めずらしくこんにちは〜。

もう暗くなってきて、こんばんはだな。


でも、お布団の中よりです。


今日は、朝の愛犬のエサやりと、洗濯物だけ干したら、布団にてミノムシ状態。


きのう、夕方あたりから、軽く片頭痛ぽくて早めに寝ました。


起きても、良くなってないし、、なんか怠い。目もしばしばする。


風邪かな〜と思って様子みてたけど、片頭痛のみぽい。


薬を飲む程ズキズキ酷くはなくて、洗濯物干したり動いてると、大丈夫そうだけど。


横になると、やっぱ、本調子じゃなく怠い。

30分くらいの短い睡眠を3回くらいして、あとは、ゴロゴロ。


だんだん回復してきて、、少し暇になってきました。YouTube見始めると、次から次で、目が疲れてきた〜。


ので、最新のbss書き起こしました。




本当は、今年はヨガのポーズと呼吸を丁寧に復習したいと思ってて、blogに書くと、1番丁寧に出来ると思うので、やりたいんですけどね、、


布団の中で本を開けないので、、音声のbss書き起こしをする事になるのですが、これも、私の趣味として、よろしくお願いします🌈






今回も、体験した方に向けてる内容なので??と思いますが、、童話か都市伝説くらいに軽〜く、そんな世界もあるのねと読み流してもらえたらさいわい。


(最後、Q&Aは心理学的な視点からの話もあるので、そこは参考になるかもです)





異言の働き②


2000年前に行われていた祈り、

1世紀に初代教会で行われていた祈りは、


すでに2世紀頃には、だんだんと減少してしまい、3世紀には、ほぼ消え去ってしまいました。


新約聖書の使徒行伝は、教会の記録として重要な資料ともいえる文献です。


聖書のことばは、タネ(種)に例えられていますが、タネは1000年経っても花が咲く。


これだけ科学が発達したといっても、タネ一粒を作ること、生命をつくり出すことは人間には出来ない、神の領域。


霊の世界も良く似ていて、聖書のことば(=タネ)が保たれてきてるが故に、2000年近く経つ今日に入って、世界中で異言の祈りが復活してきています。

  


確かな資料としては

ペンテコステ教会の英語版の資料より。


1900年から聖霊が突然くだり出した。

発端はアメリカのペテル神学校で始まった。


この資料は、かなり詳しい専門家の研究のもので、日本においては我々の教会についても書かれてます。



タネは1000年経っても、2000年経っても、聖書のタネがまた芽を出し、聖書の中の祈りが復刻した事は奇跡といえます。




〜異言の祈りの働きについて〜


⚪︎聖別する


塩が清める事と結びついてるのは、確かに、

塩は腐敗をとどめたりもするのですが、


また、相撲も神事として考えられていますが、土俵で塩を撒くことも清めの行為であります。


塩を宗教的な次元で使ってるのは、

ユダヤ人と日本人くらいなのですが、


異言は、神に語る時だけでなく(願いを祈る時だけでなく)自分に向かって語り、自分で自分を清め、聖別する事が出来ます。



⚪︎未知のために祈る


未だ知らない事のために祈る事が出来る。

分かる言葉、知性の祈りでは、未来の分からない事を祈ることは難しい。


なんと祈ってよいか分からないときも、(何がベストか分からない。どうなればいいか分からない。など)

頭では分からないときも、先の事を知る聖霊によって、完全なカタチの祈りができる。


また、祈らされる時があって、そういう時は頭では、よく分かってないし、


あれもやらないと、これもやらないと、と、現実のやるべき事で、祈りが中断してされがちですが、


祈りがやめられないときは、そのまま、なるべく祈っていた方がよくて、


自分の未知の事、先の事について、準備のために、祈らされている事もあるので、


心に平安や落ち着き、喜びが来る、そういうシルシがあるまでは祈り続けるのがオススメです。


そういうシルシが与えられたときは、もう、解決していて、道が与えれ、準備は整っています。


それは、その時、聖霊には分かっていても、頭では後になって分かる事が多いです。



⚪︎魂の憩い


砂漠の中にオアシス水があるように。

(日本の中には、世界中の全てがあると言われ、日本には鳥取砂丘も存在しますね。)



異言の祈りは、魂の回復、癒し、充電できる。魂のオアシスのようなものでもあります。


しかし、自分の魂の充電として祈ることは、なかなか省かれがちです(切羽詰まった事ではないので)がとても重要です。


頭の中もクリアにさせられる。

知性や感性も回復させられる。


魂が回復すると正しい道へ導かれていきます。

(魂はあたま。霊は腹。と区別できます)



⚪︎感謝を捧げる

異言の祈りは神に対して捧げることが出来る感謝のことば。


ただし、異言を知らない方の前で祈るときには、自分だけ異言で祈るのではなく、分かる言葉にして祈ることも必要です。


(例えば、外国で食前に祈りをする場面などに招かれた場合など)異言で祈っても、他の人は何を祈ったか分からないので、分かる言葉で祈ることを、パウロも勧めている。


(英語圏で日本語で語っても分からないのと一緒)


皆んなが分かる言葉で祈ることは、相手の徳を立てることになります。


徳を立てるとは、相手を充電したり、慰めや励ましを与える事になります。



⚪︎舌を制御する


ひとの舌は、つい余計なことを言って、失敗する事が多い。政治家しかり。


マスコミも、その人間の弱点をつくように、余計な事を言わせるように、つついて来るのですが、、それだけコントロールも難しい部分です。



舟の舵のように、大きな船を小さな舵で操縦するように、小さな器官である人間の舌も、体全体や人生にも影響を与える。


異言を語ることは、自分の舌を制御して、神の導きに従わせ語っている。聖霊に自分の舌を従わせている行為でもある。


舌を制御すれば世界を制御すると言われる程、重要なことです。




言葉で成功していくのは、現実にも沢山ある。


ヒット曲なども、人を励まし、力付け、慰めた、言葉が、経済にも影響することを認識するべき。



《Q&Aコーナー》

Q、先日、酒の席で、信仰の無い方のお悩みを聞かせてもらって、ただ、聞かせてもらってたのですが、その方に代わって、祈ることは可能な事でしょうか?


A、可能です。悩みの相談を受けたときは〜無理ない範囲で代わって陰で祈ってあげるといいですよ。




悩みを聞くときに、良し悪しを考えながら、自分の視点でジャッジしながら聞いてしまいがちですが、


意識的に中立に立ち、否定も肯定もせずに、悩みを聞くこと、「それが貴方なんですね〜」存在を認めながら聞いてあげる事が大事。


もし、間違っていたとしても、受け入れて聞いてくれる人がいる事で、本人が気付く事が出来るようになる。


相手の感情をそのまま受け入れて、ただ聞く事を意識するのが大事。


それが出来ると、自分が自分にも出来るようにもなります。(逆もしかりですね)



ついつい、わたしも、無意識に自分の経験やフィルターを通して、相手の話を聞いてる事が多いと思うけれど、ゲーム感覚で日常練習ですねウインク


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