きのうからの続きを書きた過ぎて
ギリギリまで。

これを伝えるのが使命だと思って
やってるような訳ではなくて、

私自身がこの時間とっても楽しい
至福に感じて時間が許されるなら、
いつまでもやってたかったり、

せっかく書いたからシェアしたいなと、
そんなノリです


ではつづきなので前置きはきのうのコピペ。



6月に入ってからbssの書き起こしを
初級から順にアップしているのですが、

(全文そのまま書き起こしではなくて、ある程度ショートカットしたり、分かりやすくいい替えたりもしてます)

今回は1番最新//
6月16日(日曜日)上級編、
しかも雅歌10(現在1〜10と来てる)
めちゃくちゃ飛ばした回です。

でも、ちょうど初級編とリンクするような
内容もあったり、、
まずは私の整理のために書いてます。


上級編の何が難しいのかというと、

例えば、英語の授業に置き換えると、
初級では文法や単語を習う段階から、

上級は長文読解だったり、
直訳から→分かりやすい訳に置き換える。
また実際に英会話してみる。

そんな難しさの違いかなと思います。 

録画時間も長くなってくるので、
余計に難しさアップ。

日本人は(海外もそうかもしれないけど)
文章の読解力がかなり落ちてきてるそうで、

例えば、
海外では中学生対象レベルの本・読物が、
翻訳されて入ってきても、

日本では中学生では理解が出来なくて、
高校生・大学生レベルとなる。と聞きました。
(考える力が落ちている)

私も古典とかちんぷんかんでしたし、
文章の理解力は低い方だと思いますが、

聖書を学ぶというより、読むだけでも、
単純に言語力が上がりそうと思います。
美しい文体も多いし(特に雅歌とかそう)

聖書の文語体は、ほぼ、古典と一緒の感覚。
1人で読んでもちんぷんかんです爆笑

よかったら〜
聞き慣れない見慣れない言葉に、
触れてみる機会として〜どうぞ。





雅歌

私の愛する方はかもしかや若い鹿のようです。ごらんなさい、壁のうしろにじっと立ち窓からのぞき、格子越しにうかがっています。



愛する方は/神は


カモシカのように/素早く来てくれる

鹿のように/ある意味これは優しさ親切善意を表している


赦しと慈しみと恵に満ちて
怒ることは遅く憐れみ豊かである。


/というのは、妨げる、隔たり。この壁が何故人間関係の中に出来るかというと、


赦す事が出来ない

耐えられない

という事の為に形成されてしまう心の壁。


それはある視点からすると、
あまり良い事ではなくて、


それが自分自身と神のとの隔たり
ベールにもなってしまう事があります。


人間関係の交流の妨げは、実は神との妨げという影響をもたらす事がある。


壁のないものになっていくにはどうすればいいか、というのは、最大の課題の一つですが、


一言で言ってしまうと自分に打ち勝つ。


自分との戦いに打ち勝つごとに、自分の中の壁やベールを1枚ずつ剥がしていく。


みんな、どこか、鎧兜を付けて自分を守っていて、それを1枚ずつ剥がしていく。


心理学者のシーベリーが言うように、
唯一の義務は自分自身になる事だ。


信仰の世界の話しではないですが、
共通していて、
これは一利あると思います。


心の壁や鎧兜を身に付けてるもの、
壁を取り除いていく事が自分に打ち勝つ
こと。


人に対する嫌悪感や憎しみは、
神との交わりを妨げるものななってしまう。これは、みんなある事ですので、少しずつやっていく。


その僅かな1歩ずつで神に近づいていく。


自分自身の戦いに勝つ=自分の化けの皮を剥ぎ取る程、本来の自分になっていく。


沢山ベールで自分を覆っている人は、
自分の心を覆ってしまっているので、
神に対しても心を開けない。


いやそんな事はない。私はいつでも神には開いている。と言っても、


人にやってる事、普段やってしまってる事は、神に対してもやってしまっている。


人に対して礼儀正しい人は、

神に対しても礼儀正しいし、


人に威張り礼儀のない人は、

神に対しても同じようにやって
しまっている。




自分に打ち勝ち、
偽りのベールを剥がしていく事で、
はらの奥の神のメッセージも良く見えてくるようになります。


神の言葉を学び、自分との戦いに打ち勝ち、真理の中を歩んでいくにつれて、


神の私成所(しせいじょ)深い所に入っていける。


外の宮から、更に、神のいる奥の宮に入っていく事が出来る。


私成所は、まさに、それは自分のはらの奥底であり、それが神の国に入っていけるという事。


自分の聖霊のある場所に意識がもっと
繊細になっていく。



そうすると、過去の自分、自分の弱さや
私利私欲を認めて受け入れつつも、


それに甘んじる事なく、
神に頼りながら前に進んでいける。



これまでも、いろいろな恵があったり、
奇跡や不思議やお証を体験してはいても、それだけではまだ、
神と一体化とはされていない。


最初は、自分の感情や私利私欲に囚われ、現実が良くなればいいとしか思えないですが、


自分の意志で喜んで神に従っていくのであれば、益々、自由になっていくし、祝福されている。


自由になっていく事は自己実現であります。



神に祈ってはいても、
感情や私利私欲に囚われているときは、
まだ神の御心(計画)は見えてこないでしょうし、最初はそれが当たり前ですし、


それには、神の言葉や愛を知って、
感謝を捧げていく事が必要であります。


それが壁を崩していく事でもあります。







コリント人への手紙6章19-20


19 あなたがたは知しらないのか。自分のからだは、神から受て自分の内うちに宿やどっている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。

20 あなたがたは、代価を払はらって買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。



あなたがたと言ってるので、個人的な事を指してるようにも思いますが、


教会全体の事を指している、
とも言えます。


教会というのは神が働き、 
神の栄光が現れる場所です。


神の目的と我々の目的を一致させて
いく事も必要です。


教会の方々全員が恵まれて祝されて
益を得ていく為の宮であります。





格子越しにうかがっています(雅歌9)

格子とは、人間の心の中にある、
自分で作った枠。


〇〇でなければいけない。

などの規則や規範だったり.


自分で考え過ぎて、
自分の中にいろいろ作ってしまっていて、


それは、必要なものもありますが、
多くは必要ない自分が作り出した規則。


それは、その人にとっての一種の理性でもあるけれど、それが格子になっていく。


自分の格子を通して、他人や環境を見ていくと、自分の中だけで生きている事にもなるので、


神の計画とか目的が見えなかったり、
逃げてしまっている事になる。


神の言葉と真理を学んで、自分の枠や格子を打ち破り、私利私欲を打ち破り、自分の魂が何を欲しているのか知っていけます。






、、、ちょっと難しい話になりましたが〜そろそろこの辺で雅歌終わります。
雅歌はキリが無いんですけど、、



祝されて恵まれて自由に大らかに人生をいくコツとして、それが神の御心でもありますから(牧談)



Q、
一度、使徒行伝から、産業の祝福についても話してもらえたらと〜商売をしてる方も多いと思いますので。


A、
それは大切な事ですよね。産業が栄えて恵まれていく事は、とても重要だし、神も願っている事です。


ですが、今回のテーマは、それとは反対(私利私欲から離脱する)ようなテーマに見えますが、


実は同じ方向で、一旦、それから離脱して神の目的に合わせていく事は、結果として、物事が栄えていく事になると思います。


結果を求めるというより、求めるものを求めて、結果を得られていきます。


また、それもやっていきましょう。


最後の方にある《祝されて恵まれて自由に大らかに》いい言葉だな(私の感想浅い〜




昨日は雨が割と強かったけれど、

外出するには問題なくて、


赤ちゃんと対面してきました

癒されました〜ラブ


タイムリミットなのでこの辺で(難しい話ばかりになったのでちょっとひと息的の日記でした)


よい週末になりますように🌈





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