自論 | 日常・Recording-notes

日常・Recording-notes

ただただ書きたいときに、好きなように、書きたいだけ。自由に。

 

 

 

 

 

ふとしたときにすぐ隣にいる

じぶんの中のダークなジブン

そのジブンは底がなく、堕ち続ける感覚

でもその子はずっと何十年も一緒に生きてきたわたしの一部

たまに顔を出しては、生きることについて考えさせられる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この先、あくまでわたしの思っていることです

気分を害される方もいるかもしれませんので

少しでも嫌だなぁと感じたかたは読まずにいてください

 

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 

自分でじぶんの命を絶つ選択をした人の報道を

目にすることが増えたように思う

そのニュースは多かれ少なかれ人に影響があると思うけれど

でもそれは、誰のせいでもないと私は考える

 

 

 

 

 

仮に誹謗中傷によって傷つき

絶望と虚無を繰り返し

生きていることを呪った結果だとしても

その人自身が選んだ答えだと思う

 

 

 

 

 

自死はよくない

それはそうなんだと思う

でも、それを選択したのはその人であり

それを決め切るまで、きっととてもとても長い間ずっと

生死についての想いを積み上げていたんだと思う

 

 

 

 

 

最愛の人が亡くなったことで

残された人は永久に哀しみ苦しむという話をよく聞く

‟なにかできたことがあったのではないか‟

と自己を責めたりする人もいるだろう

でも、それは、しなくていいと私は思う

 

 

 

 

 

私は、母を急性心不全で突然亡くしている

それは自死ではないけれど

それでもやっぱり

‟なにかできたことがあったのではないか‟

と思い悩んだ瞬間はあった

 

 

 

 

 

けれどいまはもう、それは考えない

だっていくら考えたところで母は戻ってこない

 

 

 

 

 

身近な人が自らの命を、生を、自分で終わらせたとき

きっと絶対ショックだろうし

悲しみの中から出られないこともあると思う

でも、ずっとそのままでいるのはどうだろう?

 

 

 

 

 

いま生きている、それは誰なのか、を

ほんの少しだけ考えてあげてほしい

 

 

 

 

 

哀しんではいけない

泣いてはいけない

怒ってはいけない

なんてことは少しも思わない

思うままに思いっきり、哀しんで、泣いて、怒っていい

そのあとで、少しずつでいいから

この世から旅立ったその人を想う大きなやさしい気持ちを

いま生きている自分に向けてあげてほしい

 

 

 

 

 

生きていると、死にたくなる瞬間は普通にあるし

死を考えられるのは、生きているからこそ

 

 

 

 

 

生と死はコインの裏表

どちらかだけにはできないから

いっそ一緒に生きていこうと思う

 

 

 

 

 

自死を推奨するつもりは一切ありません

でも、自死を否定するつもりもありません

 

 

 

 

 

すべて自分の選択で

自分の時間を好きに生きているんだなと思う

今日この頃です

 

 

 

 

 

 

 

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