一緒に行ったUHファンデーションのマリ子さんとそのお母さんのローラ、丁度到着した時にこの料亭の女将さんとお会いしました。何でもローラの古くからのお友達だそうです。日系2世同士お互い日本語混じりの英語で、お話しされていました。
この『夏の屋』以前も数回来た事が有りますが、創業80年以上なので建物もかなり古く歴史を感じさせる写真が其処此所に飾ってあります。
玄関を入って直ぐの正面には日本的な打ち掛けが飾られており、右の階段を上がる壁には小錦が相撲を始めた若かりし頃の写真もありました。
建物の前の庭には日本的な灯籠が幾つか置かれて、後ろのガーデンには小さな朱の太鼓橋も有りました。
お昼時間には開いていませんが、建物の奥には寿司バーがあります。数年前にここで寿司を食べた事が有りますが、隠れ屋的で雰囲気のあるバー・カウンターでした。
そしてこの寿司バーの上に架けられているのが、例のスパイが使用していた望遠鏡です。このスパイと言われる人は元日本領事館に勤めていた方で、毎日この夏の屋でパール・ハーバーを眺めていたそうです。その後暫くして日本が真珠湾を攻撃したのでした。
今日会食が行われた2階のお部屋、スパイが当時どのような思い出この下の景色を眺めていたのか、暫しその想いに浸りました。
高台に立つこの部屋からは左にワイキキ、正面にパール・ハーバーが見渡せます。
今日の会合の本題である『Remembering Pearl Harbor』、当時(1941年12月7日)のハワイはどのような状況で在ったか、数人の方が子供だった頃の思い出をお話ししてくれました。
戦争突入後日系人が収容されたサンド・アイランド、暫くしてから建てられた収容所の『Honouliuli Camp』の写真等を紹介してくれました。
実はこのキャンプ跡地、日本文化センター主催で今年の始めに実際に行ってみたのです。地獄谷と呼ばれる谷底に建てられた朽ち果てたバラッグ小屋が今でも残っていました。この日当地を訪れた模様の以前のブログを探したのですが見つからないので、もし見つけたらアップする予定です。
日本文化センターでは、この過酷な状況に遭遇した日系人の歴史の場所を、将来ミュージアムを兼ねた公園にしようと計画中です。現在ハワイで日本人が平和に暮らして行けるのも、並々ならぬ苦労をして来た日系人の方々のお陰です。
私達も是非この計画が実現される事を願っています。
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