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雅歌
私の愛する方はかもしかや若い鹿のようです。ごらんなさい、壁のうしろにじっと立ち窓からのぞき、格子越しにうかがっています。
愛する方は/神は
カモシカのように/素早く来てくれる
鹿のように/ある意味これは優しさ親切善意を表している
赦しと慈しみと恵に満ちて
怒ることは遅く憐れみ豊かである。
壁/というのは、妨げる、隔たり。この壁が何故人間関係の中に出来るかというと、
赦す事が出来ない
耐えられない
という事の為に形成されてしまう心の壁。
それはある視点からすると、
あまり良い事ではなくて、
それが自分自身と神のとの隔たり
ベールにもなってしまう事があります。
人間関係の交流の妨げは、実は神との妨げという影響をもたらす事がある。
壁のないものになっていくにはどうすればいいか、というのは、最大の課題の一つですが、
一言で言ってしまうと自分に打ち勝つ。
自分との戦いに打ち勝つごとに、自分の中の壁やベールを1枚ずつ剥がしていく。
みんな、どこか、鎧兜を付けて自分を守っていて、それを1枚ずつ剥がしていく。
心理学者のシーベリーが言うように、
唯一の義務は自分自身になる事だ。
信仰の世界の話しではないですが、
共通していて、
これは一利あると思います。
心の壁や鎧兜を身に付けてるもの、
壁を取り除いていく事が自分に打ち勝つ
こと。
人に対する嫌悪感や憎しみは、
神との交わりを妨げるものななってしまう。これは、みんなある事ですので、少しずつやっていく。
その僅かな1歩ずつで神に近づいていく。
自分自身の戦いに勝つ=自分の化けの皮を剥ぎ取る程、本来の自分になっていく。
沢山ベールで自分を覆っている人は、
自分の心を覆ってしまっているので、
神に対しても心を開けない。
いやそんな事はない。私はいつでも神には開いている。と言っても、
人にやってる事、普段やってしまってる事は、神に対してもやってしまっている。
人に対して礼儀正しい人は、
神に対しても礼儀正しいし、
人に威張り礼儀のない人は、
神に対しても同じようにやって
しまっている。
自分に打ち勝ち、
偽りのベールを剥がしていく事で、
はらの奥の神のメッセージも良く見えてくるようになります。
神の言葉を学び、自分との戦いに打ち勝ち、真理の中を歩んでいくにつれて、
神の私成所(しせいじょ)深い所に入っていける。
外の宮から、更に、神のいる奥の宮に入っていく事が出来る。
私成所は、まさに、それは自分のはらの奥底であり、それが神の国に入っていけるという事。
自分の聖霊のある場所に意識がもっと
繊細になっていく。
そうすると、過去の自分、自分の弱さや
私利私欲を認めて受け入れつつも、
それに甘んじる事なく、
神に頼りながら前に進んでいける。
これまでも、いろいろな恵があったり、
奇跡や不思議やお証を体験してはいても、それだけではまだ、
神と一体化とはされていない。
最初は、自分の感情や私利私欲に囚われ、現実が良くなればいいとしか思えないですが、
自分の意志で喜んで神に従っていくのであれば、益々、自由になっていくし、祝福されている。
自由になっていく事は自己実現であります。
神に祈ってはいても、
感情や私利私欲に囚われているときは、
まだ神の御心(計画)は見えてこないでしょうし、最初はそれが当たり前ですし、
それには、神の言葉や愛を知って、
感謝を捧げていく事が必要であります。
それが壁を崩していく事でもあります。
コリント人への手紙6章19-20
19 あなたがたは知しらないのか。自分のからだは、神から受て自分の内うちに宿やどっている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。
20 あなたがたは、代価を払はらって買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。
あなたがたと言ってるので、個人的な事を指してるようにも思いますが、
教会全体の事を指している、
とも言えます。
教会というのは神が働き、
神の栄光が現れる場所です。
神の目的と我々の目的を一致させて
いく事も必要です。
教会の方々全員が恵まれて祝されて
益を得ていく為の宮であります。
格子越しにうかがっています(雅歌9)
格子とは、人間の心の中にある、
自分で作った枠。
〇〇でなければいけない。
などの規則や規範だったり.
自分で考え過ぎて、
自分の中にいろいろ作ってしまっていて、
それは、必要なものもありますが、
多くは必要ない自分が作り出した規則。
それは、その人にとっての一種の理性でもあるけれど、それが格子になっていく。
自分の格子を通して、他人や環境を見ていくと、自分の中だけで生きている事にもなるので、
神の計画とか目的が見えなかったり、
逃げてしまっている事になる。
神の言葉と真理を学んで、自分の枠や格子を打ち破り、私利私欲を打ち破り、自分の魂が何を欲しているのか知っていけます。
、、、ちょっと難しい話になりましたが〜そろそろこの辺で雅歌終わります。
雅歌はキリが無いんですけど、、
祝されて恵まれて自由に大らかに人生をいくコツとして、それが神の御心でもありますから(牧談)
Q、
一度、使徒行伝から、産業の祝福についても話してもらえたらと〜商売をしてる方も多いと思いますので。
A、
それは大切な事ですよね。産業が栄えて恵まれていく事は、とても重要だし、神も願っている事です。
ですが、今回のテーマは、それとは反対(私利私欲から離脱する)ようなテーマに見えますが、
実は同じ方向で、一旦、それから離脱して神の目的に合わせていく事は、結果として、物事が栄えていく事になると思います。
結果を求めるというより、求めるものを求めて、結果を得られていきます。
また、それもやっていきましょう。