日本腸心セラピー協会認定
腸心セラピスト養成
本部講師の
津波古 知子
(つはこともこ)です
実は
私は腸心セラピーに
出会うまで
セラピーや
カウンセリング
全く必要と感じたことが
なかったんです


そんな私が
生まれて初めて受けた

60分の腸心セラピーで

定食屋のおばちゃんから
腸心セラピストに‼️
そう
腸心セラピーで
人生が180度変わりました

そんな私の
61年間を振り返ってみようと
思い立ち‼️
少しずつ
綴ってみようと思います❣️

お付き合いいただけたら嬉しいです❣️

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産まれたのは沖縄県那覇市

(沖縄で産まれたのは確実ですが
那覇市だったかは不明😱😅
そういえば確かめたことがないなぁ😅
と書き綴りながら気づく😅😅😅😅)

父は中学校の数学教師
母は特殊学級の担任教師
(当時はそう呼ばれてました。今だと知的障害児学級ということになるのかな)

両親共に教師で、
兄2人と私の5人家族でした

上の兄とは10才
下の兄とは8才
年の離れた妹として
産まれました❣️

その兄たちとの年の差を、
父と母が
女の子が欲しくて
年が離れてはいたけど

3人目を産もうと思って、
私が産まれたのだと
単純に思っていましたが

実は違っていたことを
後々、母の言葉で知り

幼い頃に、
繰り返し‼️繰り返し‼️
見続けていた夢が
そこに、
関わっていたことを
腸心セラピーで知ることになるのです・・・が‼️
それは順にお伝えすることにして・・・

年の離れた女の子ってこともあり
かなり大事に育ててもらっていたみたい


沖縄は親戚付き合いがかなり濃密で
又従兄弟くらいまでは
普通に仲良く親戚付き合いがあって


母は9人兄弟の末っ子
父も4人兄弟の末っ子
その2人の末っ子の私は
父方・母方
合わせて20人以上はいるだろう
従兄弟たちの中で

私は1番末っ子😅

母自身も9人兄弟の末っ子で

母と母の1番上のお兄さんが
(私からしたらおじちゃん)
20才違うことで

私にとっては
いとこの子供が
私と同い年!あ
(意味がわかるかなぁ?)

私がおばちゃんと読んでいる人を
その同い年の親戚の子達が
おばぁちゃんって呼んでることに


かなり違和感感じてました🤔🤔🤔


母方では、
従兄弟ではないけど
同じ年の子がいたので


そうでもなかったのですが

父方では
親戚の中で1番
小さかったので


誰に言われたかは忘れたけど

『知子はいつも誰かの膝の上にいるねぇ』

と言われるくらい

叔父叔母含め
いとこの兄ちゃん姉ちゃんたち
みんなから
可愛がられたみたい💕💕💕

(その頃、じいちゃん・ばぁちゃんは父方も母方も亡くなっていてほとんど関わった記憶はないですが、生きていればやっぱり可愛がられてたんだろうな)


そして
父も母も、私に対して
(兄たちにもですが)

全然厳しくなく
かと言って
ぐずぐずに
甘やかしているわけでも
なく

ただ、怒られたことはもちろん
これはダメあれはダメなんて
1度も言われた記憶がないんですよね


言われるようなことを
あまりしなかったとも
言えますが・・・😁

周りが
そんな環境だと

末っ子らしく😁
甘え上手に
なりそ受けてですよね

ところが‼️
私はわがままどころか

欲しいものも言えず

したいことも

全く言えない子でした‼️

言えない上に
何がしたいの?
何が欲しいの?
って聞かれても‼️

何も言わない(言えない)子でした

周りの人から可愛がられてた
この末っ子娘

わがままどころか
欲しいものが言い出せないってことで
小学校に
入って
いい子ちゃんの私が
ある事件を起こします‼️😱

これもまた
小学校の思い出を書き綴るときに
お伝えします❣️

次回は
です

最後まで読んでいただいて
ありがとうございます😊
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