いつもなら、我々の朝は図書館から始まるが、
今日はクミコちゃんが加ドルを米ドルにする為、まず銀行へ。
C$900→米$680。
「弱いねーカナダドル」とtomolennon。

お昼時だったので、早速2人して集る。
オナカを充たした後、図書館に行き日課をこなす。
終了後,「ミュージカルのチケットを買いたい」
と言うクミコちゃんの願いを叶えるべく、BROADWAY×42Stへ。


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行くと既にチケットを買い求める人達が列を作っていた。しかしそこは当日券しか扱っていないという事で、直接劇場へ買いに行く事になった。無事に 『BEAUTY AND THE BEAST』チケットを手に入れたクミコ嬢はご満悦の様子。これは土曜日の分で、明日も当日券を買って『CHICAGO』を観に行くらしい。その後、

「オノヨーコに行きたい」
と言う。彼女の言っているオノヨーコとはダコタハウスの事だ。歩くのがシンドイと言う事で地下鉄で移動。乗り間違えて50丁目で降りたボク等は、セントラルパークを上って行った。途中キラキラレストランを通り、ダコタハウスに到着。

tomolennonが色々と説明をしている。
ツアーガイドだ。
何枚か写真を撮って『Cafe La Fortuner』へ。
再び集ってカプチーノをゴチになった。


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丼屋に行くまで時間があったのでMOMAの土産屋と本屋に行って暇つぶし。
5時になったので 丼屋に行き、佐伯さんにクミコちゃんを紹介。それから佐伯さんは、

「明日EASTグループの新年会があるのでよかったら来て下さい」

と我々を招待してくれた。ゴハンをいただいて、食べ終わると6時を過ぎていた。


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7時にBlue Note NEW YORKでKABAちゃん長尾さんと待ち合わせをしている。今夜、日本人ジャズピアニストの上原ひろみさんがそこでプレイをする。tomolennon はそこでひろみさんをスケッチする予定なのだ。彼は画材を取りにチェルシーへ戻る為、先に丼屋を出た。
「ごちそうさまでした」
と、そのあとスグに我々もBlue Noteに向かった。
約束の5分前に到着。中へ入るとKABAちゃんと長尾さんはすでに席に着いていた。
挨拶をしてからボクはクミコちゃんに

「KABAちゃんだよ」
と言う。

tomolennonは3年日本に帰ってないから知らなかったけど、クミコちゃんは知っているだろうと思い込んでいたボクはサプライズのつもりで紹介をしたのに、彼女は

「あっ、どうも初めまして」

と言うだけで、席に座ってしまう。“あれれ?知らんのか?”と思ったが、ボクがタレントさんだよと説明するのも何なのでしばらく様子を伺っていると、

「アーティストの方かなんかですか?」
と彼女は言う。アチャー。ボクが口を開く前に長尾さんが

「TVタレントです。僕は彼のマネージャーです」

と言った。それからボクは、KABAちゃんは日本でメジャーなタレントである事を彼女に説明した。


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その頃tomolennonはBlue Noteのオフィスにいた。
実は彼が到着した時点では、スケッチする許可をBlue Note側からも、ひろみさん側からも得られていなかったのだ。もちろん今まで何もしてなかった訳ではなく、N.Y.に来て2日目の22日からスケッチの 許可を貰う為、彼は何十回も電話をかけていた。
Blue Note N.Y.でセイコさんという日本人の方が働いている事を聞いていたので、セイコさん宛にメッセージを残し、またかけ直すという事を繰り返していたが、いつ も不在か忙しくて出られないかのどちらかで、まったく話をする事が出来なかった。しかし、今日の昼間に電話をした時に、やっとその方に通じたらしく話をす る事が出来たのだった。セイコさん曰く

「まず、ひろみさん側の許可を取って下さい。パム トムソンという彼女のアメリカ側のマネージャーがいるので連絡をして許可をもらって下さい」

2週間以上も前から電話をし、メッセージも残しているにも関わらず、コールバックがないというのはどう言う事か。
tomolennonはすぐに、アメリカ側のマネージャー、パム トムソンに電話をかける。つながらない。3回程かけるが全て留守電。

“困ったなぁ”
tomolennonはホントに焦っていた。

こうなったら、直で行くし かない。と画材を持ってBlue Noteに来たのだった。
まず彼はパムを探した。
方々聞いて廻ったが、どうやらパムはまだ来ていないようだった。
時間がないのでセイコさんを捕まえて話をする。
彼女は新聞でtomolennonの事を知っていた。
tomolennonは、パムがまだ来ていない事を伝え、先にBlue Note側の許可を下さいとお願いをした。
しかし答えはノー。

そんな時、控え室の前で、ひろみさんのバンドメンバーMartin(drums)と会う。
ひろみさんを始め、バンドメンバーとは9月にトロントで開催されたYAMAHA35周年記念コンサートの時に一度会っており、事情を説明すると、

「本人に話したら?」
と楽屋に入れてくれた。

そしてtomolennonは、ひろみさんに会って直接彼女にスケッチの許可をもらったのだった。
ひろみさんの日本側のマネージャー岡本さんにも許可をもらった。

セイコさんにその事を伝えるとBlue Note側からも、1stセットは満席なので2ndセットからならOKという事で許可をもらった。最終的にパム トムソンからもOKをもらい、やっと我々の待つ席にやって来たのだった。

お疲れさん。

ビールを注文し、ホッと一安心して一口つけると、
白のパステルを忘れて来た事に気がつく。
急いでホテルに取りに戻った。

8時になり演奏が始まった
。いきなりカッコイイ。ヤバイ。完全にやられた。
このバンド何がイイって、3 人とも演奏がクソ上手い。
なにより、本人達がプレイを存分に楽しんでいるのがヨイ。

tomolennonも無事に帰って来てこのギグを楽しむ。
1stセッ トが終わり、タバコを吸ってから席に戻ってくるとひろみさんがいた。
岡本さんにお願いをして、記念撮影をしてもらう。

tomolennonが、ひろみさんにポートフォリオを見せると、
彼女はかなり作品を気に入った様子だった。

2ndセット前に残念ながらKABAちゃんと 長尾さんが帰られた。
なんと今夜の我々のミュージックチャージとドリンクの支払をしていただいて、前回に続きホント申し訳ないです。ありがとうございまし た。いつかそのうち…。

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2ndセットに入る前に席を移動。
めちゃめちゃ目の前。
スケッチにはもってこいの席。
tomolennonは準備を始める。彼は今回、使用する紙の色を紫 にしようと決めていた。紙を取り出そうとすると、ない。紫色の紙がない。。。それまで彼は紫の上に重ねて行く色を思い描いていたが、無いんじゃしょうがな い。急遽、ネイビーブルーに紙を変更。頭の中をクリアにしてスケッチに挑む。照明が点いて2ndセットが始まった。

演奏と共に彼も色をのせて行く。

見ると、かなり集中しているようだ。
後に彼は、
「建物や風景と違って、生きている物を描く時はその一瞬を記憶して写していかなきゃならない。だからかなりの集中力が必要。相手がミュージシャンだとなお さら。対決してるみたいだよ。気を張ってないと、彼等の放つエネルギーに負けて描けなくなってしまう」と言っていた。

特に、ひろみさんの演奏スタイルはピアノを弾きながらガンガン動くので余計に集中していたんだと思った。ワンステージ50分。最高のステージで本当にあっという間に終わってしまった。

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tomolennonの所に大勢の人が集まって来ていた。

ひろみさんもお気に召した様子だった。いろいろ話をしていると、

H「『tomolennon』という名前はやはりあのJohn lennonからですか?」

t 「そうなんですビートルズが好きで。Johnlennonからはイロイロ影響を受けてまして」

H「ビートルズと言えば、4日にポールマッカートニーが来たんですよ」

t 「まじっすかー!」

本来コンタクトさえちゃんと取れていて許可を事前にもらっていたら、我々は初日の4日に来る予定だったのだ。
マネージャー岡本さんも

「自分の人生の中でポールと会えるなんて夢にも思ってませんでした」と言う。

「ニヤミスだ」

tomolennonはだいぶヘコんでいる。その横でクミコちゃんは買ったCDに、ひろみさんにサインをしてもらいゴキゲンだった。

「まぁ、ポールマッカートニーに会っていたら絵を描くどころじゃなかったろうから、よかったんだよ」
とボクは彼を慰めたが、彼はその後しばらく何度も「あ~、ポールゥ」と言っていた。

そんな彼を知ってか知らずか、ひろみさんはこんな事を言った。

「絶対、N.Y.に出るべきですよ!もっとみんなに見せなきゃ!」

この言葉にtomolennonはひどく喜んでおり、完成したら作品の写真をメールで送ると約束していた。

小腹がすいたので帰りに24時間オープンのデリに寄る事に。
移動途中でもtomolennonは「ポール」と言っていた。
ボクは“もしポールに会ってたら 驚きのあまり即死してたんじゃないか?”と心配になった。
デリでベーグルを食べてホテルに戻る。

今日のギグで1発で上原ひろみファンになったボクは
クミコ ちゃんに頼み込んでCDをマックにコピーさせてもらう。

tomolennonがロビーに日記を書きに行った後すぐに彼女は寝てしまった。
歩き過ぎて疲れた らしい。
N.Y.でガンガン歩いて足腰を鍛え、
ボクのように足にマメを作ってからトロントに帰って欲しいモノだ。



しかし、今日のtomolennonの頑張りはすごかった。
コピーさせてもらった『BRAIN』を聞きながら、ボクも負けない様にやらねばと思った。




朝方8時半過ぎまで日記の書き直しをしていた記憶があるがそこから30分ほど記憶がない。
うっかり寝てしまったようだ。
ボクのマックは省エネ設定になっており、一定の時間が過ぎると画面が落ちるようになっている。普通ならトラックパッドかキーのどれかをいじると立ち上がるのに、この時なぜが反応がまったくない。おかしいなと思いながらも、再起動させる。

その直後「やらかした!」と思ったが時既に遅し。

保存をしていなかった為、5時間以上かけ文章を考えながら打ち込んだ日記がパァ。
なんともマヌケな不注意で睡魔と戦いながら書いたモノがすべて飛んでしまった。
再び書こうにも文章を全部覚えちゃいない。
自分 に腹が立って頭を掻きむしっていると、tomolennonがムクッと起きて「どうした?」と聞く。
事情を説明すると

「じゃあ、あともう30分くらい寝なよ。時間になったら起こしてあげるからさ」と言う。

自分の馬鹿さ加減に嫌悪感を抱きつつ横にならせてもらう。
tomolennonに起こされシャワーを浴 び、ムリヤリ頭と体を起こす。
図書館への道すがら
「保存はマメにしないとダメだよ。オレも何回か痛い目みてるからね」とアドバイスをもらう。メールと日記 の更新をした後、消えてしまった分の再構築を始める。その間tomolennonはBook offへ。


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記憶を頼りに思い出して書こうとするが
昨日のKABAちゃん状態で、記憶がとぎれとぎれで一向にはかどらない。
1時半になり tomolennonはボクを迎えに来た。
今日は2時に週刊NY生活の三浦さんのオフィスに伺う事になっていたからだ。
マックをしまい、三浦さんのオフィ スへ。

入り口でインターフォンを押す。
「どちら様でございましょうか?」と女性の方が出られた。
ボクは「あの私、飯沼と申します。あの tomolennonと一緒に三浦さんに…スイマセン」訳が分からない。幸い、三浦さんと言うのがキーワードになり「どうぞ」とドアをあけていただく。失礼しますと中へ入って行くと三浦さんが「あぁ、どうも」と顔を出してくれた。

三浦さんとtomolennonは初対面なので互いに「初めまして」と挨拶を していた。
先日の掲載のお礼を言い、記事を取り上げてくれた事で、励ましのメールをもらったり、丼屋で展示販売させてもらえる事になったという様な近況報 告をした。三浦さんはそれはヨカッタと喜んでくれた。tomolennonは三浦さんにどうやったらN.Y.のギャラリーで個展を開催出来るか聞いた。

tomolennonは過去ギャラリーへポートフォリオを持参し個展の依頼をしに行ったが、持っているにもかかわらずポートフォリオを封筒に入れて送れと 言われたと言う。つまり決定権のある上の人まで話が通る事はないという事だ。
三浦さんは「やっぱり知人の紹介か、もしくはどこかのギャラリーの会員になる しかないかも」と言う。三浦さんが展示した時は、たまたま夏休み前で、壁のある一面が空いていたので、絵本を出しているのであれば絵を書くんだろうと知り合いに言われ、絵を出したそうだ。

三浦さんは作品を展示したギャラリーにすでにアポを取ってくれていて、そのギャラリーのオーナーと話をしてみてはどう か?とtomolennonに言った。2時を過ぎ、我々は三浦さんと共にJM Galleryに向かった。オーナーと挨拶をし、ギャラリー内をグルリと見せてもらう。三浦さんは仕事があると言う事で先にオフィスへ戻った。

tomolennonはオーナーと話を始め、ここで個展をさせてもらうにはどうしたらヨイかと聞いた。オーナーは「年2000ドルが必要」と言う。 tomolennonの嫌いなタイプのギャラリーだった。オーナーが自分の目で確かめて展示の判断をしていると言う割には、展示してある作品の統一感がまるでないし、詰まるところ金だ。

そこを出た後tomolennonは「こういうギャラリーに来るといつも決まってこんな気持ちになるんだ」と言い不快感を あらわにしていた。週刊NYのオフィスへ戻ると三浦さんにパソコンを借りて、丼屋で使用する販促物を作成。ボクはその間、読んでなよと渡された日経新聞を読んでいた。

tomolennonは本を出版するにあたりどういった方法があるか聞いた。
彼は将来的に作品に活字を載せた画集を発表したいと考えている。
しかしN.Y.では、すでに本が出版されているか、何か賞をとっているとかがなければ名のあるアーティストでも出版はキビシイと言う。販促物をプリントア ウトしてもらうと、三浦さんは「電話して色々聞いてみるといい」と言ってtomolennonに何枚かの名刺をコピーして渡した。

それから、イラストレー ターの黒田征太郎氏にも彼の為に電話をかけてくれた。

お礼を言ってオフィスを出る。
ボクは図書館へ再び戻り日記の続きをした。
閉館時間に近付いた頃、 tomolennonが紀国屋から帰ってきた。
残念ながら完成までもう一歩の所で足踏み。
今日は時間がないのでとりあえず丼屋へ行く。食事を済ませた頃、 村田さんが来店された。tomolennonがお茶を持ってカウンターへ。ボクはタバコを吸ってから、マックを立ち上げ、作業の続き。しばらくして「ごち そうさまでした」と言い、村田さんにも挨拶をして店を出る。

「さっき、村田さんとなに話してたの?」と聞くと、お礼のあり方についてだった。
誰かに世話し てもらったとか、助けてもらった後、お礼を蔑ろにせず、物事の結果や感謝の気持ちを手紙やメールで伝えるのはとても大切な事だ。

tomolennonは
「25歳過ぎてから、お礼を言う事の大切さを知った。オレは3年前に亡くなった親父に『ありがとう』と言えなかった。一番言わなきゃいけない人だったの に」と言っていた。

でもきっと日本にいたらなかなか言えるもんじゃないと思う。
暗黙の了解みたいなところがあるから。
日本に歳暮、中元の制度があるって事がそれを象徴している。
欧米人の様に面と向かってありがとうと言えないからそういう形でお礼の気持ちを表しているのだ。
でもボクは、親兄弟でも『ありがとう』と言える事はスバラシイ事だと思っている。
そして何事にも感謝の気持ちを持つ大切さを改めて考えた。

Ata-Ruへやって来てゴハンをいただく。
今日 は初日にいただいたマーボー丼だった。
2週間前にココへ来た事を思い出す。

残りあと1回、なんだか複雑な気持ちだ。

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ネットを借りてメールのチェック。
スパムが多くって困る。
8時に待ち合わせがあったので、サトウさんとマリアさんに「明後日また来ます。ごちそうさまでした」と言ってAta-Ruを後にする。

その後、急いでチェルシーへ。
今日からトロントでの共通の友人であるクミコちゃんが合流。
8時待ち合わせが、20分も過ぎてしまっている。
指定された場所 に迎えに行くと、閉店準備をしている店内でポツンをしている子を発見。

確保。

部屋に行く途中で、彼女は歯ブラシが欲しいと言ってコンビニへ寄る。
買ってし まった後で「向こうに99¢ショップがあるんですけど」と言うと「先に言え」と怒られた。ボクは99¢ショップでシャンプーとボディソープを買ってご満悦。


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部屋に入って3人でおしゃべりをする。
しばらくしてからtomolennonとクミコちゃんはロビーへ。
彼女はイーサンホークに会えるかもとミーハー丸出 しで降りて行った。
ボクは一人残って日記の作成。

明日はスペシャルナイトが待っている。とても楽しみだ。その為にも今日は早く寝よう。
絵が売れた。しかも原画だ!

先日丼屋で、系列店である55丁目のEASTレストランの店長、金丸さんがtomolennonの絵を見て「他の作品も見たい。気に入ったモノがあったら 買いたい」と言っていたという情報をいただき、tomolennonは金丸さんに電話でアポを取り、今日お会いする事になっていた。

昼過ぎにお邪魔すると 金丸さんは昼食の最中で「スミマセン食事中に」と言って我々は店内へ入った。店の作りが丼屋とは異なり、店内は明るめで全体的に『和』のイメージがあった。
席に着くと金丸さんはササッとゴハンを掻き込んで、手に持っていたDAILY SUNを見ながら

「いやー、イイ絵ですよね」と言った。
「ありがとうございます」とtomolennon。

金丸さんは、今日から丼屋で tomolennonのプリントを展示販売する事をすでにご存じで、EASTでも彼の作品を展示できないかと提案した。しかし今、我々は丼屋さんにお世話 になっているので、優先的に丼屋での展示販売をするのが筋というモノだ。

しかも現在持っているプリントは7枚だけなのでEAST店内に展示するには数が少ない、そして、同じ作品を展示しても面白くはないという事でtomolennonは、日系文化会館からの巡回展で発表する浮世絵シリーズを展示してみては どうかと提案。これなら、この店の持つ『和』の雰囲気に合い、作風がかぶる事なく、なおかつ数多く展示できる。tomolenonはこの浮世絵シリーズを 買い取った際、店側で展示も販売も自由に出来るメリットを説明。金丸さんは「額が大きいので上の者と相談をしてみますが、私は是非やりたいので本部の方に話を通します」とおっしゃってくれた。
これが通れば、丼屋では従来のtomolennonの作品が見る事ができ、EASTでは新しいtomolennon の作品浮世絵シリーズを見る事ができる様になる。大変スバラシイ。そして次にtomolennonは金丸さんにポートフォリオを見せた。


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金丸さんはポートフォリオをゆっくり捲り、一点ずつ作品を見ながら「いいねー」「ほしいね」を連発。そこでtomolennonは「原画を買っていただけ ませんか?」と話を持ち出した。もちろんこれはEASTにではなく金丸さん個人への申し出だ。

プリントならすぐに買えない値段ではない。
しかし原画ともな れば額はプリントの10倍もしくはそれ以上する。
もちろんそれだけの価値が原画にはある。金丸さんもその辺は百も承知のようで、かなり悩んでらした。 tomolennonは作品を愛してくれる金丸さんのような方だからこそ、プリントではなく原画を購入してほしいと思ったのだ。

値段の問題もあり「う~ ん、チョット原画は厳しいな」と言う。tomolennonは金丸さんと共に作品を見ながら、その絵にまつわる話や、作品自体の説明をしていった。そし て、「現在、丼屋さんでもお世話になっていますし今後、金丸さんにもお世話になると思いますので、$1000でいかがですか?」とtomolennonは 言った。ボクが口をはさむ事ではないのだが、$1000って半額以下じゃん?と思いビックリした。

すると、金丸さんは$1000で承諾。
デポジットとして tomolennonに$200を渡したのだった。

金丸さんの気に入られた絵は残念ながらすでに売却済みで、他にありませんかと伺ったところ「あなたの作 品ならどれでもいい、あなたの作品が欲しい」と言われ、tomolennonはトロントに戻ってから、描く新作の中でも最高の作品を送りますと約束してい た。

実は金丸さんの甥の方が近々結婚されるそうでそのプレゼントにtomolennonの絵をと考えてたと言う。だが「いやー、すばらしいよね。直接こうやって画家さんから買える事なんて滅多にないからね。うーん、やっぱり甥にはやらない」と笑いながら言っていた。
金丸さんは終始嬉しそうでなんだかボクまで嬉しくなった。
tomolennonもまた同じく思っていた。
他州にはアメリカ人の顧客が何人かいるが、N.Y,在住の同国人に認められるのは次への原 動力を意味し、活力となる。

「ありがとうございました」と挨拶をし、
EASTを出たボク等は作品の展示準備の為、丼屋へ向かった。
移動途中 tomolennonは「N.Y.の個展ぜったい成功させよう」と力強く言った。

丼屋では、すでに佐伯さんはフレームを準備してくれていて我々はさっそく 作品をフレームに入れる為の作業にとりかかった。tomolennonの指示でボクはガラス両面を丹念に拭いたり、余計な金具を取ったりした。彼はフレー ム内にぴったり収まるように作品の上下を切ったりしていた。きれいにフレームの中に収まった作品達を持って、いままで掛けられていた絵と交換する。


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展示終了後、金丸さんがEASTから見に来てくれた。
それから少しして、国連の村田さんが来店。
「ちょうど展示作業が終わったところなんですよ」と tomolennonと共に作品を見る。
村田さんのご意見をいただき、絵の位置を交換。

それからボク等はDAILY SUNにtomolennonが掲載された号のバックナンバーいただきに伺う。「5部しかなくてスイマセン」と工藤さんは言われたが、いただけるだけあり がたい。
なんでも、DAILY SUNは1日に8000部発行していて、そのほとんどが捨てられる事なく配布先からなくなると言う。って事は、8000人に近い人達が tomolennonの絵を見てると言う事になり、かなりの効果が期待される。

ホントDAILY SUN様様で、ありがとうございます。

オフィスを出た後、Ata-Ruへ行く。
ゴハンをいただいて、さらにネットも使わせてもらう。
見るとサトウさんもボ クと同じマックだ。やっぱりマックだよな。と一人しみじみと思っていた。
Ata-Ruを出る時、「あと2回ですね」と言われ、せつない感じがした。

外に出 て、さっきtomolennonに買ってもらったタバコに火をつける。
彼はポケットから$50を出し、ボクに手渡した。

「もっと早くこうしたかったんだけ ど、なかなかうまく行かなくてさ。」

ボクは「いや、勿体無いよ。他の何かに使おうや」と言ったが、

「少ないけど、給料みたいなモンだよ。この$50はホン ト好きに使ってくれ。オレも$50好きに使うからさ」と言った。

この$50の何と重みのある事か。
ホテルに戻り部屋でくつろいでいると、KABAちゃんの マネージャー長尾さんから電話が入る。

tomolennonはブルーノートN.Y.の予約を入れた事を伝えると、電話の相手がKABAちゃんに変わったら しい。

「どーもーこんばんわー」
いきなりtomolennonのテンションがおかしい。

KABAちゃんから「これからゴハン行きましょ」と言うお誘いを受け、ブロードウェイと32thの角で会う約束をし、電話を切ってすぐ待ち合わせ場所へ行く。

今日も姿勢がイイKABAちゃんは『ウーチョン』という店に行きたいと言う。
その昔、ダンス留学でN.Y.に住んでいた事があり、当時その韓国焼き肉の店に食べに行っていたと言う。しかし、KABAちゃんの記憶の糸 は途中とぎれとぎれになっていたらしく、僅かな記憶を頼りにその店を探した。

「ごめんなさいね、歩かせちゃって」とかなり謝っていたが、全編徒歩移動しているボク等はぜんぜんダイジョウブだった。結局、目当ての店が見つからなかったので、繁盛してそうなトコを選んで入る。「いっぱい食べてね」とKABA ちゃんは、プルコギ、カルビ、チヂミなど次々にオーダー。しかも日本語で。この人は強いなとボクは思った。
ビールが運ばれてきて4人で乾杯。今年初ビー ル。かっー、ウマイ!ありがとう!KABAちゃん最高!と思っていると、注文の品がテーブルに乗りきらない程やってきた。

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「いただきマス」と言って焼き肉をガンガン食べる。
今日、彼等は昼間からアルコールを入れ、買い物をし、自由の女神見物に行ったそうで、その後エンパイア にも行こうとしたが、長蛇の列を目の当たりにして、諦めたそうだ。先日の我等のMOMA状態だ。エンパイアは明日に持ち越しと言っていた。

買い物が大好き なKABAちゃんは洋服、靴などを購入。「これ買ったの」とシャツを指差して言った。買った洋服をその日の晩さっそく着ていたのだ。やっぱこの人オシャレ だなと思った。おなかイッパイごちそうになり、次に会う約束をして焼き肉屋の前で別れる。

KABAちゃんホントご馳走さまでした。

ホテルに帰ってボクは、コレを書きながら人生山あり谷ありだなと感慨にふけた。


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今日からNew York Public Libraryが開いていると思いやって来たが、月曜日のため休館。どうしようか迷ったあげく無理を承知でAta-Ruへ行く事にした。

「スイマセン、ネットを使わせて下さい」

忙しい時間帯にお邪魔したのにも関わらず、「ああ、いいよ」とサトウさんは言ってくれた。お言葉に甘えて使わせてもらうが、ちょうど昼時でお客さんがガン ガン入って来たので、さすがに申し訳なくメールのチェックだけさせてもらい店を出る。開館している別の図書館を見つけtomolennonはネットをし、 ボクはその間この日記を書き直しなどしていた。彼はネットを終えると

「高島屋に絵の売り込みに行って来る」
と言って図書館を出て行った。

ボクはてっきり高島屋にギャラリーがあって、そこに展示のお願いをしに行ったのだとばかり思っていたが、後で聞いてみるとか なり思考が違っていた。彼は現在ブランディングに興味があって、以前からこうやったら面白いんじゃないかというアイデアを持っていた。
ロゴや色を使用した ブランドイメージは街中に溢れていて、チョットやソット変わった事をしたくらいではすぐに埋もれてしまう。写真も有名人を起用しなければインパクトに欠け る。
ところがファインアートは匿名性が高く、ブランドイメージとしての採用はまだ少ない。そこでtomolennonは、この多くの可能性を持つファイン アートでN.Y.高島屋のブランドイメージを作らせてくれないかと持ち掛けたのだ。


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tomolennonは今年、カナダの日系文化会館からスタートするカ ナダ巡回展を予定している。そのテーマは浮世絵と自身の作風のミクスチャー。tomolennonが描く浮世絵を発表する展覧会だ。日本でも伝統と高い格式を持つ高島屋のN.Y.支店から新しい形の日本のイメージ-Japonisme-を展開する事が出来ればとても画期的で面白く、必ず注目を集める事が出来ると彼は信じているのだ。

そこでまず、高島屋のインフォメーションで受付の女性に話をし、話の判断が出来る人に取り次いで欲しいとお願いをした。受付の女性は怪訝そうに彼を見なが ら広報に電話しtomolennonに渡した。
広報担当者と電話でのやりとり。「ウチには必要ない事で」と断られ、何を話してもまったくラチがあかなかっ たと言う。しかし一度も作品を見ず、直接会って話を聞く事もなく、電話だけで“NO”と断ってしまうというのはいかがなモノか?tomolennonは話 し合いの場が欲しくて電話をしているのだ。

ボクは「その後どう話を持っていったのか?」と聞くと、
彼は「それは予想通りの反応。だったら、その人では対応 出来ない議題をポンっと投げてしまえばイイ。
それでその人が言う、アートを使ったブランディングが必要ないというのは、高島屋の見解として受け取っていい んですね?と聞いたんだ」と言った。

対応しきれなくなった広報担当者は「上の者につなぎます」と言う。
次につながれたのは所長。N.Y.高島屋のトップだ。が、しかし所長との話の中でもやはり「私どもはそのご要望に、お応えできません」と断られたと言う。そこでtomolennonは、
「N.Y.で自分が掲載された新聞などがあるので、それをお渡しします。そして作品を実際に見た上で判断をして下さい」
と申し出た。
それから彼は実際にN.Y.高島屋の所長に会う事が出来き、そこで作品を見てもらい、話を聞いてもらい、トロントに戻って早々にカナダ巡回展の企画書を送る約束をした。

今日、ここまで強く交渉に挑んだのは、日系企業の持つ“守り”の体制を少しずつでも変えて行きたいという前向きな姿勢からで、これに関して以前から彼は諦 めにも似た感情を抱いていた。同じ日本人として、その判断基準を変えて行ければ、この先の可能性がより広がると考えているからだ。

「少しでも可能性があれば、アプローチして行く事が大切だ」
とtomolennonは言った。

図書館に戻ってきたtomolennonとボクはそれから丼屋へ移動した。

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挨拶をして入り、ゴハンをいただく。ハンバーグがめちゃめちゃ美味しくて黙々と 食べる。食後、トイレに行って帰ってくるとtomolennonは佐伯さんと明日から絵を飾る為のフレームの打ち合わせをしていた。先日お世話になった村 田さんも丼屋に来ていて、何やらtomolennonと話していた。ボクはその時プチ禁煙をしているにもかかわらず、どうしてもタバコが吸いたくなり、外 へ出て貰いタバコをしてそれを吸っていた。店内へ戻り村田さんと挨拶をし、丼屋の皆さんにお礼を言って店を出る。それからボク等は村田さんの紹介で、日本人が経営されていると言うシュークリームのお店『Choux Factory』へ行く。


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こちらでもやはり、紙コップや紙袋などにデザインをさせて欲しいと話を持ちかける。入社1週目というヨシイさんが話しを聞いてくれて、
「オーナーにはボクの方から伝えて、電話させてもらいます」
と言ってくれた。よろしくお願いします。そして、テイスティングコーヒーをいただく。軽い感じの口当たりのよいコーヒーだった。ごちそうさまでした。

雨の中、一度チェルシーに戻る。傘なんて持っていない我々はずぶ濡れになりながら歩いて行った。ボクは滞在中、黒のダウンジャケットを愛用しており、今日は雨に激しく濡れた為、ショウウィンドウに映ったボクはまるでゴミ袋をかぶっているように見えた。浮浪者再び。
部屋に着いて、濡れたモンを乾かして、靴下 を履き替える。tomolennonは電話してくると言って出て行ってしまった。1時間程で戻って来た彼と再び出掛ける。

今日は10時からEMPIRE DINERでスケッチの予定があるのだ。15分ほど歩いて到着。


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すごくステキな店だ。ピアノの生演奏。明る過ぎず暗過ぎずのちょうどヨイ照明。室温、空気。どれもイイ感じだ。tomolennonの絵のイメージにぴっ たりじゃないかと勝手に思っていた。
オーナーのリサを呼んでもらっている間、彼はどこからのアングルで描こうか考えていて、しばらくウロウロしていた。ど うやらこのEMPIRE DINERの店内は絵を描くのには暗すぎるようで、tomolennonはかなり苦労して場所探しをしていた。
ほどなくしてリサがやってきた。挨拶をし、握手をする。tomolennonはさっそく作業に取りかかった。

途中、リサが気を使ってくれてコーヒーを入れてくれた。
ウマイ。平日の遅い時間と言う事もありお客さんは少なかったが、その時EMPIRE DINERにいたほとんどの人がtomolennonの絵を覗き込み、褒めたたえたのであった。
中でもカリフォルニアからバケーションで来ていると言うア リソンさんはtomolennonの絵の中に登場するバブル(泡)が相当気に入ったらしく、何度も「アタシこれ好き」っと指をさして言っていた。

彼は チョークの色を確認するのにもロウソクにいちいち近付けなきゃいけないほど暗い店内で4時間ぶっ通しで集中していた為、かなりお疲れの様子だった。
疲労困憊とはこの時の為にある言葉だ。
お疲れさんでした。


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2時半になったところで画材を片付け、店の人達に挨拶をして帰る。
明日は朝からスケジュールがびっちり で忙しい。

もしかしたら明日が今回の旅の山場になるかもしれない。

前々から「行った事あります?」とこちらに住む人達に言われ、かなり気になっていたものの、なかなか行く事が出来ずにいたWilliamsburg。若い アーティストやミュージシャンがいて、倉庫を改造したギャラリーやアートスペースなどがたくさん在るエリア。今日はそのウィリアムズバーグへ行って来た。 もちろん徒歩で。


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ウィリアムズバーグ橋をグングン歩きイーストリバーを渡る。
橋のふもと付近は落書きがたくさんあって、どうもスラムな匂いがしていた。
しかも、そこいらにいる人達の会話が英語じゃない。

「ヤバイとこに来たんじゃないの?」

と顔を見合わせながら早足で歩く。
噂の街はどこにあるのやら。方々見ていると、それらしい感じの人や倉庫はあるのだけれど、いまいち確信が持てない。 tomolennonはギャラリーガイドなる冊子を見ているが、それでもなかなか見つからない。やっとこさギャラリーを見つけるも残念ながら正月休み。
聞き込みが必要だ。
一軒のオシャレなカフェの前で読書をしていたフツウの男性に、メインストリートがどこなのか訪ねてみるが「よく知らない」と言う。「たぶ んこの通りだよ」という道を適当に歩いていると、だんだん人が増えてきた。本屋があったので入ってみる。奥へ入って行ったtomolennonが「面白い ぜ」と言ってボクを呼んだ。行ってみると、1つのビルに、本屋、カフェ、サロン、など何店舗か入っており、見れば入り口付近にはプリクラやゲーム機も置い てあった。

「中野ブロードウェイ!」
ボクは思った。





中野よりはこっちの方がオシャレな感じがするが、なんだか同じ匂いがする。
中野っぽいトコを出るとtomolennonが「腹減らない?ダ ンキン探そう」と言う。
今までそんな事を言った事は無かったので“何でだろ?”と思ったがボクは「ウン、そうだね」と答えた。ダンキンを見つけ店内へ。1 ダースドーナツを買い6コ貰う。
無言のままドーナツを何個か食べた。
tomolennonは何か言いたそうで、気付いていたけどイヤな予感がしていたので 黙っていた。
なんだか別れ話を切り出される感じに似ていた。
ダンキンを出て、さっきの場所へ戻る。道を尋ねた男性に会ったカフェの前で「コーヒー飲もう」 とtomolennonが誘う。「ウン」と言って入ったが、どうも嫌疑感が離れない。


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トイレへ行って席に戻るとコーヒーがあってtomolennonはすでに飲んでいた。ボクもミルクを入れ一口飲む。すると彼はこう言った。

「もう、限界じゃん?先にトロント帰る?ここ2、3日の日記を読んでても、食いモンの話とかしか出てこないし。あんなのだったらUPして欲しくないからさ。どうなの?」

彼は最近のボクの無気力感を見かねたのと、何も意見や質問をせず、ただ一緒にくっついて行動しているだけのボクにガマンの限界を感じていたのだ。

「先にト ロントに帰る?」と言われたのはかなりショックだったが、的を得ているだけに、何も言えなかった。
そのまま黙っていると状況はますます悪化してまった。
カ フェを出た後、終始無言で丼屋まで歩く。
丼屋でも会話がない。
しかしtomolennonは丼屋のバイトの人達に話し掛け何か情報を得ようとしていた。

帰 り道、話をしようと公園に寄った。
「思っている事を言えばイイんだよ」と彼は言うが、何とも言葉が出てこない。
こういう状況下ではボクはただひたすらに自分を攻めてしまう。

再び無言のままチェルシーに戻り、「今後どう言う風にこの記録を書いていくのか考えて教えてよ」そう言って、tomolennonは日 記を書きにロビーへ降りて行ってしまった。

“邪魔になるなら帰った方がヨイのだろうか?一人の方が動きやすいのだろうか?”と、かなりの時間ずっとどうす るのがいいのか考えていた。すると部屋の外が何やら騒がしい。
どうやらtomolennonが誰か日本人と話をしている。
部屋に入ってくるなり

「KABA ちゃんが来た」と言う。

外に出てみると、芸能人のKABAちゃんとそのマネージャーさんがいた。

なんでも休暇で5日間N.Y.に来ているらしい。
しかも今 日の夕方に到着したと言っていた。tomolennonは彼を知らなかったらしく、KABAちゃんはチョットへこんでいた。とりあえず、 tomolennon、KABAちゃん、マネージャーさんの3ショットを撮らせてもう。

KABAちゃんはTVで見たままの人だった。
tomolennonがこの企画について話し、いま1日1食生活なんですと言うと、KABAちゃんは

「まぁ、 かわいそう。じゃあ、今度お肉食べに行きましょう。ごちそうしてあげる」とあの口調で言う。

なんともスバラシイご招待。
階段のところまで彼等を送り、部屋 に戻る。少しだけ明るくなった部屋の空気を壊さない様にボクは日記を書き始めた。


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ここでこんな出会いがあるなんて、tomolennonはやはり何か引き 付けているに違いない。

ボクは足を引っ張らない様に頑張ろうと思った。