先日、バーバラさん
コチラ1年前の記事を紹介して頂いて
たくさんの新たな「いいね」と
たくさんのコメントいただいたんですけれど

(ヒトのスレッドで我が物顔でコメント返しすんなって・・・汗)


ああ、この辺って
私の中で大きなテーマなんだなあ
新たに思ったところがあります。


数字に騙されない



論理的に見えるから
そして正しく使えば論理的で揺るがないから
数字って大事だ
とおもうんだけれど


それよりも「日常生活で反復される検証」ってのが
どんなお母さんも持つ
すばらしい「武器」だと知って欲しいなぁ
 って。




それに 以前も「生たまごは危険か?」のテーマでも書いたけど
数字が出ていても
その数字がはじき出された背景(統計の目的)とか
時代背景 とか
いろんなものをすっ飛ばすと

(現在となっては)ただの  

になってしまうのも 数字の怖いところ。
(正しくはウソ、じゃなくて古い情報、なんだけど)





なんか話の中で数字を出されたな、
怖いな、アタシわからないし、
そっか、そんなもんなんだ・・・・





これは 洗脳 と言います。



統計とか学術論文とかでね

統計を取る目的、その背景(論文では「方法論」みたいにしてうだうだ書かれる)
数字の取り方、統計はどういう方法を使うか
どの程度の母集団か、無作為か作為的抽出か、
その統計の取り方を良しとする(サポートする)他の論文は・・・

こんなことがうだうだ書かれる理由は
数字がウソをつく だませる ものだから。
科学を触ったことがあるひとならよく分かると思う!
 

言葉の怖さ、とも言います。




あと、視覚ね。
たとえば 私にとって空港でのセルフィー(自撮り)は当たり前だけど
(だって だだっ広い大陸に住んでるから)
見るヒトによっては

「わーーーあちこち飛行機で飛んでるの?
お仕事してるの?カッコイイ!」
「このひと、子育てちゃんとしてるのかしら?」
「はなにつくわー」
「なんか男性と肩を並べて競ってそうな、怖いひとね・・・」
とか。



私にとっては ↑「あーーー日本から離れたくないよう」の一枚。


世の中、自分を不安にさせるものはたくさんあると思う。
でも大事なのは「自分の判断基準」
わからなかったら聞く!
ヒトの判断基準を(中心にするためじゃなく)聞く!
自分のそれとの違いをタダ知る!


それぞれの価値基準
、とも言います。



自分の判断しているものがどこか、を知り
統計は「世の中に“ふつう”があると仮定して」の数値だと知り
その上で 自分や家族にその「ふつう」を当てはめるべきかどうか
考えてみればいいのです。



数字が正しい訳じゃ無い。
見えるものが正しい訳じゃ無い。
皆さんの日常にあるものが
どれほど「個別化」という前提を含んで素晴らしいのか

それを知って欲しいなぁと思います。