日本腸心セラピー協会認定
腸心セラピスト養成本部講師の
津波古 知子
(つはこともこ)です
実は‼️
私は腸心セラピーに
出会うまで
セラピーや
カウンセリングを
全く必要と感じたことが
なかった
そんな私が
60分の腸心セラピーで
定食屋のおばちゃんから
腸心セラピストに‼️
そんな私の
61年間を振り返ってみようと
思い立ち‼️
ちょびっとずつですが
綴っています
お付き合いいただけたら嬉しいです❣️
No.8 私が4年生10 歳の時に亡くなってしまった晴坊兄ちゃんのこと
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前回は私が10 歳小学校4年生の時に
2番目の兄、晴坊兄ちゃんが
亡くなってしまったこと
お伝えしました
子供を先に亡くしてしまうという
その悲しさ・辛さが
母が壁に向かって正座して
うなだれている後ろ姿で
10 歳の私には伝わったように思います
今でも鮮明に覚えていますし
私自身息子を亡くしたとき
母も同じ辛さを味わったのだと
あの姿が目に浮かびました
今回は私が40歳の時のことなので
番外編としてお伝えします
母は、次男の兄に続き
長男も亡くしてしまうという
辛い悲しい思いを
またもや、してしまいます😢
長男の兄、紀坊兄ちゃんがなくなったのは
兄50歳、私は40歳の時
父が癌で亡くなり、数ヶ月経った
7月の日曜日の朝
お義姉ちゃんから電話がきます
『金曜日に、入院したんだけど
紀ちゃん(兄のこと)が
癌で年内もたないだろうって・・・』
『えっっっっ〜〜‼️』
姉は続けます
『お義父さんが亡くなって、一周忌もまだだし、晴ちゃん(次男の兄)のこともあるし、お義母さんに言った方がいいのか、言わない方がいいのか・・・』
義姉自身が1番ショック
だっただろうに、
この母への気遣いに
本当に感謝しています
私も
晴坊兄ちゃんの時の
あの母の後ろ姿が
また、目に浮かびましたが
自分自身も親になっていることもあり
自分がそうだったら
と思うと、知ってた方がいいと感じたので
『知ったら母ちゃんは
本当に辛いとは思うけど
それでも
紀坊兄ちゃんが亡くなるまでに
母ちゃんがしてあげたいと思うこと
させてあげる方がいいと思う』
と伝えました
『そうだね』
とお義姉ちゃん
多分、
義姉もその方がいいと
思っていたのだと思います
そして、同じ日の夕方
どうだったかを
聞こうと、沖縄へ電話をしたら・・・
『亡くなった』
と・・・・
金曜日に入院して、
たった3日‼️😢
その後の記憶がかなりうろ覚えというか
ほぼ覚えてないというか
すぐに飛行機のチケットの予約も
しただろうし、
当時の子供達の年齢(娘17歳、息子14歳・11歳)考えると、一緒に連れて行ってるはずですが
子供達と一緒な映像は全く
浮かんできません
浮かんでくるのは
母がうなだれている姿
ほかの弔問客がたくさんいる中で
出棺の直前
棺の中の兄に
そっと
キスをしてあげた姿
お義姉ちゃんは
とっても控えめな人で
人前でそんなことする人ではないので
兄への愛情と悲しみが
とっても
伝わってきました‼️
私は
お義姉ちゃんに対する思いやりが
本当になかったな😢
1番辛かったのは
お義姉ちゃんだったはずなのに
本当にごめんなさい‼️😢
(今更、遅いですが)
そして、
母は本当に
気力がなくなってしまったようで
兄のお葬式からしばらく経ってから
『仕事を
辞めようかな・・・』と
この言葉も私にはびっくりでした‼️
教師はすでに退職していて
その時のしていた仕事は
母の強い想いがあって
続けている
仕事だったので・・・😢
この言葉でも
子供を先に亡くすこと
本当に本当に‼️
辛く悲しいことなんだよな
っと
もちろんわかった
つもりでいましたが・・・😢😢😢
この時も‼️私は
自分自身が
母と同じ思いをするとは、
夢にも
思っていませんでした😢
今回はこの辺で
次回は
No.10 次男に続き長男の兄も先に見送った母その2
https://ameblo.jp/tomoko1chie/entry-12587393910.html
です
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