昨日はとてもいいお天気だったので、義母さんとランチに行きました。


先日、義母が行ってみて良かったよ〜という場所。実家から近くて、よく前は通りかかるけど、初めての場所でした。


霧島市日当山で近くに天降川があります。(出身の日当山小学校も近い)


ここに入るには、階段を登らないと行けないのですが(2階建くらいの階段)、1ヶ月くらい前まで、長距離は車椅子移動が必要でした。


昨年秋頃、腰椎圧迫骨折で、寝返りも出来ないくらいの激痛でしばらく入院もして、


退院後も、前屈みになれない、少しの時間しか立っていられない(頭の重さが負担になる)、伝い歩きで室内は何と歩けるけど荷物を持って歩けない、一人でお風呂に入れない、


いろいろと日常生活に支障がありました。


60代の頃に骨折して、その時の骨密度の検査で「80代くらいの骨密度」と分かり、抗がん剤治療前までは、注射などで骨粗鬆症の治療も継続していました。


元々、カルシウムは気を付けて摂取してて、体も動かすし、太陽にも当たったり、

人一倍、気を付けていたけど、



遺伝的?体質的?に、骨粗鬆症が年齢以上に進んでいたので、昨年、腰椎圧迫骨折した際、「元のように治ることは無い」と先生

から言われていました。


今も、コルセットは必要だし、痛みが無い事はないけど、結構な階段を上り下り出来るようになってて(ちなみにエレベーターもある)、とても嬉しかったです。


お風呂に入るのは、週2回、デイサービスを

利用してます。(介護2)




先日の定期検査では、(肺癌治療中)血液状態あまり変わりなかったので、また、5月のCT検査まで、抗がん剤治療も様子を見ることになってます。

2年前、大腸癌(ステージⅣ)から肺への転移が見つかり、だんだん大きくなってるのも
確認され、抗がん剤治療が始まったけど、


その際の診察の際、今後の治療は、完治を目指すものではなく、なるべく進行を抑えるための治療。

抗がん剤治療期間については、体調を見ながらではあるがずっと必要なので、回数や期間は制限ない。

あくまでも平均的な数値でありますが、余命としては2年程と診断されてて、その2年目が今年の5月になる。

2年前に考えてた現時点では想像出来ないくらいとても良い状況でありがたいです。



高齢になると癌の進行も遅くなるとは言われるけど、肺への再発が見つかったとき、だんだん大きくなっていた。

現在、医師から「今は進行が止まってるようなので、抗がん剤治療ストップして様子見ましょう」
と言われるのも、癒しの力が働いているかなと、ひっそり思ってます。 


義母は、とにかく先生や医療を信じているし(私も信じています)、とても現実的で(普段からあまり人の話し聞かないので)、

私に信仰があったり、祈ってるなんて話も
御法度であります。

そして常識的に考えると、祈りで病が癒やされるなんてあり得ないので、、たまたまそうなったのと重なったとか、プラシーボ効果とか、私でも思う。

でも、「治ると確信しながら」「祈りは通じていくと確信してして祈る」必要があるので、

自分の意思をもって「信じることを練習」しながら〜祈らされている。



それもあって?(信仰の話関係なく)普通に人のお悩みなど聞いたとき、わたしがポジティブなアドバイスを返すみたいで、

「もっちゃんポジティブだよね〜」と言われる事もあるけど、、全然ポジティブじゃないし、ポジティブに居ようと意識してないけれど、

常識的に無理かな?と思われるような希望的な事が出てくるのは、

祈りの習慣で、《本当にそうなれるのであるとしたら、どうなりたいか》を、祈るに当たって毎回考えさせられるからかなと自己分析。

私の力じゃないし、《全知全能の神ならば
不可能と思われるような癒しや働きがある》と私の中の常識の範囲を崩されていく。




私にも、その時、ひとつひとつの出来事は、たまたまある事、そんな風にしか思えない事でも、

経験が積み重なってきて「信じさせられる」そんな感じです。

(思い込みかもしれないけど、自分が安心できる思い込みなら、よきかなと🌈)


病の癒しに限らず、経済、産業、人間関係などの中に、様々な奇跡や不思議をまだまだ楽しんで体験していけたらな〜と思います。

こんな怪しい、誰にでも言えないような、でも私が本当に思ってる事をこうやって書けるブログはありがたいものです。

個人に向けて語ると、、きっと引かれたり、私は意図していなくても、何らかの圧を感じさせてしまう事もありますよね〜きっと。

対象がないブログだからこそ語れることも。