-A VAGRANT LIFE IN NEW YORK-

 

この旅のきっかけは12月のある日、8年来の友人カナダで活躍するアーティストのtomolennon(現・永本冬森)から一緒にニューヨークへ行こうと誘いを受けた事から始まった。

これは、日記の冒頭でも書いているが、ボクは最初にこのプロジェクトを聞いた時、ただ単純に面白そうだとしか思わなかった。だからタイトルも-A VAGRANT LIFE IN N.Y.ー(放浪生活)なんて完全にナメきったタイトルをつけたんだと思う。

12月下旬のN.Y.にお金を持たずに行くという事がどれほど自殺行為に近 く、そんな状況を変えていく事がどんなに大変かを、N.Y.に着いてから身を以て知ったのである。僕等は本当に、現金、バンクカード、クレジットカードを持っていかなかった。だからこの3週間、何をするにも全力で事にあたった。滞在中、普段では考えられないほど歩いたし、平均睡眠時間は毎日2,3時間だっ た。

「トロントで生活してたら、毎日こんなに全開で生きてないよね」

とtomolennonはいつも言っていた。
そしてボクは何より、人と触れあう事の大 切さを今回改めて知ったのである。基本的に、人と接する事があまり得意でないので、ここ数年それを避ける傾向にあった。だから「アポ取ってきてよ」とか 「メシ食えるトコ探して交渉しようよ」と言われた時、先立って思ったのは「え~、イヤだなぁ」という事だった。しかし人間本当に腹が減ったり、冷たい外気 に何時間も触れていたりすると「そんな事言ってられん」となる。この変わりようは我ながらスゴイと思うが、これにはtomolennonの強力なサポート があったからこそで、もし彼でなかったらパッと諦めてトロントにトンボ帰りしていたかもしれない。

彼はいつでもボクを励まし勇気づけてくれた。そしてその 交渉先で出会った人達の温かい恩恵を受けた僕等は、これほど食事がありがたく、雨風をしのげる事がどれほど安らぎを感じられる事かを知ったのだった。

小さ なきっかけ一つで、人が人を呼び、波状的に人脈が広がっていった。それも驚くべきスピードで。例えば27日からお世話になった『丼屋』。「絵と交換で食事 を提供して下さい」と交渉に行ってOKをもらい、毎日お世話になっているウチに村田さんと知り合う事ができ、絵を購入していただいた上、彫刻家の桐谷サエ リさんとお話しする機会をいただき、さらにブランディングに興味があると言うtomolennonに『Choux Factry』というお店の紹介もしていただいた。そして丼屋では店内で作品の展示販売をさせて頂ける事にもなったのである。
展示販売を開始してから僅か 数日で、不動産を営むニールさんがプリント2枚を購入。「ニューヨークで物件を探すならウチへいらっしゃい」と言う今後につながるありがたい言葉も頂いた。

効果があらわれた時期としてはやはり新聞に記事が掲載されてからだろうか。僕等がN.Y.に入って10日ほど経った頃だ。メディアの力は大きいと実感した。新聞を読んだ人達から励ましのメールが届く様になっていたし、絵が売れる事へのキッカケになったと言っても過言ではないだろう。

大きく取り上げて下 さった『DAILY SUN』『週刊NY生活』の各紙には、本当にお礼の言葉も見つからない程に感謝しています。DAILY SUN紙には新聞のトップページにtomolennonの作品をドンと載せていただいて、それを見た『55th.EAST』の金丸さんが作品に興味をもたれ、原画を購入していただくまでに至った。
週刊NY生活の三浦さんには展覧会や出版に関する話をしていただいた他、黒田征太郎さんを紹介していただき、素晴らしい話を聞く事が出来た。
ボクはこの旅の中で黒田さんに出会い話を聞けた事が一番の思い出として残っていて、自分のこれからを思惟する良いきっかけにもなった。
宿に至っては、tomolennonが諦めずに何度も交渉をしてくれたおかげで、『KITANO HOTEL』『Hotel Chelsea』に宿泊する事ができた。特にHotel Chelseaは3週間の滞在期間中なんと18泊もしたのである。全く知らない人に声をかけるというほんの僅かな勇気が、人とつながる窓口となり、そこか ら派生する様々な出会いが素晴らしい結果をもたらすのだ。他のどんなに小さな出会いもすべて、これからの人生の糧となる事だろう。

高い志と最後まで諦めな い強い意志があれば、不可能に思える事すべてをを可能に変えられる事をtomolennonは教えてくれた。

もしこれを読んで「自分にも何か出来るかも知れない」と勇気を持ってくれたらこれ以上の至福はない。
そしてこの旅が、tomolennonのニューヨーク移住3ヶ年計画の第一歩にふさわしいものとなったと確信している。
ボクはその第一歩に少しでも加担できた事を嬉しく思う。

このプロジェクトに協力して下さったすべての皆様、このブログを読んで下さった方々に心から感謝いたします。
そして厳しくも常に励まし続けてくれたtomolennon
ありがとう。


2005年1月11日 飯沼省

 

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朝の9時前に起床。
tomolennonがパッキングをしている。
来た時よりも荷物が増えてて、カートに満載。
ボクは来た時と全く同じで、カバン1コ。

17泊もしたチェルシーホテルは我等のいろんな思いが凝縮されている。
別れを惜しみつつ部屋を出てロビーへ降りる。
tomolennonは既にロビーにいて、スタンレー氏と話をしていた。
この方も独特のオーラを放っている。
ボクはtomolennonとの2ショット写真を撮らせて頂いた。
 

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氏に「Good luck」と言われホテルを出るとその足で丼屋へ向かった。

お世話になった丼屋の店長、佐伯さんに出発前にお礼を言う為だ。
30丁目を過ぎた頃、 tomolennonが「あっ、やっちゃった」と言う。
何をやらかしたのかと聞いてみると、昨日の晩に読んでいた本を枕の下に忘れてきたと言う。
彼はボク に荷物を預け、一目散にホテルへと走って行った。
その間カフェで待っていると僅か20分足らずで戻ってきた。
早い。
 

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さて、丼屋に行く前にKITANO HOTELへ立ち寄る。
ムリを言っていろいろとお世話になった副支配人の小島さんに挨拶をしにやってきたのだが、残念ながら会議に出席中だった為「宜しく お伝え下さい」と言ってKITANO HOTELを後にする。

それから丼屋へ行くが、時間が早かったので佐伯さんはまだいなかった。
すでに来ていたバイトの人に荷物を預かってもらい、一度丼屋を離れる。

「N.Y.離れる前にどーしても食いたいモンがあるんだよね」

とtomolennon。ホットドッグか?と思っていたらメキシカンだった。

 

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ホットドッグスタンド同様、路上で売っていて、いつもイイ匂いを発していたあのメキシカン。う~んスバラシイ。場所を見つけて開封。

うまいなぁ。とパクパク食べる。
 

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3週間前N.Y.に着いた時、無一文でやってきて、当然食べ物を買う事なんて出来なかった。
それが今は出来ている。
そこに は、この3週間で出会った人達の力添えがあるからこそで、
本当に感謝しなければならない。
すべて平らげたボク等は、DAILY SUN 週刊NY生活 OCS NEWS 各紙にお礼の電話を入れた。
その後、再び丼屋へ。挨拶をして感謝の気持ちを伝える。

佐伯さんはブログを読んでくれたらしく、昨晩の百々さん同様

「途中、危ない時あったんだね。大丈夫だった?」

と言われる。皆さん読んで下さっててホントありがたいです。
 

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時間もなくなってきたので、丼屋に残していくtomolennonの子供達(作品)を佐伯さんにお願いし、バスターミナルへと向かう。アナウンスが流れバスに乗り込むと車内は空いていて一人二席を確保。午後1時、ボク等を乗せたバスはN.Y.を出発した。

遠く離れて行くマンハッタンの景色を写真に収め、深く席に腰掛けるとボクはそのまま寝てしまった。

 

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目覚めると、窓の外は雪が積もっていて驚いた。tomolennonはずっと本を読んでいたらしい。最初の休憩場所でトイレに立ち、出てくると彼は買い物をしていた。

「ホレ」
とコーラとドーナツ、そしてタバコを手渡した。

21日の明け方ココで、
「タバコ買って帰れるくらいになりたいよね」
と話していた事を思い出した。ありがたく頂戴する。

見ればtomolennonはボクにそれらを与えただけでなく「タバコくれ」と言ってきた中東系の人にも1本あげていた。
 

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「返していかんとね」

確かに我々はN.Y.で散々もらいタバコしたからな。
少しずつでも返して行こうという気持ちが大切。

再びバスへ戻ると眠気の無くなったボクはバスの中で日記を打ち込み始めた。
時は金なりです。
ただ、打ち始めて2時間しないウチにバッテリーがなくなってしまった。
しかたがないので窓の外に目をやる。

この3週間、正直シンドイと思う事が多い旅だった。
でもだからこそ何かを手に入れた時の感動が大きかったに違いない。
少しは成長したかな?と思いながら窓 の外を眺めていた。

4時間後、ボク等は国境にいた。
カナダに入る為の入国審査。
アメリカへ入る時はかなり大変だったのに、カナダはスンナリ通してくれた。
2人ともホッと胸を撫で下ろす。

そして0時前、トロントのバスターミナル到着。
別れ際、地下鉄の入り口で我等はガッチリ握手とハグをし、tomolennonはこう言った。

「終わったな。でもまたここから始まるな」

こうして3週間に及んだニューヨーク無一文の旅は終わりを告げた。

今日はクミコちゃんのN.Y.最終日。
昨晩彼女は、SOHOに行こうか自由の女神見物に行こうか悩んだ挙げく、自由の女神見物を選択。
どこまでも彼女はメジャー指向だ。

2000年4月、我々はStaten Island Ferryを利用してManhattanとStaten島を5往復し、
日が暮れるまで写真を撮っていた。
その経験からtomolennonはボクにクミコ ちゃんのガイドをするよう任命。
先日のダコタツアーは彼がガイドを勤めたので、今回はボクの番という訳だ。
10時過ぎにチェルシーを出て、まずは Krispy Kremeというドーナツ屋さんで朝食。

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もちろんゴチになりました。
それからボクとクミコちゃんは地下鉄でSouth Ferryへ。
tomolennonは先日プリントを購入してくれたお客さんの所へ向かった。

South Ferryに到着した我等はさっそくフェリー乗り場へ行った。
大勢の人がフェリーの到着を待っている。待つこと15分。
フェリーに乗り込んだ我等はデッキ へ出る。
中からではキレイに撮影出来ないからだ。
風が冷たく寒かったが気合いを入れてカメラをかまえる。
「撮ったろか?」
彼女のカメラを預かる。
「落とさないでね」
ありがとうと言われるかと思いきや、全く信用されていないような発言に少々ヘコむ。
とは言えボクはガイドなので観光記念という事で自由の女神像をバックに数枚シャッターを切って差し上げる。

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自分のカメラでも珍しい程ガンガン撮った。
前回の記憶が蘇る。
貿易センタービルがない事実に、あの日、本当に想像もつかない事が起きたんだなと言う実感が湧いた。途中、船上でCOOLのコイケさんから電話を受けた。

「今週の土曜に自分の絵の展示がありそのお知らせで連絡しました」

との事。残念ながらもうトロントに帰っている旨を伝え、メールで写真を添付して送って下さいとお願いをして電話を切った。コイケさんの作品はどんな感じなのか、とても楽しみだ。
2回往復をしたところで、時間が来たのでホテルに荷物を取りに帰る。
2時を過ぎ、彼女を地下鉄の駅まで送って行った。
が、なぜか封 鎖。仕方が無いので別の駅へ移動し「またトロントで」と言って別れる。

ホテルに戻り、昨日も1時間くらいしか寝てなかったボクはベッドに横になると寝てしまった。

一方tomolennonは72nd St.にいた。
プリントを買ってくれた方のオフィスにお邪魔していた。

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NealさんはN.Y.のこの場所で20年間不動産業を営んできた方であり、
大の映画ファンでオフィスにはレアな映画のポスターがところ狭しと飾られていたと言う。
映画のポスターのコレクターの様だ。
tomolennonは作品集を見せ ながら、こういった作品を描いていると説明。
Nealさんは「風景画が好きなんだ」と言いながらページを捲っているとジョンレノンを描いた作品を発見。 「これは?」と聞かれtomolennonは「これは個人的にオーダーされて描いたモノです」と答えた。いくら位で頼めるのか?どのくらいかかるのか?等 の質問を受けた。Nealさんは大のビートルズファンでもあったらしい。
話の中で、
「もし、N.Y.で物件を探す事があれば、ウチへ来なさい。良い物件を紹介しよう」
と言ってくれたそうだ。
今後につながるありがたいお話しだ。

目覚めると、4時過ぎだった。
横になる前に食べたティラミス1コとキャラメル何とか×2コのお陰で胸ヤケ。
気持ちが悪い。tomolennonに電話をか ける。
7時に丼屋で待ち合わせて再びゴロッとする。
15分遅れて丼屋にやってくると、tomolennonは村田さんとお喋りをしていた。
丼屋も今日で最 後かと思いながら、話にまぜてもらう。

村田さんはこのブログを読んで下さったらしくtomolennonが
「村田さんの事も書いてありますよ」と言うと、
「チョットは有名になるかな?あっはっは。」
と冗談めかして笑っていた。ボクはハズカシイのと嬉しいのとで
「ありがとうございます。いや、スイマセン」
と謝ってしまった。今日は佐伯さんが休みなので、勇くんがゴハンを出してくれた。

最後の食事は『チャーハン&ラーメン』

ラーメンはスープから彼が作ったそうで、こってり醤油のメチャメチャおいしいラーメンに2人して思いっきり喜ぶ。
「ラーメン屋出来ますよ」
tomolennonが言うと彼は謙遜して「イヤイヤ」と言っていたが、ホントにラーメン屋を出せる味だった。マジで。ありがとう勇くん、ごちそうさまでした。食後、ボク等はお世話になった村田さんに「一緒に写真を撮って下さい」とお願いし、撮らせてもらう。

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お店の女の子もカメラを持ってきていて記念撮影開始。
帰る間際、村田さんは先日買っていただいた絵の支払いをしてくれた。
tomolennonは「今週中 に届く様にしますので」と言って代金を頂く。
「じゃあ、また」と握手をしてくれて村田さんは帰って行った。
カッコイイ。
その後、丼屋の女の子達にお礼を言い、
勇くんには「明日またあいさつに来ます」と言って店を出る。

10時半にジャズピアニストの百々さんに会う事になっているので、そそくさとホテルに戻る。
日記の手直しなどをしていると、あっと言う間に時間が来てしまった。

チェルシーのロビーで久しぶりに御対面。
隣のレストランに入る。

最初にN,Y,で お世話になったのが百々さんで、そっから色々とつながって今日に至っている。百々さんに始まり百々さんに終わるN.Y.の旅だ。
百々さんはボクの顔を見て

「痩せたねー」

と言う。自分でも痩せた自覚はあるが、以前がブタだったので今はちょうどヨクなったといったところか。

tomolennonはこの記録と写真、作品を時期を見て出版したいと考えており、本の内容の一つとして使いたいとボクに、彼と百々さんとのツーショット写真を撮って欲しいと頼んだ。

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百々さんも村田さん同様ブログを読んで下さって、

「途中なんかヤバかったでしょ、大丈夫かな?て心配しましたよ」

と軽く百々さんに突っ込まれる。
いやはやお恥ずかしい。

その後も話をしていると店の閉店時間になってしまった。
ボク等は下のバーへ移った。
そこで tomolennonはKITANO HOTELでDodo Toru Trioを描いた作品を百々さんに手渡した。
百々さんは感激しているようで「アルバムのジャケット描きますよ」と言うtomolennonの発言に「あぁ もう、お願いしますよ」と答えていた。
近いウチにtomolennonデザインの百々徹CDが発売されるかも知れない。
楽しみだ。

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百々さんのアルバムと言 えば『116 WEST 238 St.』。
アパート名が無いにしろ住所まる出しなので、以前ファンの方からの手紙が116 WEST 238 St.だけで百々さん宅に届けられたらしい。すごい。と言うより、タイトル名で手紙を送ったファンの方がスゴイのか?店を出て、車で帰る百々さんを見送り 部屋に戻る。

最後の夜なので、部屋の中を一枚撮ってみた。

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明日の夜はトロントにいるだなんて今はまだ想像できずにいる。
昨日電話でアポを取っていたNEW YORK Walkerに
約束の時間より少し早く出向く。
とてもキレイなオフィスだった。
エントランスでManaging Directorの宇井さんと初対面。
ボク等は会議室に通された。
宇井さんの話によるとNEW YORK Walkerは、N.Y.に住む又は遊びにくる日本人向けに、イベント情報に特化した媒体でありたい、又、N.Y.で頑張ってる人達を応援したいと去年7月からスタートしたとの事。

tomolennonは「他のフリーペーパーにはない感じの情報誌で、こんなにアートを取り入れているモノは初めて見ました。紙もしっかりしてるし、イイですね」と言った。

分かりやすい表現としては、日本で発行されているTokyo Walkerや、ぴあのN.Y.版といったところか。しかも無料。内容もちゃんと項目ごとに分かれていて読みやすい。なおかつ表紙にイラストが採用されている。

彼は続けて、現在イラストを描いておられる方との契約期間やイラストのテーマなどを聞いた。
今の時点でそのイラストレーターさんとの契約期間は1年で、来年の7月までとの事で、テーマは基本的にその号の特集や季節に応じたモノをお願いしているらしい。

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tomolennonが、表紙をやらせて欲しいと 言うと、どうなるかは分からないが契約の切り替え時に会議の席でアートディレクターや他の意見も交え決めるという答えを頂く。この情報誌の面白い所は他に もあって、最初の一番いいページにN.Y.で活動しているアーティストの作品を2号ずつ(1ヶ月間)露出しているのだ。普通なら広告用に取っておくスペー スだ。だが、活躍のチャンスを与えたいとの理由で掲載しているとの事だった。アーティストにとっては願ったり叶ったりだ。tomolennonは一旦トロ ントに帰ってしまう為、今後はメールでやり取りをしましょうと言う話になった。

2時にグッゲンハイム美術館で、イラストレーターの黒田征太郎氏を待ち合わせをしていた為、
「休日出勤で忙しい所スミマセンでした」とボク
「首を長くして待ってます」とtomolennon。

バックナンバーを何部かいただきオフィスを出る。23rdから92St.まで歩く。途中tomolennonが
「ワンブロックあたり1分かかっている。このまま行くと間に合わないよ」と言う。

遅刻はシャレにならんという事で歩く速度を上げた。
まるで競歩。その甲斐あって、5分前に到着。
雨が降っていて肌寒い日だったが、到着時ボク等 は、少し汗ばんでいた。


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しばらく待っていると、黒田征太郎さん登場

スゲーカッコイイ。
何がって見た目とかじゃなくて、発しているオーラと言うか、その類のモノ。

カフェに入ってボク等はコーヒーを注文。
ボクはまず席を離れて写真を取り始めた。
tomolennonはポートフォリオを見せ、今自分が抱いてる 疑問を黒田氏に問いかけた。

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「自分ではファインアートの世界に閉じこもってやっていたいと思っていて、でも人から見るtomolennonの作品は違っていて、トロントN.Y.に限 らず雑誌などコマーシャルの仕事をした方が良いんじゃないかと人から言われます。しかし、コマーシャルは当然クライアントありきなので、注文をもらって相 手の通りに仕上げる為、作品としては自分がないと言うか、束縛を感じ仕事としてとらえてしまう。作品の全てを自分で決められるところでファインアートの世 界に閉じこもっていたいのです」

そう言うと黒田氏は「年いくつ?」と聞いた。

「31です」と答えると、

「今のその世代で、未だに境界がある事にビックリする。
誰が決めたかは知らんが未だにその境界を持っているのが信じられない。あなたが、そこにしがみつこうとするファインアートとは何ですか?例えば、アンディウォーホルにしてもバスキアにしても、自由にやっているように見えて、彼等は人が求めるアンディ ウォーホル、バスキアを自身で作って来た。非常に制約があったと思う。
人々が求めるというのは、クライアントがいるのと同じで、どんなに自由なアーティス トでも知らず知らずのウチにディレクションしてるんだ。自らがディレクションしようが、他人からされようが同じ事だ。どんな形であれ、世に出る作品は自分の作品だ。だったら、境界、肩書き、ジャンルなんて関係ない。
それでもファインアーティストと言うジャケットを着たければ着ればいい。でもそんなもの気に しない方がイイよ。大体、アーティストというのはあまりにも自身満々過ぎて、特殊な職業だと思い込んでる。横から見ててちゃんちゃらおかしいですよ。
今あなたはメシ食えてるじゃないですか。飲み食いができてキレイな服も来て、そのうえ絵を描いて儲けようだなんてズウズウしい事。表現して生きてる訳だから小さい事にこだわらなくていい。死なないで食えてる訳じゃないですか。それって奇跡だと思いません?」

正直、今回tomolennonは自分の考えを話し、
黒田さんに「おやりなさい」と背中を後押しして欲しいと思っていた。
だがそれは全く違っていて、思いっきりコアな部分で本音で話をされたのだった。




「いま地球上には約60億の人が生きてます。と言う事は60億通りの生き方があるという事です。人と比べてはいけない。あなたはあなたでいて欲しい、それがアートだ。
アーティストの中にはいろんな人がいて一括りではない。だから面白い。
人はそんなに強くないから、どうしても他と比較してしまう。でもどう思うなんて考えない方がいい。
私は自分の事をアーティストだと思った事はないですよ。絵だけで生きてる訳じゃないですから。私の職業は、言ってみれば中小企業の経営者ですよ。だから月末になるとスタッフに支払う給料の心配をするよ。
年末なんて大嫌い。嫌いとは言いながら、仕事ですからね。生きている事は好きですから。一人で生きてる人などいません。いろんな関わりで生きてるんです。

例えば絵を描くとする。今使っているこの絵の具は誰かが作っている、同時にこ の紙も誰かが作ったモノだ。全部絡んでくる。そこがアートなんですよ。だから、アーティストも音楽家なんかも、もっともっと謙虚にならなきゃいけない。
例えば『グリーン』これは日本では草色と言います。
これは草にインスパイアされた昔の人が苦労して作ったんです。『ブルー』は水色。オリジナルは海であり川である。その延長線上にミケランジェロがいてピカソがいるんです。
音楽にしても風が水面に当たって波が立つ。まず波のザブン、ドブンという音があって バッハがありベートーベンがある。自然が作った音楽があって人がそれに続いている」

そして、黒田さんの話に現代の色々な問題が入ってくる。

「神戸の震災があった時、私はそこへ行き続け看板を描き続けた。ある電話会社からお金を引っ張って来てライブもやった。でも音楽や絵で出来るのは微々たる モノなんです。昔、炭坑で働いていた人達は堀に行く時、空気の流れを読む為にカナリヤを持って行ったそうです。そのカナリヤの役割をアートは出来ると思う んです。いま私は『ピカドン』と言うアニメーションを作っています。広島と長崎に原爆が落とされて60年なんですね。広島では、原爆の町広島というイメー ジは嫌なんです。水のまち広島にしたいと。」

黒田さんはペーパーナプキンにキノコ雲とそれをひっくり返して水を張った絵を描いてそう言った。

「過去10年間で、13本アニメーションを作って来た。戦争の記憶を次に伝える為にね。でもそれは全然意味の無い事だと分かった。でもやらないよりはマシ だと、今も続けてる。ピカドンは14作目のアニメです。何も兵器で打ち上げる事だけが戦争なんじゃない。いまこの時も戦争中ですよ。自分がいま生きてる事 で世にどれだけのマイナスカードを出してるか考えます。昔、水を買って飲む時代が来るなんて思っても見なかった。これからの子供達に湧き水を飲ませる事は 出来るのか?絶望的だが、努力をすればもしかしたら可能性があるかも知れない。地球という巨大な生命体の上で、誰かの為ではなく自分の為にやるんです。国 籍も性別も貧富も年齢もすべて関係無く、ツールとしてアートを使うんです」

これからの時代、心の豊かさが必要と言うtomolennonに

「本当に飢えた時、アートは必要ではないんですよ。私は1939年生まれなんです。第二次世界大戦が始まる前でね。物心付いた頃から20歳くらいまでの間 いつも腹が減っていましたよ。だから私は食べ物は絶対残さないよ。
極端な話、砂漠で喉が乾いている時、何千万もする絵とコップ一杯の水を出されて絵を選ぶ人間は一人もいない。世界の人口が増え食糧難になるのは明らかで、このままではヤバイと言うのは分かってる。でも残念ながら年寄りはダメ。65年も生きてるとね、もういいよってなる。自分達の生きてる間だけ良ければイイと。
でもそれでは改善されないでしょ?足下を見れば本当にヤバイ。若い人達は気付いてるんだろうけど、それにしても今の日本は本当にヒドイ。
相変わらず着ている物はキレイだし、車なんかもピカピカで、芯から腐っている。
今の若い人達が改善し て行かなくてはいけない。だから、もう一度言いますが、あなたはあなたでいて欲しい。作品を発表出来るのであれば、それがファインアートだろうがコマー シャルだろうが関係ない。
人から求められ作品を出すと言う事は世の中と接点があるという事。それが大切。だから私は自分の絵をあげたりします。
たぶん日本 で一番あげてるんじゃないかな?
病院や老人ホームなんかで皆で一緒に描いたりもしてますよ。もちろん生活しなきゃいけないからお金の入る仕事もしますけ ど、タダの仕事もいっぱいしてますよ」

じーんとした。いつかの小泉さんじゃないけど、感動した。ホントに。
たくさん話を聞いたのち、tomolennonは1冊の本をプレゼントされた。

『すべてのヒトは人だ』ー世界人権宣言ー 絵・黒田征太郎

1948年12月10日に採択された世界人権宣言に、黒田さんがイラストを描いたものだ。

冒頭にある氏の言葉が非常に印象的だ。

ー地球上で暮らすすべての人びとが、平和の下で幸せな生活を送り、自らのもっているすべての可能性を発揮できる21世紀になるように、私たちひとりひとりが、この宣言を活用し、実現していきましょう。ー

「楽しかった、ありがとう」と言って握手をし、黒田さんは帰って行った。
実にスバラシイ人だ。

この後、図書館へ向かう途中でtomolennonは
「オレのこだわっている事は小さな事だと思う。だけど、こだわってる事は自分なりに消化していかなくちゃならない。黒田さんと話をして1つ再確認した事が ある。それは、自分がオリジナルであるという事。世の中が勝手にジャンル分けしていくけど、絵描きなのかミュージシャンなのか分からない所でオレにしか出来ない事、人がオレに求めてる事をどんどん凝縮していきたい。やっている事がどんな事であれ、自分がブランドになってしまえば、何でも出来るんだ」

と言った。さらに一言

「なんだか一皮剥けた気がするよ」

う~ん、黒田さんと言い、tomolennonと言いなかなか深い。
ボクは果たしてどうなのか?もしかしてその資格さえないのかも知れない。

図書館にてメールと日記の更新をした後、Book offを経由し丼屋へ行く。
ブタ肉丼をいただき今日の初ゴハンとする。
8時にとあるカフェでクミコちゃんと待ち合わせをしていたので、「ごちそうさまで す」と言って店を出る。
カフェにて今日の日記を書き始めるも、店員が掃除&イス上げをしている。
どうやら8時で閉店のようだ。
しかたがないので外で待つ。 5分くらいして彼女は到着。それからラーメン屋に3人で行く。

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クミコ嬢たっての希望で、ラーメン。
食えるかな?と思いながらもついて行く。
店内にて、彼等はみそラーメン。ボクは塩ラーメンを頼んだ。
ラーメンって以外 と入るモンですね。と思いながらズルズル食べる。
ここでも我等はクミコ姫にゴチになりました。
彼女は明日帰ってしまうので、日中に行けなかったエンパイア に登ろうという事になり、ボクもお供する事になった。tomolennonは来る度に登っているからイイといってマクドナルドで待機。チケットを買って、 86階へ上がる。かなり視界がよく景色がキレイに見えた。

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写真を撮ろうと頑張るが2人とも根性なしの為、寒さにやられてそそくさと退散。
ホテルに戻って、昨日いただいたティラミスを食す。
ボクは調子に乗って、も う1つ食べた。とたんに胸ヤケ。
日記を書くのに支障をきたす。

となりでスヤスヤ寝ている彼等を横目に、今日の黒田さんの話を思い出しながら、自分の存在理 由などを考え、黒田征太郎氏に会えた事を心から嬉しく思った。
今朝の7時半過ぎに日記を書き終え、8時頃眠りについた。
それから一時間半後の9時半に起きる。
ねむい。

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図書館業務をこなした後、クミコちゃんのゴチで吉野屋へ行き牛丼(並)を注文。
久しぶりに食べる牛丼に郷愁を感じた。

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食後、クミコちゃんと別れ「紀國屋に無い雑誌があるかもしれない」と、tomolennonの希望で旭屋書店へ。雑誌の立ち読みをする事、約30分。本屋を出た我等はSOHOに向かう。

tomolennonは常々
「カフェとかで、どっかヨイところがあったら教えて下さい」
と言っていて、いつだったか丼屋でバイトをしている子から
「SOHOにあるHIROKO'S PLACEなんかはどうですか?」
という情報をもらっていた。

バスに乗って景色を見ながらSOHOまで下ろうという事になり、バスをつかまえて乗り込む。が、我等はメトロカードもトークンも持っていなかった為、現金で払おうとすると
「現金はダメ」
とバスの運転手に言われる。N.Y.の公共交通機関は便利なんだか不便なんだか分かりゃしない。仕方が無いので地下鉄でSOHOまで下る事にした。

Spring Stで降りる。所要時間約15分。
徒歩と違ってさすがにSUBWAYを使うと早い。
さっそく目的の『HIROKO'S PLACE』へ向かう。
最初、何屋なのか分からなかったが、
行ってみると日本人のHIROKOさんがオーナーをしてるカフェだった。
中に入ってコーヒー を注文。
tomolennonは雑誌を2冊持って来て読んでいる。

コーヒーが運ばれて来てからtomolennonがHIROKOさんに話しかけた。自分がアーティストであり、自身のアートプロジェクトを実行中だと説明。するとHIROKOさんは
「へー、スゴイですね」と一言。次いで、彼はポートフォリオを見せた。

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彼女は、tomolennonの絵を見て、
「すごくキレイ。ステキな絵ですね」
と言い、お褒め頂いた。それから
「現在ブランディングに興味があって、もしHIROKOさんの知り合いで、これから何かを始めようとしているクリエイターがいたら教えてもらえませんか?」
と言うも、
「知り合いですか。う~ん」
と考え込んでしまった。話の途中だったがお客さんがやって来た為に中断。手が空くまで待つ事にした。ボクはその時キョーレツな眠気に襲われ、座っていたの がソファという事もあり30分ほど寝てしまた。ハッ、と起きるとtomolennonが、そろそろ出るか。と言う。

HIROKOさんは手が空きそうにない ので、会計を済ませて店を出た。
残念ながらチョット期待ハズレに終わったが、せっかくSOHOに来たのだからという事で、まずは『Kid robot』というデザイナーズフィギュアのお店に入る。店内をグルグルしていると、とてもかっこいいスピーカーを発見。たまらなく欲しかったが、1 台$250。どう考えてもムリなので諦めた。
tomolennonも「イイね」と言っていた所をみると彼も欲しかったに違いない。

Kid robotを後にし、次にANNASUIに入る。レディースブランドではないか。
なんで?と思っていたら、
彼は不思議な事に2日間連続でANNASUIの 夢を見ていて気になっていたらしい。
で、ふと見れば、彼は店員の女性にポートフォリオを見せながら話をしている。
彼女はショップマネージャーで、作品を見ながら「スバラシイ」を連発。

tomolennonに現在展開中のTシャツのデザインを見せて、
「あなたの絵の方がこのシャツには合うと思うわ。本部に連絡するといいと思う」
と言って連絡先を彼に渡していた。

店を出ると、
「どうしても行きたい店がある」
というtomolennonのワガママを聞いて『ZAKKA』なる店を目指す。

そこは、先程のKid robotの様なフィギュアと共に本も販売していて、その奥にはギャラリーまで備わっているスゴイお店だと言う。

途中『ISE CULTURAL FOUNDATION』による。
地下に降りると、女性スタッフの方が2人いて「こんにちは」と言って入る。
突然の訪問に少々驚かれていたようだが、 tomolennonが今回のアートプロジェクトを話すと、
「TV番組か何かですか?」
と聞かれる。やっぱりこんなスゴイ事を個人的にやっているのは我々だけなのだ。

スタッフのお二人はこのプロジェクトを実行してるボク等を気に入ってくれた らしく、「ギャラリーに送る為の作品集を100冊用意しなさい」とか「映像で追っかけたらどう?」とか「TV番組で取り上げてもらったら?」など色々とア ドバイスをくれた。tomolennonは、参考までに、ココの場合どうやったら個展ができるかという質問をした。スタッフの人は
「ISEでは、個人で個展をされる場合にはキュレーター(学芸員)を立て展覧会の企画を申請する必要があります。ここでは年2回やってますよ」
と言う。つまり、一人では個展は出来ないという事だ。

スタッフの一人Maiさんがtomolennonに一軒のギャラリーを紹介してくれた。
カプセルギャ ラリーという日本人贔屓のギャラリーらしい。連
絡先を教えてもらい、「ありがとうございました」と言って、そこを出る。

ようやくZAKKAへ向かう事になったが、
住所がどうしても思い出せなかったようでKid robotに戻り店員の人に聞く。
GRAND St. にあると教えてもらい、そこを目指す。
GRAND St.までやってきたが、全然お店が見つからない。
西へ東へ歩くが無い。これはいったいどうした事か?
その辺の人に聞いても皆口を揃えて「知らない」と言 う。
さて困ったぞ。とりあえず近くにあった子供服屋に入って聞いてみる。
ここもやっぱり知らないと言われる。
ダメもとで、ネットで調べてくれないか?と頼むとスンナリOK。

住所を聞いてZAKKAを目指す。どうやら通り過ぎていたようだ。
住所通りに行ってみると、お店は休み。

休みだから当然店内は真っ暗。
道理で通り過ぎる訳だ。
がっかりうなだれるtomolennon。
必死で探しまわったし、もう時間がないので当然と言えば当然だが、やってなきゃしょうがない。

我々はそこから歩いてAta-Ruへと移動した。
N.Y.に来て2日目からお世話になったAta-Ruも今日が最後。

「なんだか寂しいね」と言いながらひたすら歩いて行った。

地下鉄だと15分足らずなのだが、歩くと1時間以上かかる。
これだけ運動すればゴハンも美味しいよと励まし合い、やっと到着。
「今日が最後ですね」
とサトウさんと話をする。
ゴハンが出来るまで例の如くネットを使わせてもらう。
Ata-Ru最後のメニューは焼き肉丼だった。
いままでありがとうと噛み締めながらいただく。

食後マリアさんにコーヒーをもらって、皆で記念撮影。ホントお世話になりました。

「次回来る時はちゃんとお金を払って食べに来ますから」

とtomolennonが言うとサトウさんは笑っていた。

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ボク等は本当にいい人達と出会っているな。
「ありがとうございました」と握手をして、Ata-Ruを出た。
それからボクは、昼に留守電を残したN.Y.walkerに再び電話をした。
このフリー ペーパーの表紙は毎号イラストが使われている。
この表紙をtomolennonにやらせては貰えないだろうかと尋ね、
直接本人にあって話をしてもらえない かとお願いをした。

すると、本当なら明日は休みだが昼に一度オフィスに来る予定があるので
12時頃に来て下さいと言われた。ヨッシャ。
その旨を tomolennonに伝え、我々は丼屋へ向かう。

遅い時間にお邪魔したとあって、お店は忙しそうだった。
村田さんがいらしたので挨拶をする。
tomolennonが村田さんと話をしていると、佐伯さんがやってきて、こう言った。

「絵が売れましたよ。2枚」

スゴイ。展示して間もないのにもう2枚も売れた。

お客さんはマンハッタンにいくつかの不動産を所有しているおじいさんとの事で、
tomolennonは佐伯さんから連絡先を貰っていた。

おいしいゴハンを頂き、「それでは後ほど」と言って店をでた。
今日はEASTグループの新年会があると言う事で、我々はお呼ばれしているのだ。
時間があっ たので、ボクもtomolennonもカフェに入って日記を書く。
が、10時で閉店。しかたがないので別の場所を探す。
11時を過ぎた頃、クミコちゃんから電話があったようで、
もうすでにEASTにいると言う。急いでボク等もそこへ向かった。

新年会と言う事で、「ガンガン呑んでくださいね」と言われていたが、
ガンガン呑んだら間違いなく撃沈する恐れがあった為、ウーロン茶で参加する。

佐伯さんがtomolennonに写真家の館林さんを紹介。
ファッション から物撮り、エアロスミスなどの大物アーティストに至るまで写真家として幅広く活躍されている方だ。tomolennonがポートフォリオを見せると、

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「ヘー、おもしろいねぇ、ギャラリー紹介しようか?」と言って下さる。
「是非お願いします!」

即答。館林さんはマンハッタンとブルックリンにあるギャラリーのうち、ブルックリンの方が彼の作品にあっていると言った。

「館林さんはギターもやるんですよ」と佐伯さんが教えてくれた。佐伯さん自身もギターをプレイされるそうで、丼屋ギター教室なるものが営業終了後に何度か行われているらしい。
次回は来週の金曜日に開催と言う事でtomolennonは非常に残念がっていた。


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深夜0時をまわり、新年会が始まった。なんだか日本にいる気分だった。
今日EASTに集まったほとんどが、幹部クラスの方々で、なんともスゴイ人達ばかりだった。
ある程度の時間が経って、ビンゴ大会が始まった。
最初のウチ、全くと言っていいほど番号が合わず、
「チームトモレノンだめだね」と話していると、
横でビンゴカード10枚購入した館林さんが次々にビンゴ。
景品の山が築き上がる。
しばらくしてまずボクがビンゴ。
次にtomolennonがビンゴ。

ビン ゴ大会終了後、ボク等は景品であるデザートを手土産にホテルへ帰る。

EASTの皆さんありがとうございました。
このところまともに寝ていないボクを見て、クミコちゃんは気を使ってくれて地下鉄の切符を買ってくれた。申し訳ない。tomolennonも大丈夫か?と声をかけてくれたりして、イイ奴らだ。

明日はN,Y,walkerのオフィスで話をした後、黒田征太郎氏に会う。

最後の追い込み時期だ。気合いを入れてがんばろうと思った。