昨日電話でアポを取っていたNEW YORK Walkerに
約束の時間より少し早く出向く。
とてもキレイなオフィスだった。
エントランスでManaging Directorの宇井さんと初対面。
ボク等は会議室に通された。
宇井さんの話によるとNEW YORK Walkerは、N.Y.に住む又は遊びにくる日本人向けに、イベント情報に特化した媒体でありたい、又、N.Y.で頑張ってる人達を応援したいと去年7月からスタートしたとの事。

tomolennonは「他のフリーペーパーにはない感じの情報誌で、こんなにアートを取り入れているモノは初めて見ました。紙もしっかりしてるし、イイですね」と言った。

分かりやすい表現としては、日本で発行されているTokyo Walkerや、ぴあのN.Y.版といったところか。しかも無料。内容もちゃんと項目ごとに分かれていて読みやすい。なおかつ表紙にイラストが採用されている。

彼は続けて、現在イラストを描いておられる方との契約期間やイラストのテーマなどを聞いた。
今の時点でそのイラストレーターさんとの契約期間は1年で、来年の7月までとの事で、テーマは基本的にその号の特集や季節に応じたモノをお願いしているらしい。

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tomolennonが、表紙をやらせて欲しいと 言うと、どうなるかは分からないが契約の切り替え時に会議の席でアートディレクターや他の意見も交え決めるという答えを頂く。この情報誌の面白い所は他に もあって、最初の一番いいページにN.Y.で活動しているアーティストの作品を2号ずつ(1ヶ月間)露出しているのだ。普通なら広告用に取っておくスペー スだ。だが、活躍のチャンスを与えたいとの理由で掲載しているとの事だった。アーティストにとっては願ったり叶ったりだ。tomolennonは一旦トロ ントに帰ってしまう為、今後はメールでやり取りをしましょうと言う話になった。

2時にグッゲンハイム美術館で、イラストレーターの黒田征太郎氏を待ち合わせをしていた為、
「休日出勤で忙しい所スミマセンでした」とボク
「首を長くして待ってます」とtomolennon。

バックナンバーを何部かいただきオフィスを出る。23rdから92St.まで歩く。途中tomolennonが
「ワンブロックあたり1分かかっている。このまま行くと間に合わないよ」と言う。

遅刻はシャレにならんという事で歩く速度を上げた。
まるで競歩。その甲斐あって、5分前に到着。
雨が降っていて肌寒い日だったが、到着時ボク等 は、少し汗ばんでいた。


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しばらく待っていると、黒田征太郎さん登場

スゲーカッコイイ。
何がって見た目とかじゃなくて、発しているオーラと言うか、その類のモノ。

カフェに入ってボク等はコーヒーを注文。
ボクはまず席を離れて写真を取り始めた。
tomolennonはポートフォリオを見せ、今自分が抱いてる 疑問を黒田氏に問いかけた。

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「自分ではファインアートの世界に閉じこもってやっていたいと思っていて、でも人から見るtomolennonの作品は違っていて、トロントN.Y.に限 らず雑誌などコマーシャルの仕事をした方が良いんじゃないかと人から言われます。しかし、コマーシャルは当然クライアントありきなので、注文をもらって相 手の通りに仕上げる為、作品としては自分がないと言うか、束縛を感じ仕事としてとらえてしまう。作品の全てを自分で決められるところでファインアートの世 界に閉じこもっていたいのです」

そう言うと黒田氏は「年いくつ?」と聞いた。

「31です」と答えると、

「今のその世代で、未だに境界がある事にビックリする。
誰が決めたかは知らんが未だにその境界を持っているのが信じられない。あなたが、そこにしがみつこうとするファインアートとは何ですか?例えば、アンディウォーホルにしてもバスキアにしても、自由にやっているように見えて、彼等は人が求めるアンディ ウォーホル、バスキアを自身で作って来た。非常に制約があったと思う。
人々が求めるというのは、クライアントがいるのと同じで、どんなに自由なアーティス トでも知らず知らずのウチにディレクションしてるんだ。自らがディレクションしようが、他人からされようが同じ事だ。どんな形であれ、世に出る作品は自分の作品だ。だったら、境界、肩書き、ジャンルなんて関係ない。
それでもファインアーティストと言うジャケットを着たければ着ればいい。でもそんなもの気に しない方がイイよ。大体、アーティストというのはあまりにも自身満々過ぎて、特殊な職業だと思い込んでる。横から見ててちゃんちゃらおかしいですよ。
今あなたはメシ食えてるじゃないですか。飲み食いができてキレイな服も来て、そのうえ絵を描いて儲けようだなんてズウズウしい事。表現して生きてる訳だから小さい事にこだわらなくていい。死なないで食えてる訳じゃないですか。それって奇跡だと思いません?」

正直、今回tomolennonは自分の考えを話し、
黒田さんに「おやりなさい」と背中を後押しして欲しいと思っていた。
だがそれは全く違っていて、思いっきりコアな部分で本音で話をされたのだった。




「いま地球上には約60億の人が生きてます。と言う事は60億通りの生き方があるという事です。人と比べてはいけない。あなたはあなたでいて欲しい、それがアートだ。
アーティストの中にはいろんな人がいて一括りではない。だから面白い。
人はそんなに強くないから、どうしても他と比較してしまう。でもどう思うなんて考えない方がいい。
私は自分の事をアーティストだと思った事はないですよ。絵だけで生きてる訳じゃないですから。私の職業は、言ってみれば中小企業の経営者ですよ。だから月末になるとスタッフに支払う給料の心配をするよ。
年末なんて大嫌い。嫌いとは言いながら、仕事ですからね。生きている事は好きですから。一人で生きてる人などいません。いろんな関わりで生きてるんです。

例えば絵を描くとする。今使っているこの絵の具は誰かが作っている、同時にこ の紙も誰かが作ったモノだ。全部絡んでくる。そこがアートなんですよ。だから、アーティストも音楽家なんかも、もっともっと謙虚にならなきゃいけない。
例えば『グリーン』これは日本では草色と言います。
これは草にインスパイアされた昔の人が苦労して作ったんです。『ブルー』は水色。オリジナルは海であり川である。その延長線上にミケランジェロがいてピカソがいるんです。
音楽にしても風が水面に当たって波が立つ。まず波のザブン、ドブンという音があって バッハがありベートーベンがある。自然が作った音楽があって人がそれに続いている」

そして、黒田さんの話に現代の色々な問題が入ってくる。

「神戸の震災があった時、私はそこへ行き続け看板を描き続けた。ある電話会社からお金を引っ張って来てライブもやった。でも音楽や絵で出来るのは微々たる モノなんです。昔、炭坑で働いていた人達は堀に行く時、空気の流れを読む為にカナリヤを持って行ったそうです。そのカナリヤの役割をアートは出来ると思う んです。いま私は『ピカドン』と言うアニメーションを作っています。広島と長崎に原爆が落とされて60年なんですね。広島では、原爆の町広島というイメー ジは嫌なんです。水のまち広島にしたいと。」

黒田さんはペーパーナプキンにキノコ雲とそれをひっくり返して水を張った絵を描いてそう言った。

「過去10年間で、13本アニメーションを作って来た。戦争の記憶を次に伝える為にね。でもそれは全然意味の無い事だと分かった。でもやらないよりはマシ だと、今も続けてる。ピカドンは14作目のアニメです。何も兵器で打ち上げる事だけが戦争なんじゃない。いまこの時も戦争中ですよ。自分がいま生きてる事 で世にどれだけのマイナスカードを出してるか考えます。昔、水を買って飲む時代が来るなんて思っても見なかった。これからの子供達に湧き水を飲ませる事は 出来るのか?絶望的だが、努力をすればもしかしたら可能性があるかも知れない。地球という巨大な生命体の上で、誰かの為ではなく自分の為にやるんです。国 籍も性別も貧富も年齢もすべて関係無く、ツールとしてアートを使うんです」

これからの時代、心の豊かさが必要と言うtomolennonに

「本当に飢えた時、アートは必要ではないんですよ。私は1939年生まれなんです。第二次世界大戦が始まる前でね。物心付いた頃から20歳くらいまでの間 いつも腹が減っていましたよ。だから私は食べ物は絶対残さないよ。
極端な話、砂漠で喉が乾いている時、何千万もする絵とコップ一杯の水を出されて絵を選ぶ人間は一人もいない。世界の人口が増え食糧難になるのは明らかで、このままではヤバイと言うのは分かってる。でも残念ながら年寄りはダメ。65年も生きてるとね、もういいよってなる。自分達の生きてる間だけ良ければイイと。
でもそれでは改善されないでしょ?足下を見れば本当にヤバイ。若い人達は気付いてるんだろうけど、それにしても今の日本は本当にヒドイ。
相変わらず着ている物はキレイだし、車なんかもピカピカで、芯から腐っている。
今の若い人達が改善し て行かなくてはいけない。だから、もう一度言いますが、あなたはあなたでいて欲しい。作品を発表出来るのであれば、それがファインアートだろうがコマー シャルだろうが関係ない。
人から求められ作品を出すと言う事は世の中と接点があるという事。それが大切。だから私は自分の絵をあげたりします。
たぶん日本 で一番あげてるんじゃないかな?
病院や老人ホームなんかで皆で一緒に描いたりもしてますよ。もちろん生活しなきゃいけないからお金の入る仕事もしますけ ど、タダの仕事もいっぱいしてますよ」

じーんとした。いつかの小泉さんじゃないけど、感動した。ホントに。
たくさん話を聞いたのち、tomolennonは1冊の本をプレゼントされた。

『すべてのヒトは人だ』ー世界人権宣言ー 絵・黒田征太郎

1948年12月10日に採択された世界人権宣言に、黒田さんがイラストを描いたものだ。

冒頭にある氏の言葉が非常に印象的だ。

ー地球上で暮らすすべての人びとが、平和の下で幸せな生活を送り、自らのもっているすべての可能性を発揮できる21世紀になるように、私たちひとりひとりが、この宣言を活用し、実現していきましょう。ー

「楽しかった、ありがとう」と言って握手をし、黒田さんは帰って行った。
実にスバラシイ人だ。

この後、図書館へ向かう途中でtomolennonは
「オレのこだわっている事は小さな事だと思う。だけど、こだわってる事は自分なりに消化していかなくちゃならない。黒田さんと話をして1つ再確認した事が ある。それは、自分がオリジナルであるという事。世の中が勝手にジャンル分けしていくけど、絵描きなのかミュージシャンなのか分からない所でオレにしか出来ない事、人がオレに求めてる事をどんどん凝縮していきたい。やっている事がどんな事であれ、自分がブランドになってしまえば、何でも出来るんだ」

と言った。さらに一言

「なんだか一皮剥けた気がするよ」

う~ん、黒田さんと言い、tomolennonと言いなかなか深い。
ボクは果たしてどうなのか?もしかしてその資格さえないのかも知れない。

図書館にてメールと日記の更新をした後、Book offを経由し丼屋へ行く。
ブタ肉丼をいただき今日の初ゴハンとする。
8時にとあるカフェでクミコちゃんと待ち合わせをしていたので、「ごちそうさまで す」と言って店を出る。
カフェにて今日の日記を書き始めるも、店員が掃除&イス上げをしている。
どうやら8時で閉店のようだ。
しかたがないので外で待つ。 5分くらいして彼女は到着。それからラーメン屋に3人で行く。

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クミコ嬢たっての希望で、ラーメン。
食えるかな?と思いながらもついて行く。
店内にて、彼等はみそラーメン。ボクは塩ラーメンを頼んだ。
ラーメンって以外 と入るモンですね。と思いながらズルズル食べる。
ここでも我等はクミコ姫にゴチになりました。
彼女は明日帰ってしまうので、日中に行けなかったエンパイア に登ろうという事になり、ボクもお供する事になった。tomolennonは来る度に登っているからイイといってマクドナルドで待機。チケットを買って、 86階へ上がる。かなり視界がよく景色がキレイに見えた。

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写真を撮ろうと頑張るが2人とも根性なしの為、寒さにやられてそそくさと退散。
ホテルに戻って、昨日いただいたティラミスを食す。
ボクは調子に乗って、も う1つ食べた。とたんに胸ヤケ。
日記を書くのに支障をきたす。

となりでスヤスヤ寝ている彼等を横目に、今日の黒田さんの話を思い出しながら、自分の存在理 由などを考え、黒田征太郎氏に会えた事を心から嬉しく思った。