昨日の東京ドーム。讀賣対広島戦。
先発は、笠原将生(しょうき)という21歳の投手でした。プロ初先発・・・今年の讀賣ジャイアンツ、やれ杉内俊哉、やれデニス・ホールトンと実績のある先発投手を2枚も補強しておきながらこういう若手に先発の機会があるという不思議はさておき、この登板は注目したものです。
私はこの笠原、過去に2度見ています。マリーンズ打線、なかなか打てなかった記憶があります。
(5月3日・東京ドーム)
:000 300 000=3
:003 000 01X=4
(広島4勝2敗)
【広】大竹(3回)-今村(2回)-江草(1/3)-岸本(1回2/3)-ミコライオ(1回)=白濱・倉
【讀】笠原(4回)-高木康(2回)-マシソン(2回)-西村(1回)=實松
勝: マシソン (1勝0敗0S)
敗:ミコライオ(1勝2敗0S)
S:西 村(0勝1敗6S)
本塁打:【讀】高橋由1号(3回大竹・2ラン)、亀井1号(8回ミコライオ・ソロ)
盗塁:【讀】藤村
笠原、4回3失点でプロ初勝利はなりませんでした。カープのベテラン・前田智徳が早くも4回に登場し(セリーグって、こういうところがすごい・・・)、2点タイムリー! そして犠牲フライも食って同点に追いつかれます。そしてその裏の打順で代打・隠善智也を出されて降板。。。
◆◇◆
その笠原の父親が、マリーンズOBの笠原栄一。オリオンズ時代の1984年ドラフト1位の投手でした。当時西武ファンの私として最も印象に残ったのが背番号。「34」という素晴らしい背番号を背負っていたのですが(※笠原栄一自身は右腕)、1989年オフに現場復帰した金田正一の監督就任に伴い「34」は金田が着けることになって背番号は「41」に。うーん、それくらいしか記憶にない投手でした。
それもそのはず、プロ12年で0勝8敗、防御率6.98。晩年は千葉移転後のマリーンズで2年在籍したことになっていますが一軍登板なし(したがって浦和ライフ変わらずか)、最後の3年は福岡ダイエーホークスでした。
笠原はそのまま福岡で暮らし、息子2人も福岡の高校へ。それがこの日登板した笠原将生であり、また現在福岡工大城東高校のエースとして夏の甲子園出場を狙う笠原大芽(「たいが」だったかな?)。この日の東京ドームにて息子の晴れ姿を見るべく福岡から訪れた笠原栄一は、45歳になっていました。
髪を後ろに結んでいましたね(笑)。ちょっとしたレスラーみたいになっていました。
父親が成し遂げられなかったプロでの初勝利はお預けとなり、笠原将生はまた二軍で出直すとのことです。引退後16年を経たロッテ元ドラ1の父は、きっとその日を心待ちにすることでしょう。
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