前回の続きで

前回のブログは文語体だったので、
もう少し分かりやすい口語体のほうで。

bss上級//雅歌⑥では
この5節の文書を1時間半くらいかけて
解説されてて、深くて、難しい〜

昨日はもう雅歌⑦に入ってるので、
今日のうちに先週の分をまとめました。

最後の質問コーナーは分かりやすいし
何かの参考になるかも〜



雅歌1章11-15

11われわれは銀ぎんを散ちらした金きんの飾かざり物ものを、あなたのために造つくろう。

12王おうがその席せきに着つかれたとき、
わたしのナルドはそのかおりを放はなった。

13わが愛あいする者ものは、わたしにとっては、わたしの乳ちぶさの間あいだにある没薬もつやくの袋ふくろのようです。

14わが愛あいする者ものは、わたしにとっては、エンゲデのぶどう園えんにあるヘンナ樹じの花はなぶさのようです。

15わが愛あいする者ものよ、見みよ、あなたは美うつくしい、見みよ、あなたは美うつくしい、あなたの目めははとのようだ。



真理を持っているか持っていないかは、
内面からの美しさや品性に繋がっていくもの、

それは自分で取り繕うものではなくて、
滲み出てくるもの。

王が宴の席についている間、
私のナルドはかおりを放ちました。

礼拝とか集会とか、
そういう中で賛美したり祈っているのは、
霊の世界でいうところの「宴」

そのとき王(イエス)がそこに座っている。
臨在している。

聖書の言葉を耳から聞いているけれど、
霊の世界の視点でいうと、

聖書の言葉、神の言葉は、
魂の糧であり、
魂が霊の食べ物を頂いている事。

私のナルドがかおりを放った

霊の祝宴の中に置かれているとき、
私達の魂はナルドの香りを放っている

(ナルドとは、ナルドの油=ものすごく高価な植物の油。素晴らしい香りを放つアロマ的な)


礼拝などで、我々の魂が神と近く交わったときに、私の中の魂はナルドの香りを放ってくる。


こういうのは体験なので、
なかなか言葉では伝わらないですが、

あとは、体験経験して頂けたら。

我々の魂がものすごく神と近づいていく事が
ありますよね。
 
イエスに対する信頼や望みを持つとき、
ナルドの香りを放っている。


不思議な事は沢山あるんですが、
自分が全く意図してないような、
神の言葉を与えられる時がある。

神と交流してるとき、
自分の中にイエスに注がれた
ナルドの香りが立ち上がっている。


イエスが霊の集会に臨在してる間、 
ナルドの香りを放ち続けている。

要するに礼拝などの集会で、
私たちはイエスと一体とされている。

生活していたら、
心配事とか、思い煩いとかいろいろ
ありますけどそれに囚われないで、

神が私たちの歩みを強めてくださる
ように願っていく。

神を喜び讃美することは、
力となって働いていきます。


また、イエスの苦しみを模範として、
力の土台とする。

ヘンナの花とは、
地味で小さくて見向きもしないような
花ですが、

イザヤ書の預言に書いてあるように、
全く目立たない方、地味な方、
謙遜に謙遜を重ねたのがイエスの姿であり、

挙げ句の果てに罪人とされ、
ののしらせ、唾着せられ、鞭打たれ、
十字架に付けられる。

それでも、愛と憐れみと赦しと忍耐をもって、人を覆い包んでいる。

これは単なる物語ではなくて
歴史的事実のはなし。

(だからこそ、毎年1億冊程売れている聖書は今でも沢山の人に影響を与えている。)


十字架で息を引き取ったあとも、
信仰と望みと愛の香りを放ち続けている。


エンゲデというのは教会を表していて、
世界中に20億のクリスチャンがいますが、

教会に行く目的を垣間見ると、
多くの人は、
葡萄のフサを食べに行く目的が大きい。

エンゲデの葡萄とは、
物質的な恵みを求めている事が多く、

それも必要ですが、
そればかりに偏っていないか、
自分自身をチェックしていく事も必要。

私達も教会に来て恵まれてきた〜
というのはいい事ですが、

そればかり主体になって、

イエスの十字架の苦しみに
関心を向けなくなったら、
本質からズレてないかという話。


ヘンナの地味な花房のような部分
(=イエスの謙虚さや苦しみ)
を胸に置いておく、

十字架の苦しみに神の義があって、
そこを求めて行かなければ、
結果的に葡萄をいただく事もない。


マタイ伝6章

何を食べるか、何を飲むか、何を着るかなどといって心配するのを辞めなさい。

天の父はそれが皆あなたがたに必要な事を知っています。

だから、神の国と義をまず求めなさい、そうすれば、それに加えてこれらのものは全て与えられます。

神の義というものは何であるのか
難しいのですが、

このシュナミノ女性が求めた、
ヘンナの花房(地味で謙虚で目立たないものですが、それは正に神の義を象徴している)に目をとめる。

あなたは計り知れないほど美しい
(見栄えではなく魂の美しさ)

多くの人は神に物質的な豊かさばかりを
求めがちですが、

あなたは何を求めるか見えています。
(神の国と義を求める)


それは鳩の目のようだ、

鳩の特長として3つ
⚪︎帰巣本能、自分の家を見分ける目がある

⚪︎愛する人を見分けて寄り添う事ができる

⚪︎また、鳩は聖霊の象徴で、人に導かれるのではなく、自分の内の聖霊に導かれる事を鍛錬して知っていく。

それが分かるようになれば、
人生の道を目的を正確に認識していける。



雅歌は凄いですね〜お伝えするの大変です〜
(牧師)

《質問》

ルールを守らない人が非常に増えていて
腹立たしくなったり、
フラストレーションが溜まる事があります。

注意するべきか、どうすれば良いのか、
迷っています。


こういう時は、
その人を捕まえて正すのはやめましょう。

分かってないのは感覚の問題なので、
言っただけでは分からない。

結局、争いになるので、
争いより平和を選択しよう。

正しい事や正義を
そこで語ると争いになる。

それに、相手から見ると、
それも、ただその人の正しさだけに過ぎない
ようにしか見えないし、

彼にとっての正しさがあるかもしれない。
争いより平和を求めて。

もし相手が意見を求めてきたり、
そういう立場の人が解くことは良いが、

人のフリ見て我がフリを直す。
という事で〜


また、フラストレーション=不満を解消するには、今、生活の中で感謝する事を見つけていく。

人間は1度に2つの事は考えられないので、
そればかり考えるのではなくて、
違う視点に切り替えていく。

共通することや、
事情や生い立ちなど見つけて、 
コミュニケーショをとっていく、

コミュニケーション取れなければ、
何をやってもまず難しいですね。

しかし、
世の中に対する憂いを感じずにはいられないのは、同感であります。お祈りしながら進みましょう。


最期まで書けました。
難しかったので、後で、かなり削除して、
ほんの一部の内容でした。

土曜日はとてもいいお天気で
少し暑くて初かき氷を頂きました




よい1週間になりますように〜