梅雨入りしたのが嘘のように

真夏日のような暑さの鹿児島でした。



昨日は月イチのお茶会に参加しまして、

なかなか普段では交流出来ない方々と、

世間話的な事で楽しい時間になります♪


海外からのクルーズ船にて

通訳のお仕事されてる方は、


日本・世界情勢や政治経済や歴史方面

などについてのジャンルもたけてらして、


また、牧師もあらゆるジャンルにおいて、

更に上をいく詳しさなので、


全く疎い私にとって、

お二人の話を聞いてるだけで必死、

半分くらい分かって無いけど、、


日本の憲法よりも優位となる会議が、

あるとか、無いとか、、そして、

その決定に従わざる得ない〇〇だったり、、


私的には「めっちゃ面白い」「やば〜」って、とても単純な感想しか出て来ませんが、


表向や報道とは違うような話ばかりだけど、

(でも、そういう事を知らなかった別の方が、カフェを探して、会議が行われているという場所に、たまたまたどり着いてしまって、ここは〇〇の基地であると門番に追い返されたとか。)


でも、理不尽な現実(事故や事件など)に

全く説明や辻褄の合うようなお話でした。


お茶会のツマミの話しとして都市伝説的にドーナツ



昨夜も開催できました。


もうトータル5年以上なりますが、

ここ最近は、2〜3年ぶり?4〜5年ぶり?

のご参加も立て続いてあったり、嬉しいです。


「丹田が私にもあるらしい。見つけられるまでが早くなっている。」「よく眠れそうです。」「気持ち良かったです。」などとメッセージも頂けたりして〜励みになります。


励みになるというか、、

単純にただ嬉しかったり、感謝ですハート





6月に入って梅雨にも入りましたが、 

雨もまだ少なくて5月より歩けてますよ〜




体力アップと血流アップ、

そして骨に振動与えて丈夫にアップと思って、

歩いてます。




それでは日記はこの辺で続きのbss


​bss初級②〜神のみちびき〜


【神のシグナル2】


神の導きが分かるようになれば、
何をやっても栄えていくという事に
繋がっていきます。


ただ栄えればいい、
というものでも無いのですけど、


やってる事が栄えるのは、
聖書の祝福でもありますので。


何をやってもうまく行かないときは、
メソッドを変えないといけないのでしょう。


ただ、現代は拝金主義的な傾向も強いので、それも、あまりよろしく無いだろうと思います。




では、前回からの続き


人間の息は主のともしび、

腹の底まで探り出す。(箴言)


自分で自分の腹の中を探り出せば
神の導きが分かる。という意味。




〜今回のテーマ〜 


・はらの底を探る



世の中に属する部分で神の導きをキャッチしようとするので分からない。


頭の部分が回復されていけば、
導きが腹に来ていることが見えてくるので、意識を向けるようになる。



1番間違いやすいのは「直感」

それはその人がひらめいた事、
経験や知識によるもの、


別にそれが悪いという事を言いたいのでは無く、ただ、神からの導きとは違うという事を知っておく。



聖書の世界の話というのは、
霊の領域といいましょうか、

世の中にある言葉だけでは表現しきれ
ないので、


「直感」と「直覚」の言葉を定義づけ
ました。


あたまの領域を直感

はらの領域を直覚と定義しました。




⚪︎あたまの領域の、

ひらめき、直感というのは、


どこかでは考え、どこかでは感じ、
過去の経験やデータに基づいた情報が
ショートカットされて、スピーディーに
出て来たものだと思います。



⚪︎直覚はそうでは無くて、

自分の腹の中・霊の中にある感覚です。






神のシグナルのひとつは「ブレーキ」

まずは、この感触が分かるようになると、
いいでしょう。


⚪︎これはとどまった方が良さそうだというシグナル/何か止められる感覚。感触。


・頭は前に進みたいと思っている

・頭もとどまった方がいいと思っている


→よく祈って自分の腹にあるシグナルを見ていく。感じる。





ギデオンは神にこう言った「もしお告げになったように、わたしの手によってイスラエルを救おうとなさっているなら、羊一匹分の毛を麦打ち場に置きますから、その羊の毛にだけ露を置き、土は全く乾いているようにしてください。」(士師記)



旧約聖書の時代の内容です。
(今の時代とは違いますよという内容です)




当時は王というポジションはまだ無かったので、神が英雄というポジションを立てた。


神がギデオンを用いて、

「窮地にあるイスラエルという国を、貴方を用いて神が救うのです。だから、言うようにしなさい。」

と、神がギデオンに言うのですが、
ギデオンはその事がよく分からない。


なので、神が私を導いているのであれば、
こういうシルシ・シグナルを見せて欲しいと、ギデオンが神に頼んだのです。

羊の毛を家の外に置いておくので、 
朝になったら、
羊の毛にだけ朝の露が落ちていて、 
土は全く乾いている。


そんなシルシがあったら、
神の導きであると信じます。と、


すると、そのようになったのでした。


そして更に読み進めていくと、
ギデオンはそれでも納得出来なくて、
もう一度神に逆の現象も見せて欲しいと
お願いしました。


すると、神はそのようにされた。

羊の毛だけは乾いており、
土は一面に露が置かれていた。


ギデオンは神の導きを
羊の毛によって判断したのでした。



旧約時代はこのような事も良くあったのですが、今の時代はこういう風にするのは間違い。



旧約時代は誰一人として聖霊を受けていなかった。腹が生まれ変わっていかなった。



神のランプを自分の内に持っていかなったので、神の導きを自分の中に得る事は不可能であった。


ですから、旧約時代には、こういう現象を通して神の導きを人に与えていました。


預言者を立てて神の導きを聞いていた。
これは旧約時代(BC)までのこと。


 



今は(AD)
世俗的な部分には神は触れてこない。


人は、どうしても外側の感覚的なものを求め易い、人間は感覚的な何かを求めてしまいやすい。


その感覚というものは、体の感覚だけでなく、頭の感覚も含んだものです。




実は腹に与えられている、
神のともしびになかなか目を向けません。





では、新約聖書に入って、

「人々よ、我この航海の害あり損多くして、ただ積荷と船とのみならず、我らの生命にも及ぶべきを認む」(使徒行伝)



初代教会において最も神の働きをしていた1人がパウロですが、そのパウロの言葉です。


パウロは裁判にかけられる為、
船に乗ってローマにいく途上。



イスラエルからローマに地中海を渡って
いくのですが


今、出航するとマズイんじゃないかと、 という事をパウロが言うのです。


何かをパウロが腹の中に「認めた」。

止まれというシグナルの感触は人によって違いがあるけれど、


私(牧師)の経験から言うと、
腹の中にある不安というか、
強いときは冷や汗の出るような感触というような。


また、何か硬い感じというか、、


それは私の1つの例なので、
自分で検証して頂くしかありません。


これは頭の部分に来ているものでは無い。


どちらかと言うと、

頭はルンルン気分で、頭は前に進もうとしてるときも、


祈りながら腹の感触を確かめていくと
感じる感触。


最初からパッと分からないので、
試行錯誤しながら身に付けて欲しい。



⚪︎頭はいつでも計算と利益と状況などで
判断する。



⚪︎「直覚」は根拠が無い事が多いので、
人々に納得してもらって実行する為には、
頭を使って説明していく必要もある。



頭が回復してこないと、
はらに意識を向けようとしない、
頭ははらを無視したい。


また、神のともしびやサインは、
分かりやすい強い感触では無い、
繊細なもの。(言葉でも無い)



使徒パウロは何かのひっかかりを自分のはらに認めた。それは言葉ではなくて、信号でありシグナルであり、自分のはらに認めた「直覚」であった。



我々は、いつそれを認められるかと言うと、異言で祈っているとき。

異言で深く祈っていけば、
最初は分からなくても、
はらのどこかにあるサインを探り出せる。



仕事でも、人間関係でも、経済、買い物
ひとつでも、あらゆる事において、
そこに聞くのならば、
ベストに選択していけるようになります。



直感の場合は、思い込み(や、単に、過去の自分の経験やデータよるもの)
などもあり、間違いもあるので、
気をつけていくべき。

 


まだ初級の最初の頃のものですが、

実践的だったり、ちょっと難しい内容なりました〜



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