本人達からは何も言われず

遠回りして聞こえることに

「さみしい」と感じる

 

 

 

 

省かれ影口を叩かれ

声もかけられずにいた

中学生のときの自分が

まだここにいる

 

 

 

 

「あれは、ほんとさみしかったよなぁ…」

 

 

 

 

何も言ってこないのは

その人の考え方であって

それがどういう意図の下なのかは相手の問題

そこで卑屈になる必要、全然ないよ

 

 

 

 

「とはいえ、やっぱりさみしいねぇ…」

 

 

 

 

わたしは極度の恐がりだ

それに付け加えて

完璧主義の自己否定マスターだった

 

 

 

 

人はじぶんが望んでいる生き方をしている

そう、よく聞く

 

 

 

 

むかしはよくそれに反発した

 

 

 

 

そんなわけないと

普通になろうと努力した

でも、ちっともうまくいかなかった

 

 

 

 

親孝行の一つもできないまま

こうやって生きていることに

罪悪感をゼロにはできていない

 

 

 

 

わたしなど、と思ってしまうことも

まだやっぱりある

 

 

 

 

わたしよりも一回りも若い従姉妹たちが

つぎつぎ親になっていくのを知り

まともに働くことさえできない自分を

また責めそうになった

 

 

 

 

そのあと

ふと

わたしの役目はなんだろう、と

 

 

 

 

本当は、わたしも人(両親)をしあわせにしたい

普通の生活がまともにできない今のわたしでは

それはかなり難しい

 

 

 

 

それなら、ただ一つ

生きている間は

『わたしをしあわせにする』

ことだけは

最低限やろうじゃないの、となぜか思った

 

 

 

 

結婚も妊娠も出産も親になることも

両親に孫も顔を見せることも

父の望む物をプレゼントすることも

何一つできないままだけど

 

 

 

 

できないことはもうしょうがない

 

 

 

 

こんなわたしでも

できること

まだいくつかはあるから

それをやろう

 

 

 

 

わたしのできることは

他の誰かにもできることだけど

それを気にしていたら何もできない

 

 

 

 

見たいものを知りたいもの

ワクワクすることに出会えたら

それを探求していこう

 

 

 

 

たった今からそれが

わたしの役目だ(ということにする)

 

 

 

 

 

 

 

 

まだまだいい人やってたんだなー

くっそぅ…

 

 

 

親族一のクズだと思われ

省かれても、いいわ

 

 

 

 

わたしは

わたしだけを見る

何年たっても全然できてないな!

まだまだこれからだー

 

 

 

 

 

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