こんにちは!
アカシックレコードリーダーのきょんです。
魂が望む生き方に一致して、本当の自分で生きていきたい!
そんなご自分の人生に前向きに取り組もうとする方に向けてブログを書いています。
久々に感じた内的変容
昨年の秋頃から生活スタイルが大きく変わり、今年は比較的地元にいることが多くなりました。
出かけると言っても自然豊かな里山などを訪れることがほとんどで、以前に比べて大型ターミナル駅まで買い物に行くことはあまりなく、行っても移動の乗り継ぎぐらいでしか利用しなくなったんですね。
前回の投稿で、先日所用でかなり久しぶりに横浜~元町・中華街エリアに行ったというお話を書きましたが、久々に人混みの中を長時間歩いていて気付いた変化がありました。
それは私自身のこだわりがだいぶ薄くなっていたことです。
中華街でのランチのお店選びも割とあっさり決めてしまいましたし、お気に入りのパン屋さんは長蛇の列だったので、こちらもあっさり諦めました。
以前だったら「せっかく来たんだから!」と中華街を練り歩いて納得するまで時間をかけてお店を選んでいましたし、長蛇の列にもじっと並んで絶対にパンをゲットするタイプだったんです。
でも先日は「そこまでこだわらなくてもいいや」と妙にあっさりした自分がいて、ちょっと驚きました。
まぁ年齢的なものもあるのかもしれませんが、やはりここ1年で環境が変わったことが大きいのかなと思います。
こだわりの強い人は度が過ぎると生きづらい
昔まだまだ生きづらさが強かった頃というのは
価値あるものはここじゃないどこかにあって
意識を向けるべきは今以外(過去や未来)
という考えに強烈にコントロールされて、とても生きづらい日々を送っていました。
当時から「今・ここ」にいられないマインドフルネスに逆行する思考癖には気づいていましたが、なかなか修正できずにいたのです。
だからランチやパン屋さんどころじゃなくて、衣食住のありとあらゆるものが、「ここじゃないどこかで手に入る製品じゃないと価値が無い」と思っていたんですね。
でも今思えば、それってとても自分を生きづらくさせていました。
消耗品なんかは切れてしまえばわざわざ電車に乗って買いにいかなければなりませんし金額も高い。
せっかく買いにきたんだからちょっと多めに買っていこうと、ストックをまとめ買いして余計お金を使いますし、お目当てのもの買うのに必死で純粋にお出かけを楽しむ余裕も無い(荷物も重い...)。
度が過ぎてくると「このこだわりの商品がいつか手に入らなくなったらどうしよう...」と不安まで感じる始末。
最初はこだわって気分よくなっていたはずなのに、実際は物にコントロールされて結構疲れてたんじゃないかと思います。
でもこの1年はほとんど地元で調達するか、あるものでどうにかする生活をしていたので「えっ?全然これで良くない?なんであんなにこだわってたんだろう...」という発見が多かったんですよね。
ですから先日久しぶりに昔よく買い物に行ったエリアを訪れた時に、「ここじゃないどこかで手に入る製品じゃないと価値が無い」という呪縛からすっかり解放されている自分に気づき
めちゃくちゃラク!
と感動してしまいました。
じわじわ効いてくるマインドコントロール
私は普段テレビをまったく見ないのでCMの影響ってほぼ受けていないはずなのですが、それでも以前はなぜあんなにいろんなものにこだわって買い漁っていたのか考えてみました。
思いついたのは2つです。
1つ目は、以前の私は自己肯定感の低さがモノへのこだわりに反映されていたのかなと思いました。
自分自身に価値を感じていないので、せめて自分が使うモノにこだわって、無意識に価値を補おうとしていたのではないかと。
でも以前に比べて今の私は自分に満足しています。
もちろん足りないところもたくさんあり、いろんなものが途上ですが、手放しや受け入れが進み、楽になってきてるんですよね。
ですからあまりものにこだわる必要がなくなってきているのかもしれません。
そしてもう一つ思った仮説ですが、人が多い環境に日常的にいることで、周りの人たちからCMのようなエネルギーを受けるのかもしれないと思いました。
たまたますれ違った人が持っていたものや、電車の中でふと聞こえてきた会話、それこそ目に見えないけど飛び交っているエネルギーなど。
そういったものから、「今はこういうのを持っている人が多いんだ」とか「こういうものに皆関心があるんだ」と、私自身も無意識に情報を受け取って、盲目的にそれと同じ状態に自分を置こうと誘導されていたような気がします。
ものすごくソフトにじわじわ効いてくるマインドコントロールのようなイメージです。
ですから今回の気づきは目が覚めたような感覚に近いです。
どんなにいいものでも「そこまでエネルギー注がなくてもいいかな」と思えるようになったものは、そもそも本当の自分が本当に求めていたものでは無かったんだと思います。
逆にそれでもなおこだわりたいものというのが、きっと本当の自分も本当に欲しいものなのでしょうね。
前者は何度手に入れても一瞬の喜びしか得られなくて、魂にとっては投資にはならない消費どまりの気がします。
後者はきっと魂にとって投資になるものかもしれませんね。
何かにこだわることを否定するつもりはまったくありません。
でも、本当に本当にこだわりたいものって、実は私たちが思っているよりももっとずっと少ないのかもしれません。
そしてそこに気づいて手放せるとすっきりするかもしれませんよ、というお話でした。
最後まで読んでくださってありがとうございます♡
꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖
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