こんにちは!

 

アカシックレコードリーダーのきょんです。


魂が望む生き方に一致して、本当の自分で生きていきたい!

そんなご自分の人生に前向きに取り組もうとする方に向けてブログを書いています。

 


 

 

  不登校とは辞書にはない最悪なこと?

 

前回・前々回と「アカシックレコードを知って変容したこと」シリーズをお届けしていますが、今日は一旦お休みして、先日参加させていただいたスピリチュアルセラピストでメッセンジャーでもある"あゆこさん"のお話し会について書きたいと思います。

 

(あゆこさんのブログはこちら)

 

 

お話し会のテーマは『不登校って何だろう』

 

 

かつてお子さんの不登校に悩み、とことんご自身やご家族と向き合い到達された現在の心境は聞いていて圧巻でした。

 

 

私には子どもはいませんが、幼少期にいじめに遭ったことで自己肯定感が大きく下がり、やがて生きづらさやうつ病に苛まれた経験があるので、このテーマは他人事とは思えなかったのです。

 

 

以前から、うつ病と不登校の心理的なメカニズムって実は重なる部分があるんじゃないかと思っていたところでした(不登校=うつ病と言いたいわけではありません)。

 

 

お話し会の中で、あゆこさんは当初不登校が起こった時の心境を

 

 

『辞書にはない最悪な事』

『人生の行き止まり』

 

 

と表現されていました。

 

 

これ、うつ病真っただ中だった私も、当時同じようなことを感じていたのです。

 

 

うつ病と診断され、通院し薬を飲んでもなかなか良くならなかった私は、次第に

 

 

『とんでもない最悪な病気にかかってしまった』

『もうこの人生から這い上がることはできない』

 

 

と本気で思ったものです。

 

 

当時から「うつ病は甘えだ」と言う人はたくさんいて、そのことで当事者たちはたくさんたくさん傷ついてきました。

 

 

一朝一夕に治るもではなないし、先の見通しが効かない状況に、たとえ休職して寝てばかりいても心なんか一時も休まらなかったのです。

 

 

不登校に対しても「甘えだ・甘やかしだ」と言う人がたくさんいるであろうことは想像に難くありませんし、学校に行かずに家にいる子どもたちだって、実際は多くの葛藤を抱えているはずです。

 

 

 

  幸せな未来を期待できない

 

私の知り合いにもお子さんの不登校に悩んでいる方がいます。

 

 

その方がとある屋外でのアクティビティに、不登校で学校に行けていないお子さんを連れてきたことがありました。

 

 

その時のフィールドワークはとても楽しくて、参加者は皆大はしゃぎ。

 

 

帰りの車でそのお子さんがご両親に言った感想は『楽しかった!』ではなく

 

 

『楽しそうにしている大人たちを見てとても嬉しかった!』だったのです。

 

 

あくまでもこれらは私の想像ですが、その話を聞いた時に、不登校の子どもたちは家庭や学校や地域、はたまたメディアを通して見る大人たちの表情から幸せな未来を予感できないのではないかと思いました。

 

 

いくら幸せそうなフリをしても、それが演技であれば大人たちの嘘なんて敏感に見抜くでしょう。

 

 

せっかくこの世に生まれてきたのに、人生の先輩である大人たちが歯を食いしばり眉間にシワを寄せて、ため息や愚痴ばかりついて生きている姿を日々見せられたのでは

 

 

『ヤバイ世界に生まれてしまった...』

 

 

って思いますよね。

 

 

自分も大人になったらこんな風になっちゃうのかなって思いますよね。

 

 

そんな大人たちから、努力の大切さだの、世の中のルールだのを押し付けられても、その通り生きた結果がこれでは従いたくなくなるのも無理はありません。

 

 

それに親が楽しくなさそうに生きていたら、そばにいる子どもは自分自身に価値を感じることなどできないでしょう。

 

 

そんな閉塞感が不登校の原因になっているのではないかと考えた時に、うつ病やアダルトチルドレンに悩んだ私自身も、子どもの頃にそういった虚無感に似たようなものを世の中に感じていたことを思い出しました。

 

 

私の頃は昭和の時代だったので、まだまだ根性論が根強くて体罰も当たり前。

 

 

我が家は不登校を許さない家庭で、私は泣く泣く従っていましたが、平成・令和となり自分の気持ちに正直に行動する子が増えてきたのではないでしょうか。

 

 

それが不登校が「目に見えて」増加した結果なのかなと感じています。

 

 

 

  不登校と向き合って見えてきた親が変わる必要性

 

さて、お話し会に話を戻しますが、お子さんの不登校と向き合わざるを得なくなったあゆこさんは、世間や自分が大切だと疑いもなく思ってきた価値観に次第に疑問を持つようになっていきます。

 

 

本当に朝は決まった時間に起きなくてはいけないのか...

ゲームは本当に制限をかけなくてはいけないのか...

 

 

その価値観を私はいつ大事だと学んだのだろうか?

 

 

子どものためと思って言い聞かせてきた常識やルールって本当なのだろうか?

 

 

世間の常識やルールに子どもを引き戻そうと躍起になればなるほどうまくいかず、子どもよりも先に自分の規制を解くことが大切なのではないかと気づいたそうです。

 

 

いずれにしても、自然体で幸せな大人たちが増えることで、不登校は減るのではないかと個人的に思いました。

 

 

子どもの問題というよりも、根底には大人たちの問題もはらんでいるのではないでしょうか。

 

 

 

この他にも、夫婦で本気で向き合い取り組んでいくことへの覚悟や、お子さんとドタバタやっていく中で築かれていく信頼関係についてのお話しも興味深かったです。

 

 

あゆこさんのお話しは、不登校に悩む方はもちろん、他のことで悩み苦しんでいる方の心にも染みこむお話しです。

 

 

不登校のご相談以外にも、カードリーディングも受けられますので、ぜひあゆこさんのブログにも訪れてみてください。

 

 

(あゆこさんのブログはこちら)

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございます♡

 

 

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  スピリチュアルが怪しい、フワスピ、お花畑、現実逃避と言われることについて

 

スピリチュアルのような目に見えない世界が怪しいとか、フワスピとか、お花畑とか、現実逃避とか言われがちなことについて今日は考えてみます。

 

 

先日開催したお話し会でも少しこのテーマについて取り上げました。

 

 

詳細は割愛しますが、ロジカル思考傾向な私が左脳的にあれこれ考えたところ、スピリチュアルを人生に取り入れるのは有効じゃないかという結論に今のところは至っています。

 

 

人や、その集合体である企業って、基本的に成長するために日々活動していると思います。

 

 

生きづらさから、生きる事に積極的になれないことも人生には起こり得ますが、でも基本的には生命を持つ存在というのは

 

 

成長したい!幸せになりたい!拡大したい!

 

 

と思うのが本能であり、サガなのではないでしょうか。

 

 

例えば投資の世界を見ると分かりやすいかもしれません。

 

 

株式投資や投資信託などは、短期的に見ると価格が上がったり下がったりしていますが、10年・20年・30年という長いスパンで見ると、だいたい右肩上がりに成長していく傾向があります。

 

 

もちろん、途中で企業が経営判断を間違えたり、経済情勢の影響で破綻してしまう場合もありますが、そういう企業ですら最初から破綻するつもりで経営はしていないですよね。

 

 

そして紆余曲折を経ながら長いスパンで成長していく過程では、未知の領域に踏みこんでいく決断を経営トップは何度もしているはずです。

 

 

飛び込む領域が未知であればあるほど、確たる前例やエビデンスも乏しかったはずですし、いろんな仮説や検証を立てても100%うまくいく保証はない中で挑戦することになりますよね。

 

 

もちろん結果が伴わないことなんてたくさんあると思いますが、それすら糧にしてさらに挑戦するから、長いスパンで見ると成長していくのでしょうし、それに伴い技術やサービスが向上し、市場が開拓され、私たちのパラダイムシフトも変わっていきます。

 

 

 

  成長・拡大を求めるエネルギーは企業も人も同じ

 

先述した通り、人は基本的に成長したい!幸せになりたい!拡大したい!というエネルギーを持っていますから、企業と同じように私たちは個人レベルでも成長への追及をしています。

 

 

それは勉強をすることだったり、お金を稼ぐことだったり、人を助けることだったり様々ですが、中にはどこか掴みどころのないスピリチュアルの世界を選ぶ人もいるでしょう。

 

 

私たちは自分が置かれているよりも上の次元ははっきり認識することができないという法則があります(逆は簡単に認識できます)。

 

 

でも「認識できない=怪しい」と決めつけるのは早計な感じがするんですね。

 

 

はっきり認識できなくても、そこに何らかの可能性を感じて足を踏み入れてみようとすることは、先ほどご説明した企業が未知の領域に踏みこんでいく成長意欲と本質的にはそれほど大きな違いは無いように私は思うのです。

 

 

それなのに、スピリチュアルだけが怪しいとかお花畑だとか現実逃避だとか言われてしまうのは残念です。

 

 

 

 

  人生にスピリチュアルを取り入れるのは本当に意味ないのか

 

うまく認識できないものを人間が理解・認識できるようにするために、日々科学が解明しようとしている側面があると思います。

 

 

それまでうまく認識できなかった未知の現象に対して科学的に何らかの解を得た時に、それは多くの人にとって未知ではなくなり、既知の現象になっていきます。

 

 

こうして既知のものが増えていくことで意識の拡大やパラダイムシフトが起こり、次元も上がっていくように思います。

 

 

でも科学的に既知のものになるまで、個人がそこに足を踏み入れてはいけないなんてルールはないわけですから、自分が成長できる可能性を感じるならスピリチュアルだって堂々と楽しめばよいのだと思います。

 

 

たとえうまく認識できなくても、何となく楽しそう!ワクワクする!と感じるのは、もう何かしらのエネルギーを未知の世界からキャッチしているということです。

 

 

でも科学が解明するよりも先にそれらを体験するためには「信じる」というエネルギーを使うしかありません。

 

 

かつてイノベーションを起こした発明家や起業のトップたちも、きっと最後は「信念」で行動をしたのでしょう。

 

 

ワクワクや直感が正しいかどうかは、実際に行動してみることでしか確認することができませんし、その感覚は何度も試してみないと磨かれていかないかもしれません。

 

 

でもスピリチュアルに盲目的に傾倒しているわけでなければ、それがたとえ見えない世界でも、たとえ周りに怪しまれても、臆することなく堂々と人生に取り入れていきましょう。

 

 

人生は一度きりなのですから、楽しんだもの勝ちなのです!

 

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございます♡

 

 

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  久々に感じた内的変容

 

昨年の秋頃から生活スタイルが大きく変わり、今年は比較的地元にいることが多くなりました。

 

 

出かけると言っても自然豊かな里山などを訪れることがほとんどで、以前に比べて大型ターミナル駅まで買い物に行くことはあまりなく、行っても移動の乗り継ぎぐらいでしか利用しなくなったんですね。

 

 

前回の投稿で、先日所用でかなり久しぶりに横浜~元町・中華街エリアに行ったというお話を書きましたが、久々に人混みの中を長時間歩いていて気付いた変化がありました。

 

 

それは私自身のこだわりがだいぶ薄くなっていたことです。

 

 

中華街でのランチのお店選びも割とあっさり決めてしまいましたし、お気に入りのパン屋さんは長蛇の列だったので、こちらもあっさり諦めました。

 

 

以前だったら「せっかく来たんだから!」と中華街を練り歩いて納得するまで時間をかけてお店を選んでいましたし、長蛇の列にもじっと並んで絶対にパンをゲットするタイプだったんです。

 

 

でも先日は「そこまでこだわらなくてもいいや」と妙にあっさりした自分がいて、ちょっと驚きました。

 

 

まぁ年齢的なものもあるのかもしれませんが笑、やはりここ1年で環境が変わったことが大きいのかなと思います。

 

 

 

  こだわりの強い人は度が過ぎると生きづらい

 

昔まだまだ生きづらさが強かった頃というのは

 

 

価値あるものはここじゃないどこかにあって

 

 

意識を向けるべきは今以外(過去や未来)

 

 

という考えに強烈にコントロールされて、とても生きづらい日々を送っていました。

 

 

当時から「今・ここ」にいられないマインドフルネスに逆行する思考癖には気づいていましたが、なかなか修正できずにいたのです。

 

 

だからランチやパン屋さんどころじゃなくて、衣食住のありとあらゆるものが、「ここじゃないどこかで手に入る製品じゃないと価値が無い」と思っていたんですね。

 

 

でも今思えば、それってとても自分を生きづらくさせていました。

 

 

消耗品なんかは切れてしまえばわざわざ電車に乗って買いにいかなければなりませんし金額も高い。

 

 

せっかく買いにきたんだからちょっと多めに買っていこうと、ストックをまとめ買いして余計お金を使いますし、お目当てのもの買うのに必死で純粋にお出かけを楽しむ余裕も無い(荷物も重い...)。

 

 

度が過ぎてくると「このこだわりの商品がいつか手に入らなくなったらどうしよう...」と不安まで感じる始末。

 

 

最初はこだわって気分よくなっていたはずなのに、実際は物にコントロールされて結構疲れてたんじゃないかと思います。

 

 

でもこの1年はほとんど地元で調達するか、あるものでどうにかする生活をしていたので「えっ?全然これで良くない?なんであんなにこだわってたんだろう...」という発見が多かったんですよね。

 

 

ですから先日久しぶりに昔よく買い物に行ったエリアを訪れた時に、「ここじゃないどこかで手に入る製品じゃないと価値が無い」という呪縛からすっかり解放されている自分に気づき

 

 

めちゃくちゃラク!キラキラ笑い泣き

 

 

と感動してしまいました。

 

 

 

 

  じわじわ効いてくるマインドコントロール

 

私は普段テレビをまったく見ないのでCMの影響ってほぼ受けていないはずなのですが、それでも以前はなぜあんなにいろんなものにこだわって買い漁っていたのか考えてみました。

 

 

思いついたのは2つです。

 


1つ目は、以前の私は自己肯定感の低さがモノへのこだわりに反映されていたのかなと思いました。

 

 

自分自身に価値を感じていないので、せめて自分が使うモノにこだわって、無意識に価値を補おうとしていたのではないかと。

 

 

でも以前に比べて今の私は自分に満足しています。

 

 

もちろん足りないところもたくさんあり、いろんなものが途上ですが、手放しや受け入れが進み、楽になってきてるんですよね。

 

 

ですからあまりものにこだわる必要がなくなってきているのかもしれません。

 

 

そしてもう一つ思った仮説ですが、人が多い環境に日常的にいることで、周りの人たちからCMのようなエネルギーを受けるのかもしれないと思いました。

 

 

たまたますれ違った人が持っていたものや、電車の中でふと聞こえてきた会話、それこそ目に見えないけど飛び交っているエネルギーなど。

 

 

そういったものから、「今はこういうのを持っている人が多いんだ」とか「こういうものに皆関心があるんだ」と、私自身も無意識に情報を受け取って、盲目的にそれと同じ状態に自分を置こうと誘導されていたような気がします。

 

 

ものすごくソフトにじわじわ効いてくるマインドコントロールのようなイメージです。

 

 

ですから今回の気づきは目が覚めたような感覚に近いです。

 

 

どんなにいいものでも「そこまでエネルギー注がなくてもいいかな」と思えるようになったものは、そもそも本当の自分が本当に求めていたものでは無かったんだと思います。

 

 

逆にそれでもなおこだわりたいものというのが、きっと本当の自分も本当に欲しいものなのでしょうね。

 

 

前者は何度手に入れても一瞬の喜びしか得られなくて、魂にとっては投資にはならない消費どまりの気がします。

 

 

後者はきっと魂にとって投資になるものかもしれませんね。

 

 

何かにこだわることを否定するつもりはまったくありません。

 

 

でも、本当に本当にこだわりたいものって、実は私たちが思っているよりももっとずっと少ないのかもしれません。

 

 

そしてそこに気づいて手放せるとすっきりするかもしれませんよ、というお話でした。

 

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございます♡

 

 

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