6月16日(日曜日)本日は父の日という事で、

父と2人でうなぎを食べに行こうと思います。



弟は金曜日に大腸カメラ検査を受けて、


4㍉程のポリープが見つかりその場で切除たので、もうしばらくは控えておくとのこと。


5月に腸の炎症(憩室炎)で入院したし、

退院後に念のため詳しい検査も受けました。


「検査して何か悪いものが見つかると、しばらく仕事出来なくなる、、」という心配から、


弟は、何か症状があるまで、痛くなるで、

なるべく受診もしたくないという感じでしたが、


今回は弟が自分の意思で検査を受けれて

良かったです。


「悪いものがあったとしても、なるはやで見つけて対処するの方がベストじゃん!」と、


事あるごとに私も言ってきたけど、、


怖くて検査受けたくない気持ちも

良く分かります。





私もそうでしたから〜笑い泣き


不正出血が続いてたり、

凄く疲れやすかったり、

足が普通の浮腫じゃなかったり、


いろいろ症状出てたのに検査しなかった。


「ただ、忙しくて、疲れてるのかな〜」と、

忙しさにかまけて、、


自分でも自覚して無かったけど、本心は、

向き合うのが怖かったんでしょうね。


症状があって1年以上そのままで、、

結局、まさかの子宮体癌だったとき、


最初分かったとき(かなり放置してたし)

もう、手遅れかも。末期かな。って思った。


だけど不幸中の幸いで、

進行は初期の初期で切除だけ、


抗がん剤治療も必要無かったので、

良かったし、


家族の心配をよそに、私的には、

「末期じゃなくて良かったじゃーん」と、

あまり深刻では無かったのを覚えてます。


それくらい、癌と分かった後でも、

割とポジティブでいられた私だったのに、、


術後に、鬱とか対人恐怖とかなってきて、


子宮全摘〜体の変化

ホルモンバランスや自律神経の不安定さは、


こんなに思考やメンタルに影響するのだと、

すごく体感実感しているので、


女性の更年期の鬱(男性にもありますが)

あるのもとても分かる〜と思います。


一般的よりひと足早く(12年程は)

更年期症状など体験して、


今度は、ひと足早く生活習慣病(脂肪肝とか)体験してる。


学生の頃は予習などやらないタイプだったのにな(関係ないけど)、、でも、その体験でいろいろ知る事や、修正する事が出来て、それも、悪いもんじゃないな〜と思えるようになってます。


父の日から、まさかの、こんな話でしたお願い


予約できないうなぎ屋さんなので、

早めに到着できるように考えてます。


男ひとりでは、

あちこち行く事も殆ど無いし、

父も歳を取ってきてるし、、


今まで2人で出かけるのは、

もっぱら通院とかメインでしたが、

(2人だと間がもたなかったり)


今後は、美味しいものを食べにとかで、

ちょこちょこ一緒に外出できたらなと思う。







bss初級②

〜神のみちびき〜感謝の祈り


なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。(エフェソ使徒への手紙)



今回のテーマ//

はらを強くするには


はらという話をずっとしてきました。
はらは人間の霊のこと。


人間の真の(芯)の部分を強くして成長するにはどうしたら良いか。






前回までのはなしでは、 



直感は、人間の経験・体験から、
インスピレーションが出て、例えば、
何か発見や発明に繋がったりする事も
あります。


エジソンの言葉でも、
インスピレーションは全体の1%に過ぎず、99%は努力につぐ努力。と。


1%のインスピレーションは、
その人の経験とか体験とか、
いろんな物から出たものかもしれません。

もちろん悪いものでは無いですが、
神から来るサインとは別。


前回までに、
直感と直覚の違いをやってきました。







どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。(フィリハピの使徒への手紙)


これが分かれば、
相当いろんな事が見えてきたり、
解決される、
ストレートに祈りが応えられてくる、
とてつもない言葉です。


いずれにしても、
聖書のことばを読んで「あ〜いいな〜」と鑑賞するだけではダメで、


聖書のことばは、
実行しないと働きません。


このフィリピ書の言葉を実行するだけで、
大半の事は解決されてくる。


今日はここをやっていきます。




(前半)思い煩うのはやめなさい

(後半)祈りと願いをささげ


2つの内容で成り立っています。


後半の「祈りと願いをささげる」事は、
どんな信仰でも、また、
一般的な世の中でもなされること。



聖書ではそれだけでなく

「思い煩うのはやめなさい。」とある。


また、文章の順番を見ても、


「祈りと願いをささげる」前に

「思い煩うのをやめなさい」と先にある。



この前半部分「思い煩うのをやめなさい」の方が重要度が高い。



2つの内容は相反するような内容ですが、
バランスを取るために、
相反する2つの事を意識するのは重要です。



特に、信仰の世界のように、
目に見えない世界の事は偏り易い。



1つの事だけになると偏ってしまうので、
聖書はいつも《2つの事を基本的に柱》
として持っています。

人は一つの事だけに偏りやすい
危険性がある。





願うだけでなく、同時に(先に)
思い煩うのをやめていく。



煩う(わずらう)

・右は「頭」の字に近い

・左は「火」


この2つの象形から成っており、

「悩みで熱が出て苦しむさま」を表して
います。


「煩う」の主な意味は「心の中で悩む」というものです。


→ここの「心」とは、
これまでに定義して区別しました
「あたま」の部分でやってる事です。



「思い煩うのはやめなさい!!」

聖書はここは命令形で言っている。


これを実行できるのは、神ではなく、
人間の側。本人以外に誰も出来ません。




でも、どうやって辞めたらいいのか?

これは難しいですよね。


このヒントになる事をお伝えしていきます。


とても難しい事ですが、人間に出来ない事を聖書で「やれ」とは、まず、言わない。


人間には意思があり「思い煩うのをやめる」という意志をまず持つこと。






〜はらを強くするには〜


はらを強くするにも実は、
「頭の不必要なものを取り除いていく」
ことが必要。

イコールそれは
「思い煩うのをやめていく」こと。




人は、祈りと願いをささげる事は
出来るのですが、


思い煩いをやめる事がうまく出来ない。

願いながら、同時に、思い煩っている人が殆ど。


それで、

祈りの応えを受け損なっている。


神は祈りに応えていても、
それを結果的に受け取れない。





⚪︎煩うのは頭の領域でやっている事。


⚪︎はらの部分は煩わない。

 祈りもはらの領域で行っている。




という事で、煩いを断つ秘訣が無いかな?という事で、、




ひとつ重要な秘訣としてあるとしたら、

「感謝にあります」


悩んだり思い煩ってるときに、
感謝するのは至難の業ですが、


そんな時でも、
これだけは感謝出来るという事がある。


それは「はらで祈れること」について。



はらで祈る=異言で祈るとき、

それは神に直通で必ず神に届いている。


「神が私の祈りをきいた」この事実に対して(どんな悩みの中にいたとしても)感謝する事が出来る。


人間世界でも「私の話を人が聞いてくれた」という事に感謝出来ると思います。
それと同じ。



我々の異言の祈りは、どこか遠くにあるもの(神)に祈ってるのではなく、
我々の内側(はら)に聖霊としている神に祈っていて、そこに距離感はないのです。


また、願いの祈りは何度も何度もする必要もない。どんな些細な祈りでも必ず届いている。


反対に、感謝の祈りは何度していい。



疑いながら同じ祈りを何度も繰り返してるより、神に届いたことを信じて、感謝の祈りに代えていく。


この、疑いを確信にかえていく事が、
祈りが応えられるには、
とても大切なポイントです。


感謝の祈りは、
あたまを守るバリアであり
ヘルメットであり、救いの兜であります。



感謝の伴わない祈りは

骨だけの傘に等しい。

「思い煩い」のゲリラ豪雨に
無防備な状態なのです。


それはまた、恐れ不安をもたらす原因。




思い煩うのをやめる


現実を受け入れて、から、楽観的になる。


現実を受け入れず、ただ、楽観的にいるというのは、逃げていること。


同じ楽観的だといっても、


現実を受けとめた(逃げるのを辞めて)うえで、楽観的になる事が大事です。


思い煩うのをやめる=逃げるのをやめる













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