義父が亡くなりました。
97歳です(大往生)
たまたま、みっちり入っていた講座の延期を余儀なくされたり、
通院日に重なったため、前倒しで診察日を変更してもらったり、
遠くに住む娘たちが、
子連れ&泊まり込みでやってくることになり、
人見知りの激しい2歳男児と人懐こい1歳女児にも振り回され。
あどけなく近づくだけの女児にギャーっと怯えて泣く男児・・
う~ん、なんでかな?
それでなくても落ち着かないのに滅茶苦茶な非日常の数日間。
気持ちの忙しい1週間に疲れ果てました。
そんな中改めて思ったのは、私自身のこと。
私は無宗教なのに、なぜ
この宗派でお葬式を上げなければならないのか?
と、自分の時を想像します。
散骨すればそれでいいじゃない。
死に顔も見られたくないし、知らせるのは全部済んでからでいい。
そんな希望を改めて強く感じました。
今まで他人事で眺めていたお葬式が、自分の時はどうなるかと
強く強く、
こんな決まりごとで進めてほしくないと感じることだらけでした。
灰になって海に流してくれるだけでいいのに、
それが一番の望みです。
