファンとの距離の近さが重要なファクターとなっている。
この点からも根っからのスターよりも一般人がスターになるというバックグラウンドが好まれやすい(ファン・プロデュース側双方にとって)傾向にあると考えられる。
2つはプロデューサーの手法が高く評価されやすいことである。
彼らが自らの名誉のためにプロデュース活動を行っているとは必ずしも考えないが、一般的な人間、男性の心理として自らの仕事に対する評価が高いことに嫌悪感を抱く人間はいないだろう。
何もしなくても勝手にスターになれる人間の手助けをするのと、このままではくすぶったままの人間をスターへと押し上げるのと、どちらがプロデューサーとして世間に高く評価されるだろうか。
実際の事情に詳しい業界内部の人間ならまだしも、世間一般の人間にとっては後者を圧倒的に高く評価せざるを得ないだろう。
このように一般人をスターにする能力ばかりが現在はもてはやされている。
またもてはやされるような環境がある。
しかし、本当にそれでよいのだろうか。
山口百恵のような伝説的なアイドルはこのままでは生まれない。
そんなアイドルは必要ないのだという議論もあるだろうが、現在のようなアイドル乱立時代を最終的に勝ち抜くためには圧倒的なハイパフォーマンス、ハイスペックなアイドルが求められることは間違いないと思う。
そこで私はプロデューサー、マネジメントにスターをより高みへと連れて行くような行動を求めたい。
素質ではなく才能を持った人間に機会を与え道を作るような存在となるべきだと思う。
ただし、それは単純にプロデューサー自身の意識が変わればよいということではない。
最近ビジネス書などで取り上げられることも多くなった「論理的思考」では、論理的思考を2つに分類している。
1つは日本語でまさしく論理的思考と呼ばれる、ロジカルシンキング。
そしてもう1つはクリティカルシンキングである。
2つの違いを端的に言い表すとすれば、ロジカルシンキングは「1を2にする能力」であり、クリティカルシンキングとは「0を1にする能力」と言える。
例えば企業の製品開発であれば、なぜこの製品は売れるのか、あるいは売れないのかという情報からどういった製品を開発すれば売れるのかを考えて製品を作るのがロジカルシンキングによるアプローチであると言えるだろう。
それに対して既存の製品を見てこれまでにない製品を考案しようとするのがクリティカルシンキングによるアプローチである。
どちらも思い付きではなくきちんとした思考のプロセスに基づくアプローチであるが、これらは全く異なった能力である。
先ほどのプロデュース能力においてもこの分類と似通った部分が認められる。
一般人をスターにする能力があるなら才能ある人間を大スターにするくらい簡単だろうと考えがちだがそうとは限らないということである。
だとするならば、一からその能力を持った人間を探すかもしくは養成しなければならない。
この場合、事態は非常に深刻である。
多くの資源や時間を投入しなければ現状の閉塞感や硬直感を打開できないということであろうか。
インターネットの普及や人々の嗜好の多様化によって、我々はより近い幸福を求めるようになった。
あるいは幸福が近くになったと言えるかもしれない。
しかし芸能界という場所は時に遠くにあるからこそ夢や希望を大勢の人に与えることができるのだと思う。
その使命を果たすためには現在のプロデュース手法では全くの筋違いである。
もちろん現在の手法は現在の環境化において成功を収める有効的な手段であるが、それはあくまでも短期的な視点に過ぎない。
長期的に考えればここで大きな転換が図られなければならないだろう。
もちろんそれはある日突然変わるというものではなく、現在の流れの中で小さく発生し少しずつ大きくなっていくという類のものなのであろう。
プロデューサーよ驕るな、スターこそ超一流のプロデューサーを求めているのかもしれないのだから。