戦前、戦中、満州で青春を過ごした祖母。
満州の話をする祖母はいつも嬉しそうでした。
これは旅順口、老虎尾を見下ろす昔の軍港です。
この時の気温は-10度!
昨年94歳で他界した時、葬式の際、祖母の話を色々聞きました。
祖母は満州鉄道の仕事をしながら関東軍の仕事も兼任していた、その時将来を誓い合った人がいたが、その人は徴兵され、戻ることはなかったそうです。
戦後の日本で祖父と結婚、母をはじめ3人の子供に恵まれるも、坊ちゃんで働かない遊び人(?)の祖父に生涯悩まされる→しょちゅう聞かされていた祖父の博多遊び人伝説。長男の顔が祖父そっくりで私は戦々恐々💧。
几帳面で料理が上手、満州にいた時のお手伝いさんに料理を習い、力がない祖母は孫の私にそれを伝え、粉物をこねる方法は私に受け継がれました。
この風景を若かった祖母は見たであろうか?
おそらく見たでしょう、涙が出ました。
最終日に一人で大連博物館に行き、満州鉄道ゆかりの品々を見る機会があり、若かった祖母を思うと、やはり涙が。
満州に散った軍人さん達、若かった祖母の青春を思いました。
大連に行けた機会は本当に感謝です。
ちなみに鳩が私は怖かった。
鳩を身体にのせたのも初体験でございます
-10度、完全防備でダルマ状態にしといて良かった。